第7話:奏でられる共鳴と衝突 前編:『未完成のアモルファス』
ゼノの授業が終わると、訓練施設を支配していたプラチナの重圧が、潮が引くように消え去った。しかし、後に残されたのは静寂ではなく、不協和音のようなピリついた空気だった。
「はあ……。助かった……」
「すごいプレッシャーだったね……」
生徒たちが安導の溜息を漏らす中、レオンだけは、己の内に渦巻くノイズに耐えかねていた。
彼の「ヘリウムの法則」は、本来ならば誰にも干渉を許さぬ高貴な旋律であるはずだった。
それがゼノのイリジウムによって、まるでのろまを嘲笑うスローモーションの葬送曲へと書き換えられた。
その屈辱が、彼のプライドを鋭く削り取る。
「チッ……クソが……!」
レオンは苛立ちをぶつけるように壁を強く蹴った。
その金属音が、静まり返った施設に不快な打楽器のような音として響き渡る。
彼はそのまま、矛先をハーベルへと向けた。
「おい、法則ゼロ。お前、何しやがった?」
「え、僕?」
ハーベルは戸惑ったような声を出す。
(俺の感覚では、単にエネルギーの指向性を変えただけなんだが……。論理的飛躍による責任転嫁か。やれやれ、これだからエリート様は面倒だ……)
心の中で東雲八雲が毒づく。
リーフィアが、割って入るようにハーベルの前に立った。
彼女の持つ「生命伝導」の法則が、微かに柔らかなハミングのように周囲の空気を震わせる。
「レオン様! ハーベル君のおかげで、先生の法則が乱れたじゃない! 私たちの命の恩人よ!」
「黙れ、銅女。お前のその、へどが出るほど甘ったるい『回復回路』が、俺の絶対孤高の旋律に不純なノイズを混ぜたんだ。そのせいで、俺の法則は本来のテンポを失った……」
レオンの言葉は、冷酷に突き刺さる。
リーフィアは頬を膨らませ、抗議の旋律を奏でる。
「なんですって! 私はレオン様をサポートしようと必死だったのに! 少しは感謝しなさいよ!」
「お前の法則は、弱者が群れるための合唱だ。俺は、誰にも頼らず、ただ一人で天頂を貫くソロ・ソナタとして、ヘリウムの法則を極める。お前の世話焼きな干渉は、俺の飛翔を妨げる重力にすぎん!」
レオンは吐き捨てると、音を立てて扉を開け、一人で施設を去っていった。
その足音は、周囲を拒絶するスタッカートを刻んでいた。
リーフィアはレオンの背中を見つめ、瞳を潤ませた。
だが、彼女はすぐに強気な笑みを作ってハーベルに向き直る。
彼女のエネルギー波形が、不安を打ち消すようにアップテンポに切り替わった。
「見てなさい! レオン様の言うことなんか気にしないわ! 私は、私の音を信じてみんなを癒したいの。……それより、ハーベル君。大丈夫? あの時、私……あなたの法則に触れた瞬間、不思議な感覚がしたの……」
「僕の法則に?」
「うん。あなたの法則は『無定形』だって言われてるけど、私の伝導回路を通じて見えたのは、形のない霧なんかじゃない。それは、まるで……超高圧で回転する巨大なエネルギー炉の『唸り』だったわ」
「エネルギーの、唸り……」
ハーベルはその言葉に、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「そう! 私が生命伝導であなたに触れた瞬間、あなたの法則が、ゼノ先生のプラチナの法則を外側に弾き飛ばしたの。まるで、異なる周波数を強制的に排除する、圧倒的な不協和音の爆発みたいに!」
(――法則を弾き飛ばす? そうか。俺が前世の最後に合成しようとした高反応性中間体は、安定を拒否することで、周囲のエネルギーを無秩序な方向へと放出させた。俺のアモルファスは、調和や安定を強制しようとする強い『法則』という名の定常波に対して、猛烈な反作用を起こす「逆相の波動」なのか……!?)
「ありがとう、リーフィア。君のおかげで、僕の法則の仮説が一つ、できた気がするよ」
ハーベルは、今までの弱気な少年とは違う、どこか確信に満ちた穏やかな笑顔を見せた。
その表情の変化に、リーフィアは思わず鼓動を跳ねさせた。
ポッ……。頬が赤く染まる。
「な、なによ! 別にあなたの役に立とうとしたわけじゃないんだからね! ……でも、あなた、なんでそんなに平気なの? レオン様にあんなに言われて、先生からも落ちこぼれ扱いされてるのに……」
「僕、昔からそうなんだ。周りに何を言われても、信じたものがあれば平気。それに……僕には、兄さんがいるからね」
ハーベルはそう言い残し、訓練施設を出ていった。
リーフィアは、その場に立ち尽くした。
(あんなに冷たいレオン様の法則と、あんなに暖かいハーベル君の法則……私、どっちに回復回路を繋げば、本当の優しさに繋がるんだろう?)
彼女の心の中で、二つの旋律が混ざり合い、これまでにない迷いの和音を奏で始めていた。
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