第二十九話 失われた一族、その血を継ぐ者
「――継承者」
フェルナンドの口から、その言葉が小さく漏れた。空中に浮かんでいた文字はすでに消え、誠が作り上げた巨大な魔法陣も徐々に輝きを失っている。先ほどまで騒然としていた演習場には、まるで嵐が過ぎ去ったかのような静けさが戻っていた。しかし、フェルナンドの心だけは違った。むしろ、今からが本当の始まりだった。
「ガルド」
「はい」
「先ほどの魔法陣を、もう一度見せろ」
「こちらです」
ガルドが記録魔導具を操作すると、空中に先ほどの魔法陣が再び映し出された。フェルナンドは黙ったまま映像を見つめる。巨大な魔法陣、その中心に刻まれていた特殊な紋章。そして七つの属性を示す魔力回路。その中心には、七属性のどれにも属さない空白が存在していた。
「……間違いない」
「フェルナンド様?」
「これは、始原魔導士の術式だ」
ガルドの表情が固まった。
「始原魔導士……ですか?」
「ああ」
始原魔導士。それは、現在の魔導士たちからすれば伝説に近い存在だった。まだ火、水、風、土、光、闇という七属性が体系化される遥か昔。人間が魔法という力をどう扱うべきかすら知らなかった時代に、世界に存在する魔力そのものを研究していた者たちがいた。そして、その中でも特に異端とされていた一族が存在した。
その一族が使っていたとされる力。それが――透明属性だった。
「現在の魔法は、七属性を基準に作られている。しかし、それは世界に存在する魔力のすべてを説明しているわけではない」
フェルナンドは静かに続けた。
「七属性というのは、人間が魔力を理解するために分類したものに過ぎない。だが透明属性は、その分類そのものに属さない」
「では、透明属性とは一体……?」
「属性ではない」
フェルナンドは誠を見る。
「正確には――属性を決める側の力だ」
ガルドは言葉を失った。火、水、風、土、光、闇。それぞれの属性には固有の性質があり、魔導士はその性質を理解した上で魔法を構築する。それが現在の魔法体系の常識だ。しかし透明属性には、その常識が存在しない。火にも、水にも、風にも干渉できる。そして必要であれば、属性そのものの性質を変えることすら可能だという。
「だから……誠は魔法陣を……」
「ああ」
フェルナンドは頷いた。
「誠は魔法陣を見ただけで、その構造に存在する無駄を理解した。そして、自分が知っているはずのない術式へ勝手に書き換えた」
「それは……知識ではない?」
「そうだ」
フェルナンドは誠の姿を見つめる。
「血に刻まれた記憶だ」
その言葉に、ガルドの顔が変わった。
「まさか……」
「そうだ」
フェルナンドは、かつて読んだ古い文献を思い出していた。そこには、始原魔導士についてこう記されていた。
『始原の血を持つ者は、失われた術式を無意識に再現する』
当時はただの伝説だと思われていた。しかし、今目の前で起きていることを考えれば、話は変わる。
誠は古代魔法を知らない。始原魔導士の存在も知らない。透明属性という言葉すら、今日初めて聞いたはずだ。それなのに彼は、失われた一族の術式をまるで昔から知っていたかのように組み上げた。
「……誠は、始原魔導士の末裔」
ガルドが呟く。
フェルナンドは答えなかった。しかし、その沈黙こそが答えだった。
誠の力は偶然ではない。
これまで誠が暇つぶしで作ってきた魔法も、不発の魔弾も、異常な魔力制御も、すべてが繋がっている可能性がある。本人は遊びのつもりで魔法を作っていた。しかし実際には、自分の血に眠る古代の魔法を無意識に再現していたのだ。
「……もし、本当にそうなら」
フェルナンドは小さく呟いた。
「誠は、まだ本当の力の一部しか使っていない」
「……!」
ガルドが息を呑む。
だが、その時だった。
演習場の端に設置されていた古い魔導具が突然光を放った。
「ピィィィィン――」
「何だ!?」
二人が振り返る。長い間使われていなかったはずの魔導具に、見たことのない文字が浮かび上がっていた。
『始原魔力反応』
そして、その下にもう一つの文字が表示される。
