第1話:最悪の三重奏(トリオ) 後編:『無に帰す右手』
「俺の法則は不純物を許さない。……消えろ、欠陥品!」
レオンが右手の『アイソレーション・バングル』を振り抜く。
刹那――。
目に見えないほど超高密度に圧縮された『He』の不可侵領域が、重音波のような断層となってハーベルの胸元へ牙をむいた。
「キャッ!?」 隣のリーフィアが悲鳴を上げ、周囲の生徒たちが反射的に目を背ける。
まともに食らえば、ただでは済まない必殺の一撃。
だが――ハーベルの思考は、恐怖ではなく「冷徹な計算」へとシフトしていた。
(……見えた。『He』――閉殻構造による絶対的な不活性と、圧倒的な密度の反発力)
前世で化学の極致に挑んだ東雲八雲の記憶が、一瞬でターゲットの法則を解読する。
(どれほど強固な秩序も、たった一つの『不純物』で連鎖崩壊を起こす。完璧すぎる法則ほど、壊すのは容易い……!)
「――『不斉分解』」
ハーベルは右手の人差し指に嵌めた『ヴォイド・アンカー』を、一閃させた。
放たれたのは、力ではない。
法則を持たない『第零のアモルファス』――すなわち、あらゆる秩序を極限の「無秩序(混沌)」へと叩き落とす触媒の波動。
――ズンッ!!
乾いた重低音が響いた。
レオンの解き放った高密度の衝撃波が、ハーベルの直前でピタリと静止する。
次の瞬間、空間の理が歪み、衝撃波そのものが「解離」を始めた。
「な……ッ!?」
レオンの顔から余裕が消え去る。
打ち消されたのではない。
レオンが組み上げた完璧な『ヘリウムの計算式』に、ハーベルが『解』を直接流し込み、分子の結合前提そのものを消滅させたのだ。
目に見える攻撃は、まるで泡が弾けるように虚空へと溶け、影も形もなく消え去った。
室内を支配したのは、死のような沈黙……。
「……嘘でしょ? レオン様の絶対孤高が……消えた……?」
リーフィアが顎を鳴らし、教室内が戦慄に包まれる。
ハーベルは前に突き出した右手からゆっくりと力を抜いた。
――その瞬間。
さきほどまでおどおどとしていた少年の肩からすっと力が抜け、その瞳から「気弱な落ちこぼれ」の光が完全に消え去る。
そこに居たのは、かつての世界で科学の頂点に挑み続けた――
冷徹なる天才研究者・東雲八雲の眼光だった。
静まり返る教室に、低く、透き通った声が冷ややかに響く。
「……不活性ガスによる完全閉殻の孤高、見事だよ。でもね――」
ハーベルは『ヴォイド・アンカー』の嵌まる指先を軽く叩いて見せる。
「どれだけ強固な安定も、エントロピーの増大には逆らえない。僕の『アモルファス』の前では、君の完璧な法則はただの『ノイズ』だよ」
「貴様……ッ!!」
侮蔑しか浮かべていなかったレオンの瞳に、初めて激昂と、明確な「警戒」の光が宿る。
そのやり取りを、教卓のゼノ・ヴァイスは狂おしげな笑みを浮かべて見つめていた。
「カカッ! 言っただろ? こいつは最高にメチャクチャだってな!」
ゼノは白金のタクトを優雅に回し、ニヤリと口角を吊り上げた。
「決まりだ! 今日からお前らは『特異点観測班』。解散は無しだ。お前らの歪んだ美意識を、その『第零』でどこまで壊せるか……たっぷり見せてもらうぜ!」
ハーベルは右手の指輪を静かに撫で、己の中に眠る確かな手応えを感じ取っていた。
(理を上書きする力……。この不確実な世界で、俺の新しい『研究』が始まるーー!)
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