6話 緊急事態
「き……緊急事態です!!!」
婚約破棄のあった翌日の朝。
ウィンゼル侯爵家、邸宅。
エミリーが卓で朝食をとっていたときだった。
廊下から、侍女スピカのわめく声が耳に届いた。
(まったく……いつも元気な子ね)
エミリーはやれやれと息をつく。
シチューの最後のひとすくいを口に運ぶ。
ごろごろとした羊肉を味わい、唇を拭った。
「――エミリーさま、緊急事態です!!!」
直後、扉が乱暴に開けはなたれる。
スピカが慌てた様子で部屋に飛びこんできた。
聞こえているわよ、と。
エミリーは呆れぎみに返事をする。
「そんなに慌ててどうしたっていう――」
――ズサアアアアッ!!!
エミリーが訊ねようとした瞬間。
それはエミリーの前に山のようにぶちまけられた。
「どうしたもこうしたも、これ見てくださいって!」
よほど全力で走ってきたのだろう。
スピカは肩で息をしながら、その山を指さす。
「これ……手紙?」
山の正体は、大量の手紙だった。
見たことのないほどの量だ。
10や20は軽くこえている。
しかもどの手紙も高級紙でしつらえられている。
差出人は貴族かそれに類するものに違いない。
「そうです、手紙です。しかも驚くなかれ、これぜ〜んぶ今朝届いたものなんですよ!」
「え……これぜんぶ?」
たしかにウィンゼル侯爵家は名門。
毎日多方面からの手紙が送られてくる。
だがそれにしても、これは多すぎる。
「いったいなんの手紙かしら……?」
「まずは一通だけでも読んでみてくださいって」
スピカは肩をすくめ、そう促してくる。
エミリーは手紙の山から一通を手にとる。
丁寧に封をきり、読みはじめた。
「……縁談!?」
しばしあって、手紙の内容を把握する。
それはエミリーをぜひ妻にという内容。
つまりは縁談の申しこみだった。
「そうです、この手紙ぜ〜んぶエミリーさまへの縁談の申しこみなんですよ! 緊急事態でしょう!」
スピカは妙に誇らしげにそう言った。
エミリーは目を見開く。
目の前の山と積まれた手紙。
このすべてが自分への縁談の申しこみだという。
いやいや、と。
エミリーはすぐに首を振り、苦笑する。
「……さすがにこれぜんぶなわけがないでしょう?」
一度に数十もの縁談を申しこまれる。
そんな話はさすがに聞いたことがない。
「そう思うなら、確かめてみればいいですよ」
「……」
言われるまでもない。
エミリーはふたたび手紙の山に手をのばしていた。
そこから無造作に一通を手にとる。
封をきって中身をざっとあらためていく。
(これも縁談……これも縁談……)
一通、また一通……と。
(これも縁談……これもこれも縁談!?)
次々に手紙の中身を確認していった。
伯爵家嫡男、公爵家次男、異国の第3王子。
その差出人はさまざまだ。
「……信じられないわ」
しかしどの手紙を読んでも、用向きは同じ。
ぜひエミリーを妻にというものだった。
開封した手紙のすべてが、である。
ね、ぜんぶ縁談でしょう? と。
やはり妙に誇らしげに胸を張るスピカ。
「みたいね、でもどうしていきなりこんなに?」
「昨日は殿下が派手にやってくれちゃいましたからね。まともな情報網のある貴族には、婚約破棄のことが伝わっているはずです。だからじゃないですか?」
昨夜エミリーの婚約が破棄された。
だからさっそく、縁談を申しこんできた。
たしかに話はわからなくもないが――
「……でも、昨日の今日よ? こんなに来るのはあきらかにおかしいでしょう? というか一通来ただけでも驚くぐらいだわ。そもそもわたくしは偽の聖女で、王太子に婚約破棄された傷物の令嬢なのよ? ふつうは関わりあいになりたくないものでしょう? なにかの間違いじゃないかしら?」
エミリーはその端正な眉をひそめる。
はああぁぁぁ、と。
スピカはため息をつきながら首を振る。
「お嬢さまは自分の価値を理解してなさすぎ!」
ビシッ! と。
