5話 不穏な気配
シュトワール王国、王城。
謁見の間には、すさまじい魔力の渦により突風が巻きおこっていた。豪華できらびやかな調度品や美術品が、まるで木の葉のように舞いあがっている。
そしてその中心にいるのは、ひとりの男。
クラスト・ウィンゼルその人だった。
かつてこの王国で騎士団長を務め、国王の右腕として戦場を駆けた魔法騎士。他国には《血染めの侯爵》と呼ばれて恐れられた常勝の戦士である。
「……」
クラストは怒りくるっていた。
ぐつぐつと煮えたぎるような怒りが、クラストの全身から膨大な魔力となって噴出しつづけている。
そして血に飢えた獣のようなクラストの視線のさきには、また別のひとりの男がいた。
この国の王太子であり、現国王代理。
リオン・フォン・シュトワールだった。
「許さん、許さんぞ……」
地獄の底から湧きでているかのようなおどろおどろしい声が、クラストの喉から漏れる。
クラストにとって眼前の男は、さきほどまで忠誠を誓うべき国王の子息という存在だった。
わがままで傍若無人ではあるが、それでも王としてこれからこの国を担っていくものであり、しっかりと教育していかねばならない存在だった。
「……」
しかしいまは違う。
もはやあの男は、滅するべき存在。
娘ラブのクラストにとって、愛する我が娘に手をあげた至上最凶最悪最低の罪人であった。
無様に尻もちをついてガクガクと震える罪人。
一方で怒りにプルプルと震えるクラスト。
対称的な2人の視線が交錯した。
「ふ……不敬だぞ、ウィンゼル侯爵! ここがどこだと……俺が誰だと思っている! 国王代理である俺へのこの狼藉は到底許されるものではない! 父と仲がいいからと言って、あまり調子に――」
罪人リオンは最期まで言葉をつむげなかった。
「……ゴボッ!」
瞬間。クラストの拳がリオンの顔面に突きささる。
その整った顔面が醜くゆがみ、リオンは勢いよくふっとんだ。まるで球のように地面を跳ね、玉座のそばの壁に叩きつけられる。
「……」
クラストは、無様に地にふすリオンを睥睨する。
蛆虫――否、それ以下の存在を見る目だった。
苦しげな嗚咽をもらすリオン。
しかし同情の感情は一切湧いてこない。
発したのが謝罪なら、一考の余地はあったのだ。
拳100万発の刑だったところを、99万9999発ぐらいにしてやろうとは思っていたのだ。
だが一切の反省を見せぬどころか、逆上しているあの調子では、それは決してかなわない。
「あまり調子に乗るな……とはこちらの台詞でございます、殿下。貴方はたしかに陛下の子息だ。王太子であり、いまは陛下の代理を務めている。だが国王代理であっても、我が娘への度重なる狼藉は到底許されるものではない。ふぬけたその顔を100万発は殴らねば、この怒りはおさまりそうもありませぬ」
「ふ……ふざけるな! なにが100万発だ! そんなことをすれば俺は死んでしまう!」
リオンの悲鳴まじりの叫びに、しかしクラストはきょとんとした表情で首をかしげる。
「……なにを言っているのです、貴方のような蛆虫以下の存在は娘に死をもって償うほかないでしょう」
「……!?」
当たり前という顔でそんなことを言うクラスト。
リオンは呆気にとられて口をあんぐり開ける。
それからぎりりと歯噛みして――
「この親バカ侯爵めが!!!」
騎士たちよ、このものを取りおさえろ! と。
待機していた近衛のものたちに命じる。
刹那。騎士たちは一斉に動きだした。
さすが優秀な騎士のなかから選ばれたエリート。
その動きは常人離れしていて、統率もとれている。
騎士たちは全方位からクラストへと襲いかかり――
「――ヌンッ!!!」
しかしクラストが気合いの声を発した瞬間。
クラストを中心にして、魔力の波動が拡散した。
騎士たちはその波動に軽々と弾きとばされる。まるでドラゴンの突風に見舞われたかのようだった。
あるものは壁にぶちあたり、あるものは床に転がり、その多くがそのまま動かなくなる。
「……!?」
しかしその直後。
クラストは横合いから、強烈な殺気を感じる。
振りむくと、眼前に長剣が振りおろされていた。
クラストは瞬時に腕へと魔力を集める。
そして武装強化の呪文を唱え、自身の腕を剣代わりに長剣を受けとめた。
剣と腕での鍔迫りあいのようになったところで、急襲者とにらみあった。
