30、クイーンの秘密、ペルグが頭を抱えた日
ベスパの森で勝ち誇ったように笑うネル。
地面に広がるコロニーの一点を見つめると、1人でコロニーの中へと降りていく。
突然の行動にアシミーはネルを止めようと手を前に伸ばそうとした。
だが、ペルグによって止められる。
「ペルグさん、離して! ネルが1人で行っちゃうじゃない」
「アシミー、あのコロニーは、見た目以上に脆いのが分からないのか? ネルの奴は足元に煙を作って身体を浮かしてやがるんだ」
ペルグの言葉にアシミーは思い止まると、伸ばそうとしていた手をゆっくり下ろす。
コロニー内に向かったネルは手を伸ばし、1匹のキラービーナの幼体を手に掴む。
小さな子犬サイズのイモムシを掴んだネルは、コロニーから、地上に戻るとペルグに向かって不敵な笑みを浮かべる。
「ギルドのマスターなら、これが何かわかるよねぇ?」
ネルの言葉にペルグの眉間にシワが寄せられる。
ネル:あはぁ〜。ボクちゃんってば、大手柄じゃないかぁ。
ペルグの苦々しそうな表情を満足そうに眺めながらネルは、手に掴んだキラービーナの幼体を【煙縄】へと放り投げる。
その瞬間、ペルグが慌てた表情を浮かべる。だが、ネルにそれを気にする様子はなかった。
アイシャ:やっぱり、ネルは危険だ。今のうちに何とかしないと、ギルドが積み上げてきた実績も信頼も全部、食い散らかされちまう……
ネルが楽しそうな表情をペルグに向けた瞬間、同行していたアイシャは我慢の限界を迎え、怒りのまま、ネルへと向かって足を踏み出す。
しかし、またしても、ペルグがそれを制止する。
「挑発するな! アイシャ、お前は初めて見るだろうが、ありゃぁ……キラービーナの幼体だ。しかも、クイーンのな……」
アイシャ「え、だって! クイーンはひとつのコロニーに1匹が基本のはずじゃ……」
ネルの【煙縄】に包まれた幼体とペルグの顔を見るアイシャは動揺を隠せずにいた。
しかし、それはアシミーも同様であり、ネルから何も聞かされていないため、この場にいながら知る者と知らない者が存在していた。
ただ、ペルグだけは、この事態を危機迫る表情で悩んでいた。
「何が望みだ。ネル・ニルガル……お前は何がほしくて、こんな大それた真似をした」
冷静でありながら、怒気を孕ませた声を必死に抑えるようにネルへとペルグが問い掛ける。
その質問に対して、ネルがダルそうな視線を向けてから口を開く。
「ボクちゃんってば、今からアシミーちゃんに説明するから黙っててくれないかなぁ? 横からオッサンの声が入ったらアシミーちゃんの声が聞こえないじゃないかぁ?」
ネルの発言にペルグに押さえられていたアイシャが顔を前に出して怒鳴り声を上げる。
「なんてことを! ギルドマスターであるペルグさんに謝りな! じゃないとアタシが相手になるよ!」
アイシャ:やっぱり、こいつは危険だよ! 今ならなんとでもなる。ペルグさんもいるんだ! アタシが刺し違えたとしても、上手く処理してくれるはずだからね。
ハルバードを構えるアイシャは殺気を抑えながらも鋭い視線をネルへと向ける。
ネルが微かに笑った瞬間、ペルグが慌てて手を前に伸ばす。
「アイシャ! 今は黙ってろ! 絶対に馬鹿な真似はするなよ!」
場の空気が凍りついていく中でアシミーが手を上げる。
「ネル……私はネルがみんなに説明してくれたら嬉しいなぁ……ダメかな?」
その一言にネルがその場で一回転すると、アシミーの前で停止すると同時に胸に手を当てて頭を軽く下げる。
「ボクちゃんは優しいから、アシミーちゃんのお願いなら、絶対に叶えちゃおうじゃないかぁ〜!」
そんなネルの態度にアイシャが苛立ちを顕わにするが、ペルグは一安心といった視線を向ける。
ネルは大袈裟な動作を交えながら語り始めていく。
「ボクちゃんは、色んな街を旅してきた淑女なのさぁ〜。だから、他の国でクイーンの住む森もあったのさぁ」
その話を聞いたペルグの眉がピクリと動かされる。だが、ネルの説明は終わらない。
「クイーンは硬いだけの虫だからねぇ……でも、他にも色々とルールがあるのさぁ〜! そう、クイーンはコロニーに分体を寝かしてるんだよぅ〜」