勢いよくエミリーを指さすスピカ。
「……自分の、価値?」
エミリーはきょとんと首をかしげた。
「そうです、自分の価値! 貴方は陛下の信頼が厚いウィンゼル侯爵のひとり娘なんです、まずそれだけで縁談を申しこむには十分すぎるわけですよ」
たしかにウィンゼル侯爵家は力がある家だ。
権力も財力も、そして国王陛下からの信頼も。
けれどそれでも、だ。
昨日の今日でこの数はさすがにありえない。
「お嬢さま、話は最後までお聞きください」
ちっちっちっ、と。
はしたなく舌を鳴らしながら指を振るスピカ。
こういうところは貧民時代の癖が抜けぬようだ。
たしかに後ろ盾も大事ですが、と。
スピカはもったいぶりながら言葉を続け――
「なにより……この美貌ですよ!」
大真面目な顔でそんなことをのたまった。
そしてエミリーの頰を不躾にツンツンしてくる。
非常にうっとうしい。
「ぷにぷにと弾力があって……絹のように白く透明感のあるお肌! 天使の輪のごとき輝きを放つさらさらと流れるような髪! いまだ令嬢方をときめかせるクラストさま似の怜悧な顔立ちに、亡き母君エルメスさま似の宝石のように輝く蒼玉石の瞳が埋めこまれ……シュトワールの至宝とは誰が言ったか! もうわたしのお嬢さまが天使すぎてつらい! もうちゅうしたくなっちゃいます、ぶちゅううう!」
「……おバカ!」
ぺちん、と。
暴走するスピカの頬を両手ではさむ。
スピカはまるでタコのような顔になった。
ちょっとかわいい。
お嬢さまのいけずう、と。
スピカは唇をとがらせて不満をあらわにする。
だがコホンと咳払いすると、話に戻った。
「そしてお嬢さまの魅力といったらなにより、こんなわたしを温かく見守ってくれる聖母のごときやさしさですよね! ないがしろにされながらも、殿下に尽くしつづけた良妻ぶりも皆の知るところでしょう!」
うんうん、と。
ひとりで勝手にうなずくスピカ。
勝手に自己完結してもらってもこまる。
「まあとにかく……後ろ盾、美貌、そしてこの包容力! 非の打ちどころがないとはこのこと! 婚約破棄の場にいた男性陣は、いてもたってもいられずに即縁談の手紙をしたためたのでしょうね! わかる、エミリーさま天使ですもん!」
「……わかった、もうわかったから」
侍女の演説を聞きながら顔を赤くするエミリー。
まったく、聞いているだけで恥ずかしくなる。
彼女にはしばし口に蓋をしてもらいたい。
針と糸で上下縫いつけてもらってもかまわない。
「スピカはわたくしを買いかぶりすぎね」
「お嬢さま、謙虚がすぎると鼻につきますよ?」
むう、と。
不満な顔をつくるエミリー。
「……謙虚とかじゃないのだけれど」
自分はそんな大それた人間ではない。
それは自分が一番よく知っている。
「でもこれまでは一切こんなことはありませんでしたから、なんだかんだ殿下バリアは大きかったみたいですね。これからは楽しくなりそうです!」
お嬢さまのために殿方さがしがんばるぞ、と。
目を輝かせ、勝手にはりきるスピカ。
「……わたくしのことなのに楽しそうね」
逆です、と。
スピカは即答する。
「お嬢さまのことだからです。殿下に振りまわされてきたお嬢さまに今度こそいい殿方を見つけないと!」
「はりきりすぎよ。そもそもまだ正式に婚約破棄が決まったわけでもないのに、貴方も手紙をくださった方々も……悪いけれど性急すぎるわ」
「決まりですよ、当主さまがあれだけカンカンだったんですから。こっちから願いさげだこのアホ殿下って、殿下をぶっとばしていてもおかしくありません」
「またスピカったらそんなこと言って! お父さまは分別のある方だし、そんなことするわけないでしょ」
さあどうでしょう、と。
肩をすくめ、口笛を吹きはじめるスピカ。
(スピカったらお父さまのことわかってないわね)
父は自分のこと程度でそれほど怒る人ではない。
スピカよりも父と過ごした年月は長いのだ。
自分のほうが父のことはわかっている。