リオンの側近、シリウス・ドラゴールだった。
「……ドラゴール家の者か、いい太刀筋をしている」
「バケモノめ……確実に殺れるタイミングをねらったのに、その程度の感想ですか」
瞬間。互いに剣を押しかえし、後方に距離をとる。
しかしシリウスが足を地面につく前に、クラストは次の攻撃へと移っていた。
バネのように地を蹴り、シリウスへと襲いかかる。
シリウスはそれに気づくが、いまだ足は空中にある。対応したくとも対応できない。
そしてシリウスの足が地についた瞬間。
クラストはシリウスの腹部に拳を叩きこんだ。
「速、すぎる……ッ!?」
シリウスはうめき声をあげ、目を見開いた。
「筋はいいが……まだまだだな」
「……グッ」
シリウスは膝を折り、そのまま崩れおちた。
まともにクラストの一撃の受けてしまったのだ。
もう立ちあがれまい。
「まさかシリウスまでも一撃で……!?」
リオンはぐるりとあたりを見回す。
しかしすでに立っている騎士はいなかった。
一瞬で自慢の近衛騎士たちがなぎ倒され、リオンは信じられないという顔で首を振った。
「ありえん、ありえんぞ……貴殿はケガで引退したのではなかったのか? 精鋭である我が近衛騎士を魔圧だけでふきとばしてしまうとは、そんなバカげたものがこの世に存在するわけが……」
「貴方の見ている世界が狭すぎるだけの話です」
クラストは冷たく言いはなち、リオンに歩みよる。
その顔は相変わらず、憤怒にゆがんでいた。
リオンは慌ててあとずさり、わめき声をあげる。
「ま、待て……待つのだ侯爵! これ以上の狼藉は貴殿の娘もどうなるかわからんぞ!」
「……それは脅しでしょうか?」
しかしそれはいまのクラストには逆効果。
クラストの眉間にさらなるシワが刻まれる。
「お、脅しではない! これは我が王国への立派な反逆だぞ! ウィンゼル侯爵家は取りつぶし……貴殿の娘も罪人として追われる身になるのだぞ!!!」
いかん、早くこの蛆虫を黙らせねばと。
むしろその愚かな言葉に、足が速まるクラスト。
「ご安心ください、陛下には殿下の教育を頼まれております。今回のことはわたしから陛下へ報告、謝罪させていただきます。寛容な陛下ならば穏便に済ませてくださることでしょう」
「ま、待て! 待てと言っておろう!!!」
謁見の間をゴキブリのように逃げまわるリオン。
しかしそれも長くは続かない。
すぐにクラストが壁際に追いつめてしまった。
こきこき、と。
手の関節を鳴らし、リオンに歩みよるクラスト。
「教育の時間でございます、殿下」
騎士も側近も打ちたおした。邪魔者はいない。
ようやくこの蛆虫を叩きのめせる。
クラストは全身が歓喜しているのを感じた。
だがしかし――
「…………!?」
背後から魔力の気配。
怪訝に思いながらも、超反応で振りむく。
禍々しい魔力の矢が、クラストにせまっていた。
クラストは対抗しようと手をかざす。
しかしクラストが放出した魔力を浴びてなお、黒い矢の勢いはとまらなかった。
(なんだこの矢は……ッ!?)
直後――グサリ、と。
クラストの腹部にまっすぐに突きたっていた。
「……ぐッ」
クラストは血塊を吐きながら、膝を折った。
ありえない。
武装強化の呪文でクラストは全身を強化していたのだ。言わば魔導金属の鎧をまとっていたようなもの。
にもかかわらず、矢は突きたった。
安々とクラストの体をつらぬいていた。
「――やった~! わ~い、当たった~!」
間のぬけた声が、静まりかえった謁見の間に響く。
両手をあげて、よろこんでいる小動物じみた少女。
それは男爵令嬢ジェニファー・ロマノフであった。
「ジェ……ジェニファーの魔法だったか、助かったぞ! あの侯爵を打ちとるとは、さすが真の聖女だ! 見事な魔法だったぞ!」
リオンは歓喜の声をあげ、令嬢に駆けよる。
えっへん、と。
ジェニファーは非常に誇らしげな顔だ。
「ジェニファー嬢、いまのは……本当にきみが?」
クラストは腹痛をこらえ、立ちあがりながら訊ねた。
その視線は鋭く細められ、男爵令嬢に向けられる。
ヒイイイイイイ、と。
クラストが動きだしただけでのけぞるリオン。
「もちろんですよ~! なんていったってあたしは聖女ですから~! 聖魔法は愛のためなら強くなるって言いますし、これもリオンへの愛ですかね~!!」