『継承者――確認』
フェルナンドの目が見開かれた。
「……まだ残っていたのか」
「フェルナンド様?」
「この魔導具は、始原魔導士を識別するために作られたものだ」
フェルナンドが魔導具へ近づく。すると、表示されていた文字が突然変化した。
『警告』
『同時期に別の始原魔力反応を確認』
「……何?」
フェルナンドの表情から笑みが消えた。
「誠以外にも……始原魔力を持つ者がいる?」
しかし、その表示はすぐに消えてしまった。
何だったのかは分からない。ただ一つだけ確かなのは、誠の力が目覚めたことによって、何か別の存在まで動き始めているということだった。
一方、その頃の誠はというと――。
「ねえ、ルミナ」
「なに?」
「僕、第三試験合格できるかな?」
「……」
ルミナは無言で空を見上げた。そこには誠が作り上げた巨大な魔法陣の残光がまだ残っている。
「たぶん合格はすると思う」
「よかった」
「でも……」
「?」
「もう『普通』は諦めたほうがいいと思う」
「えぇ……」
誠は本気で困った顔をした。
そんな二人を少し離れた場所から見ていたフェルナンドは、思わず苦笑する。
測定不能。
透明属性。
王国最強の防御魔法を破壊した不発の魔弾。
そして、失われた一族の術式。
これだけの証拠が揃っているというのに、本人だけは未だに自分を普通の少年だと思っている。
だが、フェルナンドにはもう一つ気になることがあった。
なぜ、始原魔導士の一族は歴史から消えたのか。
なぜ、透明属性は何百年もの間、姿を現さなかったのか。
そして――なぜ今、この時代になって誠の力が目覚めたのか。
「……まだ何も分かっていない」
フェルナンドは静かに呟いた。
しかし、少なくとも一つだけ確かなことがある。
誠は偶然、規格外の魔法を使っているわけではない。
彼の中には、何百年もの間眠っていた力が確かに受け継がれている。
その事実を、フェルナンドはまだ誠本人には伝えないことにした。
十歳の少年に背負わせるには、あまりにも大きすぎる秘密だった。
「このことは誰にも話すな」
「承知しました」
ガルドが深く頭を下げる。
「特に、あの少年本人にはな」
「はい」
その直後、魔術儀の会場に鐘の音が響き渡った。
――ゴォォォン。
受験者たちが一斉に振り返る。
「第三試験を再開する!」
試験官ガルドの声が会場へ響く。
「受験者はそれぞれの位置へ戻れ!」
「よし!」
誠は元気よく立ち上がった。
「次も頑張ろう!」
ルミナも苦笑しながら後を追う。
その背中を、フェルナンドは黙って見つめていた。
失われた一族。
神話級と呼ばれた透明属性。
そして、その血を受け継いだ少年。
すべてが繋がり始めている。
だが――まだ一つ、大きな謎が残っている。
始原魔導士の一族は、なぜ歴史から消されたのか。
そして、彼らを消したのは一体誰なのか。
フェルナンドがそう考えた瞬間だった。
王都から遠く離れた場所。
誰も訪れることのない古い遺跡の中で、一つの魔法陣が静かに輝いた。
その中心には、赤紫色の仮面をつけた人物が立っている。
「……ようやく見つけた」
仮面の奥から、低い声が響く。
「始原の血を継ぐ者」
その人物は、ゆっくりと笑った。
「今度こそ――逃がさない」
そして、魔法陣の光が消える。
誰も知らない場所で、誰にも知られないまま、誠を巡る物語は新たな段階へ進もうとしていた。
しかし当の本人は、そんなことなど何も知らず――。
「次の試験、簡単だといいなぁ」
相変わらず、のんきなことを考えていた。
魔術儀はまだ終わっていない。
だが、この日を境に、誠という少年の存在は少しずつ世界の歴史へ刻まれ始めていた。
そしていつの日か、人々は知ることになる。
この少年こそが、数百年前に失われた「始原の血」を受け継ぎ、七つの属性という常識そのものを覆す存在だったことを。
――その時、世界は再び大きく変わることになる。
(つづく)
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