「……」
えっへん、と。
スピカに内心で勝ちほこるエミリー。
実際はまったく勝てていないのだが。
「……でも当主さま、お帰りにならないですね」
そうなのだった。
昨夜、殿下に謁見を申しこみに行った父。
深夜まで待っていたが、結局帰ってこなかった。
「謁見のあとそのまま城に泊まったのかしら?」
「遅かったから泊まって今日謁見かもしれませんよ」
「たしかにその線もあるわね」
面倒なことになっていないといいけれど、と。
つぶやきながらもエミリーの不安は大きくなる。
(胸騒ぎがするのよね……)
さいきんのリオンは、どこかおかしい。
元から直情的なきらいはあったのだ。
けれど、いまほど向こう見ずではなかった。
以前なら父の忠告を素直に受けいれただろう。
しかしいま、どうなるかは想像ができない。
「ま、縁談相手でも見定めながら待っていましょう」
軽い調子で言い、手紙を手にとるスピカ。
「……貴方は楽天的でいいわね」
「褒めないでくださいよ、照れちゃいます!」
えへへ、と。
本当に照れたように顔を赤らめるスピカ。
エミリーは呆れぎみに目を細めた。
「……なんにしろ、いまはまだ縁談なんて状況ではないわ。お断りの手紙をしたためておかなきゃ」
「ええええええ、もったいないですよ!」
考えなおしてください、と。
スピカがエミリーにすがりついてくる。
両頬をはさみ、強引に引きはがすエミリー。
ふたたびタコみたいな顔になるスピカ。
やっぱりちょっとかわいい。
「もしかしてすでに意中の殿方でも……?」
「まさかよ、婚約中なのにそんな方がいるわけ――」
そこまで言いかけ、エミリーは言葉をとめる。
ふと、ひとりの青年の顔が頭にうかんできたのだ。
夜会で助けてくれたあの優しげな青年の顔が。
「――――ないでしょう」
続いた言葉は、つい弱々しいものになってしまう。
しまった、と。
そう思いながら、ちらとスピカの様子をうかがう。
思ったとおり。
スピカはこれ以上ないぐらいにニヤニヤしていた。
「でゅふふ、いるんですねえ!? どこのどなたです!? わたしの知っているお方ですか!?」
「……いないわ」
「いまの感じでそんなわけないでしょう、なんで教えてくれないんですか! わたしとお嬢さまの仲で隠しごとなんてひどいですよお! この卑しいスピカめにこっそりお教えくださいよお!」
「……いないから教えられないわ」
完全にしらを切るエミリー。
(こういうときはしつこいのよね)
やれやれ、と。
エミリーは深いため息をついた。
そんないつものやりとりの最中だった。
「き……緊急事態でございます!!!」
慌ただしく飛びこんでくるものがまたひとり。
飛びこんできたのは、侍女長のエリザだった。
血相を変え、こちらに駆けよってくる。
(こんなに取り乱しているなんてめずらしいわね)
エリザは自分にも他人にも厳格だ。
我が家でマナーや礼節には誰よりも口うるさいのだが、いったいなにがあったのだろうか。
「エリザ、いったいどうしたの?」
「侍女長、食卓でマナーが悪いですよ?」
訊ねるエミリーに隠れ、嫌味を言うスピカ。
いつも注意されている腹いせだろう。
「マナーもへったくれもありません! エミリーさま、ゆゆしき事態です! 緊急事態なのですよ!」
緊急事態……? と。
唐突なことに首をかしげるエミリー。
「ここからすぐに逃げださねばなりません! エミリーさま、早急にご準備ください!」
「逃げる? どういうことなの?」
尋常ではない様子のエリザ。
これは大事かもしれない、と。
エミリーは端正な眉をひそめて耳をかたむける。
「まず、なにから説明すれば……」
エリザは言いあぐねるように口をパクパクさせる。
いつも冷静な彼女がこれほど焦るとは。
よっぽどのことなのだろう。
そして続いたエリザの一言は――
「当主さまが……王城に囚われたのです」
想像をはるかに超える緊急事態を告げた。




