45、狂気、断頭のモルアナ・アンネロッタ
一陣の風が吹き荒れるように、アンネロッタは一直線にガウスへと向かっていく。
傭兵団“火竜の団”の団員達は恐怖という感情を何万もの力が犇めく戦場ではなく、今この場で感じてしまっていた。
傭兵団員の中には数十人の歩兵を前に大剣のみで切り抜けた猛者や、弓で敵将を貫き勝利を手にしてきた名手も存在していた。
そんな彼らが、目前まで迫ってくるアンネロッタに身動き一つ取れないのだ。
アンネロッタは臆した傭兵達を嘲笑うように高笑いを浮かべる。
「あはぁ! 弱いですねぇ? 弱すぎですねぇ! 戦場を生きるなら、一度死んでやり直すしかありませんよねぇ!」
狂気──そんな言葉が似合うような真っ赤な雨の中をグリーンドレスに身を包んだアンネロッタが満面の笑みで踊り殺していく。
誰もが止めようと踏み出すが、振り抜いた剣がアンネロッタの巨大戦斧に砕かれ、勢いのままに赤い雨は増え続ける。
ガウスが状況を見て、即座に号令を掛ける。
「一斉にかかれ! 首なし共にはドゴール男爵の兵を向かわせろ! 火竜の団はあのイカれ女だけに集中! 一気に潰すぞ!」
その声に火竜の団が一斉にアンネロッタへと向かって駆け出していく。
しかし、ドゴールの私兵達は真逆の反応を見せる。
「こんな化け物の相手は聞いてねぇ!」
そんな声が戦場に響いた瞬間、ドゴールの私兵達は一斉に戦場とは逆方向へと走らせた。
ガウスはその光景に唖然として、声を上げる。
「おい! 何してる!」
そんな声に耳を傾けることなく、ドゴール男爵領に向けて数人の私兵が駆け出すと連鎖するように次々と限界を迎えた私兵達が戦場を放棄する。
「チッ! 馬鹿野郎共がぁぁぁっ!」
ガウスの叫び声がこだまする。
次々に逃げる私兵を無視して、火竜の団はアンネロッタ1人に向かって剣を向ける。
150人からなる傭兵団、猛者が連なる火竜の団を前にアンネロッタは、ただ1人で巨大戦斧を振り抜く。
一振りが前方の傭兵を屠ると同時に、植物が次々に転がった頭部に発芽しては花を咲かす。
戦場でありながら歪な美しさを放つ白い花が一瞬で魂を吸い上げるように花を散らし、首なし兵が増えていく。
1人対600人の戦いは、既にアンネロッタと首なし兵76体に膨れ上がり、対するドゴール男爵側の兵力は傭兵団と逃げ遅れ、震える兵士と金に目が眩んだ素人ばかり、合わせて150人も残っていない。
人数で未だに優勢であっても、戦える状態の者は既に80人程度であり、ガウスは奥歯を噛み締めて拳を握る。
「団長……流石にヤバいよな、どうする……一斉に仕掛けた切り込み隊は、全滅だぜ」
そんな団員の言葉にガウスは苦笑を浮かべた。
「分かってる。ふぅ……俺が奴を討ちに出る。その間に撤退だ……火竜の団は現時刻をもって、戦場からの撤退を開始する。他の奴らに気取られずに知らせろ……脱出《“エフギウム”》だ!」
ガウスは、盾を腕にしっかりと握り、大剣を片手に掴むと黒い巨馬の頭を撫でる。
「悪りぃな……お前にも最後は老衰させてやりたかったが……どうやら、命懸けの戦いになる。付き合ってくれるか?」
巨馬は、静かに鳴くと、蹄で地面を力強く踏み締める。
ガウスはそのまま、一気に駆け抜けていく。首なし兵と戦う傭兵団員達にガウス本人から声を掛けることはない。
ただ、傭兵団の誰もが理解した。
団長が自ら最前線に出向く意味は、本来は二つだ。
敵将との一騎討ちを承諾した場合、もしくは、命を賭けて、戦場を挽回する場合である。
しかし、今回はどちらでもない。既に挽回など出来ないほどの被害と仲間を失っていた。
そんな傭兵団員達に団長命令が伝えられる。
ガウスの前方、アンネロッタに向けて、後方から大量の矢が放たれ、流れ星が降り注ぐように陽の光に輝き地上に風音を響かせる。
「馬鹿野郎共が、矢なんざ意味ねぇってのによう……最高の餞別をしやがる……いくぞォォッ!」
アンネロッタは巨大戦斧を回転させながら、降り注ぐ矢を撃ち落としながら、打ち漏らした矢は足元から出現した植物と首なし兵達が壁となって防いでいく。
つまらなそうにアンネロッタは、巨大戦斧を構え直す。
