CHAPTER39『眠れる獣、迫る火種』
結局――
俺たちがロカ山から無事に帰って来れた頃には、夜はとっくに更けていて、気づけば丑三つ時を回っていた。
ギルドに辿り着いた瞬間、緊張の糸はぷつりと切れた。
誰が最初だったかも覚えてないけど、装備もろくに外さないまま、ひとり、またひとりと床に転がっていく。
俺も例外じゃなかった。
鼻の痛みも、疲労も、全部まとめて後回しだ。
気がつけば、ギルド・リトルリバーは全員爆睡。
静まり返ったギルドの中には、荒い寝息と、片づけ損ねた食器の匂いだけが、夜更けの空気にぼんやりと残っていた。
翌朝――
香ばしいコーヒーの香りに包まれて、俺はゆっくりと目を覚ました。
ふぁぁ……と、情けない声が喉から漏れる。
グゴーッ……グゴーッ!!
ボグのイビキは相変わらず絶好調で鳴り響いていた。
ギリギリギリギリ……
そのすぐ横では、ハクさんの歯ぎしりが、負けじと耳を削ってくる。
さらに――
「……むにゃむにゃ……大地震が……近づいているぞ……むにゃむにゃ……」
ドロガンさんの寝言まで参戦してきた。
――一人だけ預言者混ざってるんですけど!?
そのすぐそばで、湯気の立つカップを手にしたミロが、にこやかに覗き込んでくる。
「……おはようございます、チャロくん。目覚めのコーヒーは、いかがですか?」
差し出されたカップを受け取りながら、俺はうめくように礼を言った。
「うー。……ありがとうございます……」
――が、次の瞬間、ずきりと鼻に走る鈍い痛みに顔をしかめる。
「うえっ、まだ痛えぇ……!」
思わず鼻を押さえる俺を見て、ミロが心配そうに眉を寄せた。
「大丈夫ですか? いったいロカ山で、何があったんですか?」
そうか。
みんな帰ってきた途端に倒れるように寝ちまったから、ミロはまだ何も聞いてないんだ。
俺はコーヒーを一口すすり、ため息まじりに肩をすくめる。
「いやぁ……酷い目に遭いましたよ。まさか、山賊に捕まるなんて……」
その言葉に、ミロの目がぱっと見開かれた。
「ええっ!? じゃあ、やっぱり……ドロガンさんが言っていた“クリーバーズ”っていう山賊がいたんですか?」
俺が答えようと口を開きかけた、その時だった。
カツン……。
外で、馬のひづめがギルドの前でぴたりと止まった。
続いて、誰かが馬から降り、手綱を引く気配がする。
そして次の瞬間、くぐもった声が、扉越しに響く。
「失礼するぜ」
ギィ……と軋む音を立てて扉が開く。
そこに立っていたのは、旅塵をまとったままの――カイラムの凄腕情報屋、チュービンだった。
その穏やかそうに見える目は、どこか底の見えない鋭さを帯びていた。
ミロがぱっと表情を明るくして駆け寄る。
「チュービンさん! 長旅おつかれさまですっ! ようこそお越しくださいました!」
するとチュービンは肩をすくめ、気楽そうに笑った。
「ははは、長旅っつっても、馬を飛ばしゃ数刻で着くさ」
俺も軽く手を挙げて声をかける。
「チュービンさん、どうもっす」
チュービンは俺の顔をじっと見て、口の端を上げる。
「おう、小僧。なんだ、元気なさそうだな?」
「ハハ……ちょっと怪我しちゃいまして……」
そう言って、俺は鼻を押さえた。
グゴーッ……グゴーッ!!
……その間も、ギルドの奥では、重低音が途切れることなく響き続けていた。
床板が、微かに震えている。
正直、もう聞き慣れすぎていて、俺もミロも完全に気にしていなかった。
だが、チュービンが思わず眉をひそめる。
「……にしても、うるせえなぁ?」
ミロが苦笑しながら、胸に手を当てて答えた。
「はい!ボグさんのイビキは、もはやギルド・リトルリバーの名物と言っても過言ではありません!」
――いや、ギルドの名物がイビキってどうなんですか、それ……。
チュービンは苦笑しながら首の後ろを掻いた。
「……へぇ。血なまぐさいギルドが、ずいぶん賑やかになったって話は聞いてたが……どうやら本当みてぇだな。……っと、おい、お前も入ってこい」
そう言って、開けたままだった扉の外へ顎をしゃくる。
すると、外で控えていた大きな影が、のそり……とギルドの中へ足を踏み入れた。
俺は思わず目を瞬かせる。
――で、でかっ……!?
