第2話:学院長と不変の支配(プレリュード) 後編:『重力消失点(ゼロ・グラビティ)』
数刻後…学院の裏庭ーー。
放課後、一人で寮へ向かっていたハーベルの前に、音もなく銀色の影が降り立った。
「……誰?」
ハーベルが足を止める。
「王立調律学院、風紀維持班……いや、今はただの『測定者』と名乗っておこう」
クロムがその手に持つ鉄剣を抜く。
だがそれはただの剣ではない。
オウレンの「重力根元」の加護を受けた、超高密度の重力塊だ。
「おい、欠陥品。お前の『無』は、この1tの剣圧にも耐えられるかな?」
クロムが地面を蹴る。
重力制御によって加速された一撃は、周囲の空気を加熱し、衝撃波となってハーベルへ襲いかかった。
(っ……! なんで僕ばかり、こんな目に……!)
襲い掛かる死の恐怖に、ハーベルは反射的に右手を掲げた。
その時――。
『ヴォイド・アンカー』が鈍く黒光りし、彼の周囲の空間がぐにゃりと歪んだ。
ドォォォォォンッ!!
凄まじい衝撃音が響き、周囲の木々がなぎ倒される。
しかし、土煙が晴れた中心で、ハーベルは無傷で立ち尽くしていた。
「……え?」
「……何だと?」
クロムの目が見開かれる。
彼の重力剣は、ハーベルの体に触れる直前で静止していた。
いや、静止ではない。
剣の「重さ」という属性そのものが、ハーベルを中心に半径1メートル以内で消失しているのだ。
ハーベルの瞳からおどおどとした色が消え、冷徹な科学者としての観察眼が光る。
(重力加速度の無効化……? いや、違う。これは『法則の剥離』だ。俺のこの範囲内では、奴の定義した『重さ』というルールそのものが解離している……!)
ハーベルは『ヴォイド・アンカー』を嵌めた手で、空間をなぞるように横へ払った。
「……悪いけど、邪魔をしないでくれないか。僕はまだ、自分のこの力を解析しなきゃいけないんだ」
その瞬間――。
クロムの剣にかかっていた重力加護が、音もなく霧散する。
制御を失ったクロムは、自分自身の予備動作の勢いに振り回され、無様に後方へと吹き飛ばされた。
「ぐっ……あ……!?」
地面を転がるクロム。
ハーベルはそれ以上追撃することなく、逃げるようにその場を立ち去った。
執務室ーー。
水晶を通じてその様子を見ていたオウレン・ヴァイスは、握りしめた『グラビティ・セプター』をミシリと鳴らした。
「……確定しましたか。あれは防御ではない。『法則の忘却』。既存のエレメンタが持つあらゆる定義を、無に帰す原初の混沌……」
オウレンの背後で、巨大な黄金の歯車が軋みを上げて回り出す。
「やはり、生かしておくには惜しく、かつ危険すぎる。ゼノ……お前の『おもちゃ』は、私の黄金の庭を根底から腐らせる毒薬のようだ…」
オウレンはタクトをデスクに叩きつけた。
ドォォン! ミシミシミシ…。
執務室全体が激しい重力波に襲われ、大理石の床に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
「いいでしょう。ならば、その『無』がどこまで深いのか……私が直々に、絶望的な『重圧』というものを教えて差し上げますよ……」
学院長室に響くチェロの旋律は、より一層、低く、暗い、処刑のプレリュードへと変貌していった。
彼は目を細め、夜の帳に沈む学院を見つめながら、静かに「不変の支配」という旋律を奏で続ける。
世界を「法則」として固定しようとする兄と、世界を「実験」として破壊しようとする弟。
二人の天才の間に置かれたハーベルの運命は、まだ誰にも予測できなかった。
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