「待て! 分体だと、新たなクイーンじゃなく、分体って言ったのか、そんな話は初耳だぞ!」
慌てたペルグにネルは冷たい表情で釘を刺す。
「ボクちゃんがわざわざ話してあげてるんだから、今は邪魔しないでほしいなぁ……まったく〜」
ペルグが拳を握るが、アシミーとアイシャが慌てて止められる。
アシミーは焦りながら、笑みを作り、猫なで声でネルに懇願する。
「ネル! 続き、続きを聞きたいわ! 話してくれるかしら!」
アシミー:なんでこんなに空気が悪いのよ、勘弁してよ……
ネル:最高じゃないかぁ……ボクちゃんの話をアシミーちゃんが聞きたいなんて、幸せ過ぎて、とろけちゃいそうだよぅ〜。
「あはぁ〜! そうだねぇ〜だから、ボクちゃんはコロニーを煙で守ってあげたのさぁ。アシミーちゃんからクイーンを殺すなって言われて、約束したからねぇ〜」
ペルグが限界を迎えたように頭を抱える。
そうして、ネルは経験してきた知識を語る。
内容は魔物学者達なら金貨を積んでも知りたがるであろう内容ばかりでペルグとアイシャは頭を全力で抱えてしまう。
「おい……アイシャ、今聞いた話は絶対に他言するなよ……グラードの街が学者の巣窟になりかねん」
「むしろ、報告書になんて書いたらいいか教えてもらえたら助かるよ……だって、内容が内容だしさ」
「そんなもん、適当に書いとけ……それより、商業ギルドに話をつけにいくぞ。ネル……いや、アシミー・ノーク。悪いがクイーンの幼体を絶対に守れ! これはマスター依頼扱いだ。頼むぞ」
アイシャ:無茶言わないでよ……少なくとも、クイーンの未知だった部分がいきなり語られたんだからね……適当にできたら苦労ないっての!
アシミー:ネル……やってくれたわね。まさかのマスター依頼とか……職権乱用を絵に書いたような話だわ……本当に勘弁してよねぇ。
ペルグとアイシャはその場から慌ててグラードの街へと駆け出していく。
残されたアシミーは、そんな2人の背中を見送った後にネルへと視線を向けた。
「ネル? さっきの話だけど、クイーンは本当に住む森の広さでサイズが変化するわけ?」
「間違いないさぁ。ボクちゃんは色んな森を見てきたし、その森を巣にしてる魔物や虫をいっぱい見てきたからねぇ……クイーンはただ硬いだけの虫だから、何回も潰してきてるのさぁ〜」
アシミー:待って……頭が痛くなってきた。今の話が本当なら、ネルが原因でキラービーナの巣が幾つも壊滅してるってことよね……
「ねぇ……ちなみに、何処の森でクイーンとあったの? よかったら話してくれない?」
アシミー:聞きたくないけど、知らないと後々マズい気がするのよね……できたら、私の勘がハズレであってほしいんだけど。
その質問にネルが嬉しそうに口をニヤケさせる。
ネル:ボクちゃんの勇姿が気になるなんて、アシミーちゃんは可愛いなぁ〜あはぁ。
「ボクちゃんが最初にクイーンに出会ったのは、ばあちゃんと住んでた森だったなぁ……いきなり襲われちゃってさぁ、食べられちゃうかと思ったよぅ」
笑いながらも寂しそうな表情を浮かべるネルは、静かに空を見上げた。
「その頃のボクちゃんは、弱かったからさぁ……魔物を見たら逃げなさいって、ばあちゃんに言われたから、必死に走ったんだよねぇ……そしたら、クイーンのテリトリーに入っちゃったんだよぅ」
アシミー:だから、待って……なんでそんなにサラッというわけ……普通はありえないし、あったら死んじゃうんだってば!
「さすがに死ぬんだって泣き出しそうになったなぁ……前に話ただろぅ〜、ボクちゃんは家族を山賊に殺されて、死んでもいいやって思ってたのにさぁ……死が間近になったら、怖くて仕方なかったんだよねぇ」
「それで、どうやって生き残ったのよ……それにネルなら、普通に倒したんじゃないの」
目を瞑るとネルは小さく首を左右に振った。
一瞬の沈黙を長く感じさせるような、ゆっくりとしたネルの仕草にアシミーの頬を一筋の汗が流れていく。
「ボクちゃんは、ばあちゃんに助けられたのさぁ……いつ死んでもいいって思ってるような、ダメダメなボクちゃんだったのにさぁ」
そう口にしたネルと、話を静かに聞いているアシミーの間に風が吹き抜けていく。
ネルは寂しそうに老婆の存在をアシミーへと語るのだった。