そこに現れたのは、灰がかった長毛に全身を包んだ、大柄なペルシャ猫獣人だった。
ふわふわというより、もはや“もっさり”を通り越して“塊”だ。
眠たそうに半分閉じた目。
そして、のんびりした空気をまとったまま、無言で立っている。
――なんかでかい座布団に、無理やり服着させたみたいだな!
チュービンが肩をすくめる。
「こいつは俺の弟子兼、護衛みてぇなもんだ。 名前はモフラン」
モフランは何も言わず、半分閉じた目のままこちらを見た。
そのまま、わずかに顎を引くだけで挨拶代わりにする。
チュービンは軽く親指でそいつを示す。
「来る途中、道を塞いできた盗賊がいたんだが――まあ、こいつが片づけた」
俺は思わず目を丸くする。
「えっ、この人が……?」
すると、モフランは眠たそうな目のまま、ぼそりと呟いた。
「……三人」
「へ?」
「……道、塞いでた」
――どうやら、“三人ほど片づけてきた”という意味らしい。
俺はつい、ぽろっと本音を漏らした。
「ふぇ〜……それにしても、ネズミの弟子がネコって、食物連鎖的になんか面白い組み合わせですね!」
「チャロくん!」
ミロがぴしっと片手を立て、慌てて俺を制した。
チュービンは一瞬きょとんとしたあと、肩を揺らして笑う。
「ハハッ、まあ、そうだな」
そう言って、また隣のモフランを親指で示した。
「だが、こいつが弟子についてくれたおかげで、こっちもかなり助かってる」
モフランは半分閉じた目のまま、のそりと立っている。
「……別に……師匠は食わない」
――いや、そりゃ食わねぇだろうけど、そこ真顔で言うんだ……。
ミロは小さく苦笑すると、ぱっと表情を切り替えた。
「ま、まぁ……とにかく、お二人とも座ってください」
そう言って、テーブル脇の椅子を手際よく引いて見せる。
チュービンは軽く片手を上げ、そのまま椅子へ腰を下ろす。
モフランも一拍遅れて、のそり……とのんびりした動きで向かいの椅子へ座った。
その間にも、ミロはすでにカウンターのほうへ向かっていた。
慣れた手つきでカップを用意しながら、にこやかに振り返る。
「チュービンさん、コーヒーはいかがですか?」
「ああ、悪いな」
チュービンが短く頷く。
だが、その横でモフランがぼそりと呟いた。
「……俺、苦いの……飲めない」
ミロは一瞬、きょとんとしたあと、やわらかく微笑んだ。
「なるほど。では、搾りたてのオレンジジュースなどは、いかがでしょうか?」
――ミロさん、完全にカフェの店員さんみたいになってるな……。
モフランは半分閉じた目のまま、わずかに頷いた。
「……それがいい」
チュービンは片眉を上げ、呆れたように隣を見た。
「おいモフラン、少しは遠慮しろ」
するとミロは、ふるふると首を振って笑う。
「いえいえ、遠慮なくどうぞ。せっかく来てくださったんですから」
モフランは少し間を置いて、ぼそりと一言だけ返した。
「……いいギルドだ」
――オレンジジュースだけで、高評価もらいましたよこのギルド……。
その時――
ギィ……と、奥の扉が開いた。
静かな足音とともに、グリムが姿を現す。
「おはよう」
いつも通りの落ち着いた声で、ゆっくりとギルドの中へ歩み入ってくる。
そのまま俺の姿を認めると、わずかに口元を緩めた。
「……チャロ。無事に帰って来れたようだな」
俺は鼻を押さえたまま、へへっと力なく笑う。
「……ええ、何とか。メイベルさんたちのお陰で――」
だが、そこまで言いかけたところで、グリムの視線がふと横へ流れた。
「……ん?」
テーブルのほうへ向けられた視線の先――チュービンと、その隣に座るモフランを捉える。
すると、カウンターの奥でオレンジを絞っていたミロが、ぱっと顔を上げた。
「グリムさん、おはようございます!」