「つまらない小細工……退屈な戦場……なんて無駄な時間なのかしらぁ……可愛い妹のおねだりじゃなかったら、絶対に断ってたでしょうにねぇ」
「火竜の団、団長ガウス・バリギウス。参るッ! 断頭のアンネロッタァァァ覚悟ッ!」
矢に気を取られていたアンネロッタに向かって、巨馬に跨ったガウスが大剣を両手に握り斬りかかる。
巨馬はそんな大剣を握るガウスの足となろうと全力で地面を踏み締め、地響きを鳴らす。
戦闘が始まってから初めてアンネロッタが大声で笑う。構えた巨大戦斧をガウスへとしっかり向ける。
「あはぁ! そうですわよねぇ! 戦場とはそうでなくてはなりませんとも! 足掻きなさい、そしてキレイな花に成りなさい!」
向かってくる巨馬にアンネロッタの巨大戦斧が振り払われる。
刃が巨馬の首に切りつけられた瞬間、巨馬は更に加速すると、その僅かな加速がアンネロッタの巨大戦斧の刃先をずらし、巨馬の首は切断を免れる。
その行動と結果にアンネロッタの表情が揺らぐ。
ガウスはその一瞬に全身全霊の力を込めると大剣をアンネロッタへと振り下ろす。
その場に他者がいたならば、ガウスの勝利を疑うことはなかっただろう。
しかし、肩口に振り下ろされた大剣がアンネロッタの胴体に食い込むことはなかった。
「異性に情熱的なアプローチをするには、力が足りないみたいですわねぇ……淑女に力任せな方法を取る殿方は虫ケラ以下でしてよぅ……あはぁ」
口角を歪ませて頬を吊り上げたアンネロッタ。
切りつけられたグリーンドレスが動き出し、細長い糸のような蔦が切り裂かれた部分を塞いでいく。
それと同時に限界を迎えた巨馬が倒れ、ガウスが地面に投げ出される。
ゆっくりとガウスに歩みを進めるアンネロッタは笑っていた。
「さぁ……最後の瞬間を私に見せてください……消える命に咲き狂う白い花……血潮の雨に染まる気高き花になるその瞬間まで……足掻きなさいッ!」
「イカれ女が……うわぁぁぁッ!」
戦場というにはあまりに小さな戦いだった。誰もが火竜の団の参戦で勝利を疑わなかった。
たった一つの誤算は、断頭、モルアナ・アンネロッタという、化け物がその場に存在していた事実だろう。
最初からアシミー・ノーク、1人を狙っていたなら、結果は違っていたかもしれない。
何より、“戦場の断頭”として知られるモルアナ・アンネロッタの参戦がなければ、そんな巻き戻ることのない現実の中で、ガウス・バリギウスの首が宙を舞う。
その日、ドゴール男爵領で最強の傭兵団は、小さな戦場に散ったのである。
生き延びるために撤退したはずの、火竜の団の団員達は、団長ガウスの死を理解して涙した。
隠れ家に戻った火竜の団は、その総数は45人程に減っており、傭兵団として部隊を率いていた隊長達は全滅、団長を失う結果に絶望していた。
そんな隠れ家の外から、大きな蹄の音が鳴り、生き延びた団員達は、聞き慣れた蹄の音に希望を感じて入口に急ぐ。
しかし、開かれた扉の先には、首が失われた巨馬と首なし兵となった大剣を構えた大柄な男の姿があり、火竜の団は終わりを悟った。
「ちくしょう……絶対に許さねぇ……呪ってやるからな……アンネロッタ……」
そんな言葉が次代に紡がれることはなかった。
傭兵団“火竜の団”は人知れず全滅し、ドゴール男爵領に向かうアンネロッタの屍兵として、進軍をともにするのだった。
アンネロッタは動く植物で作られた椅子に座り、果実から搾り出した飲み物を口にしてから、明るい声で語り出す。
「さぁ……皆様、お仕事の時間ですわねぇ……しっかりと頂けるすべてを頂きにいきましょう」
ドゴール男爵領は、アンネロッタの存在を未だに知らない。
そして、ドゴール男爵領は、その晩に炎に包まれることになる。
近隣の貴族達は、ドゴール男爵が兵を動かした事実に警戒していたが、ドゴール男爵領が戦場になった事実に驚愕した。
しかし、その状況を作り出したのが1人の女性である事実と、ドゴール男爵がどこに兵を向かわせたのかを知るものは1人もいない。
1人の男爵が竜の尾を踏んだのだと、噂になるが、それ以上でも以下でもない話はすぐに別の噂へと変わっていくのだった。