間のぬけた口調で答えるジェニファー。
はたからみれば、それはたしかに単なる純真無垢な少女の回答に思えなくもない。
しかしクラストにはそうは思えなかった。
「あれが聖魔法……だと?」
ハハハハハ、と。
クラストは乾いた笑い声をあげる。
「なにがおかしいのだ! 貴殿は魔法騎士の頂点に立っていたものであろう! それを打ちとれる魔法など、聖女特有の聖魔法でもなければありえまい!」
「たしかにそこらの魔法ではわたしの魔力を貫通しまい。だが、あの禍々しい魔力の矢を殿下もごらんになったでしょう。あれが聖魔法なものか。殿下、その男爵令嬢は危険です」
戦場で強敵と相まみえたかのように。
クラストはジェニファーを注視し、にらみつけた。
しかし当のジェニファーは間のぬけた顔のまま。
その愛らしい顔をぷくぅとふくらませる。
「え~、侯爵さまってばひど~い! ちょっとすごい魔法を使っただけで、バケモノみたいに言うじゃないですか~! エミリーさまが捨てられたからって、さすがにひどすぎませ~ん?」
「そうだ、侯爵よ! ジェニファーはこんなにも無垢で無邪気でかわいらしいのだぞ。娘が婚約破棄されて苛立っているとはいえ、さすがに言ってよいことと悪いことがある。むしろ危険なのは貴殿であろう!」
リオンを無視し、クラストはジェニファーを見る。
「……貴様は何者だ?」
しかしジェニファーはなにも答えない。
ただ無垢な表情でひょこと首をかしげるだけだ。
「あくまでもしらを切るつもりならば――」
力ずくででも、と。
クラストが臨戦態勢に入ったその瞬間だった。
――えい! と。
ジェニファーの間のぬけた声がふたたび響いた。
「……!?」
直後。
ジェニファーの華奢な手から、魔力があふれる。
やがて魔力は鎖となり、蛇のようにうごめきながらクラストに襲いかかった。
あまりの速さに、クラストでさえ反応しきれない。またたくまに全身をぐるぐるとからめとられ、身動きを封じられてしまう。
だがこの程度の鎖ならば、と。
クラストは強引にそれを引きちぎろうとした。
「……!?」
だが、鎖は一向にちぎれることはなかった。
いや、それどころではない。
締めつける鎖の力はだんだんと増しているようだ。
(これは……魔力が吸いとられているのか)
鎖はクラストの魔力をじわじわと吸収していた。
そしてその魔力で強度を増しているらしい。
「ただの鎖じゃないんですよ~? なんと縛った人の魔力を吸収して、もっともっと強くなっちゃうお得な鎖なんです~! ほらほら、もう苦しくなってきたでしょ~!? 自分の魔力で強化された鎖に締めつけられる気分はいかがですか~? どれだけ侯爵さまがすごくても、魔力を吸収された状態で自分の魔力で強化された鎖は引きちぎれないですよね~!」
「クッ……」
クラストは常人離れした肉体を持ってはいる。
だが魔力による強化がなければ、しょせんはただの力自慢。この強度の鎖を引きちぎるほどの膂力はない。
「……ふんっ、侯爵め! ざまあみろおおおおお! よくもやってくれたな、この親バカ男が! 今回のことはいかに寛容な俺でも、多めには見られんぞ。あきらかな反逆だ、反逆! そしてやはり……保留にしていた聖女の件についても、あらためてウィンゼル侯爵家を怪しまざるをえない」
「な……なんだとッ」
魔力が徐々に吸いつくされていく。
力の源である魔力が枯渇し、意識が朦朧としてくる。
「貴殿は娘を国母とするため、聖女の預言を偽った可能性がある! 聖女の存在は、シュトワール王国にとって一大事。それを偽ったとなれば、ゆゆしきことだ。貴殿と貴殿の娘をふくめた侯爵家のものたちは捕らえ、しかるべき形で罪をつぐなってもらおう」
リオンは勝ちほこったように言いはなつ。
「そが……ッ、……ぐッ」
そんなことが許されるものか! と。
そう声をあげたかったが、まともに声が出ない
鎖の締めつけはクラストの魔力を吸収し、あまりに強くなって肺を圧迫していたのだ。
「……フッ、猛獣もこうなれば猫のようだな」
牢へ放りこんでおけ、と。リオンがそう命じると、倒れていた騎士たちが緩慢ながら動きだす。
「……エミ、リー」
騎士たちの足音が、近づいてくる。
その音を聞きつつ、クラストの意識は闇に消えた。