そして、にこやかに二人のほうへ手を向ける。
「そちら、街の情報屋のチュービンさんと、お弟子さんのモフランさんです」
グラスに落ちていく果汁の音が、静かな朝のギルドに心地よく響く。
チュービンは椅子からすっと立ち上がると、胸元に片手を添え、丁寧に一礼した。
「どうも。カイラムで細々と情報屋をやらせてもらってる、チュービンってもんです」
その口調は柔らかいが、どこか一線を引いたような冷静さも滲んでいる。
「街じゃあ、あんたの名前は嫌でも耳に入るもんでしてね。
ギルド・リトルリバーのマスター、グリム・バロウズ――」
その隣では、モフランが相変わらず椅子に沈み込むように座ったまま、半分閉じた目でじっと様子を見ている。
グリムは静かに二人の前まで歩み寄ると、わずかに口元を和らげた。
「ようこそ。あなたがチュービン殿か」
落ち着いた声でそう告げ、ゆっくりと頷く。
「ミロや他の連中から、いろいろと世話になっていると聞いている」
そこでチュービンは、肩をすくめるように両手を軽く広げ、口元をわずかに緩めた。
「こうして直接会えて、光栄だよ」
グリムの視線が、穏やかにチュービンへ向けられる。
「こちらとしても光栄だ」
そう言って、グリムが差し出した右手を、チュービンも迷いなく握り返す。
二人はがっちりと握手を交わした。
そして、手を離すと、チュービンが隣へちらりと視線を向けた。
「おい、モフラン。お前も挨拶しろ」
名を呼ばれたモフランは、しばらくぼんやりとグリムを見つめていた。
それから、のそりと椅子から腰を上げ、眠たそうな目のままグリムを静かに見下ろした。
「……モフラン……です」
少し間を置いてから、ぎこちなくそう名乗る。
グリムは気圧された様子もなく、静かに右手を差し出した。
「よろしく、モフラン殿」
モフランは一瞬その手を見下ろし、
のそりと自分の手を差し出す。
ガシッ。
グリムはわずかに目を細めた。
「……大きな手だな」
モフランは半分閉じた目のまま、ぼそりと返す。
「……昔は……もうちょい小さかった」
――いや、当たり前でしょ……!
チュービンは、ミロからオレンジジュースを受け取ったモフランを見て、半ば呆れたように笑った。
「……ったく。お前は本当に気楽でいいな」
そう言ってから、自分のカップを持ち直す。
そして、ひと口飲んだあと――ふっと、表情を変えた。
「……さて、挨拶も済んだところで、さっそく本題に入らせてもらうが」
その声音には、さっきまでの軽さがなかった。
チュービンは椅子にもたれたまま、細く息を吐く。
「ここ数日で、街の裏側がずいぶん騒がしくなってきた。
……どうやら、想像以上に早く盤面が動き始めてる」
そう言って、旅マントの内側から革袋を取り出し、机の上へ無造作に置いた。
ドサッ――。
チュービンは指先で革袋を軽く叩き、低く続ける。
「……ドン・トラガロファミリーと、バルバス解放戦線が衝突した」
その瞬間、空気が張り詰める。
「いつもの小競り合いじゃねぇ。
カイラムの都市全域に――戒厳令が敷かれてる」
その一言に、空気がわずかに沈んだ。
グリムの眉が、ぴくりと上がる。
――どひゃ〜……マジっすか。
俺は思わず天井を仰ぐ。
いやちょっと待ってくださいよ。
もし俺たち、あと数日カイラムに行くのが遅れてたら、普通にど真ん中で巻き込まれてた可能性あるじゃないっすか……!
危ねぇ……!
鼻どころか、人生ごと曲がるとこだったわ……!
これは、笑ってる場合じゃないっす!
……平和な日常パート、どこ行ったんすかねぇ……。
――火種はもう、燃え上がる寸前だ。
《リトルリバー》より感謝を込めて!
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