第八話 帰還
洞窟の外は、すでに真っ暗になっていた。
山の稜線すらほとんど見えず、周囲は深い闇に包まれている。
「さて、帰りましょうか!」
班長は相変わらず元気だった。
七生はまだ身体がだるかったものの、この暗闇では班長が先頭を歩かなければ道がわからない。いつまでも背負ってもらうわけにもいかず、自分の足で歩くことにした。
「大丈夫ですか、バナナ君?」
「……はい、なんとか」
「そうですか。無理はしないでくださいね」
お前がそれを言うのか。
七生はそう思ったが、もちろん口には出さなかった。
班長はアイテムボックスから懐中電灯を取り出すと、足元を照らしながら歩き始めた。六人はその明かりを頼りに、暗い山道を進んでいく。
洞窟を離れ、山小屋までの道のりを半分ほど進んだ頃だった。
「……ん?」
後方から、かすかに人の声が聞こえてきた。
七生が振り返ると、洞窟のあった方向が妙に騒がしくなっている。怒鳴り声のようなものが、夜の山に響いていた。
「おやおや、どうやらお帰りになったようですねぇ」
班長が呟いた。
おそらく、留守にしていた盗賊団の仲間が戻ってきたのだろう。入り口に転がっている見張りの死体を見つけたに違いない。
「まあ、ここで見つかったら面倒ですから」
班長はそう言うと、懐中電灯のスイッチを切った。
「……えっ?」
辺りが一瞬で真っ暗になった。月明かりすら届かない。七生たちは前を歩く者の足音を頼りに、互いにはぐれないよう必死についていくしかなかった。
「さあ、行きますよ。静かについてきてくださいね」
班長は何事もなかったかのように歩き始めた。
足元が見えないため、木の根につまずいたり、枝に顔を叩かれたりする。だが、立ち止まっている余裕はない。後ろから追ってくる者がいるかもしれないのだ。
七生は腹のあたりを気にしながら、必死に班長の後を追った。
ようやく山小屋にたどり着いた頃には、全員へとへとになっていた。
「はい、お疲れさまでした! 腹ごしらえして少し休んでから、トラックに向かいましょう!」
班長に促されて小屋に入ると、七生たちは思い思いの場所に腰を下ろした。
「いやぁ、またお弁当なのは申し訳ないんですけどねぇ」
そう言いながら、班長はアイテムボックスから人数分の食事を取り出した。
今度はカツカレーだった。
「おお……」
思わず七生の口から声が漏れた。
大きなトンカツが載ったカレーライスから、食欲をそそる匂いが漂ってくる。
「飲み物はどうします? ビールもありますよ!」
「マジで!? じゃあ俺、ビール!」
売り掛けが真っ先に手を上げた。ほかにもビールを希望する者がいたが、七生はコーラを頼んだ。
「はい、どうぞ!」
渡されたペットボトルは、驚くほど冷たかった。
蓋を開けて一口飲むと、冷たい炭酸が喉を刺激した。
「……うめぇ」
ビールを受け取った連中も、その冷たさに驚いている。どうやら班長のアイテムボックスは、飲み物を冷たいまま保存できるらしい。
七生はカツカレーを一口食べた。
腹を刺され、死にかけたばかりだというのに、ちゃんと腹が減っている。しかも、やけに美味い。
……人間って、案外しぶといんだな。
七生はそんなことを考えながら、もう一口カレーを頬張った。
食事を終え、しばらく休憩することになった。
七生は壁にもたれ、残ったコーラをちびちびと飲んでいた。
そこへ、寝不足が近づいてきた。
「なぁ、バナナ君って……あのバナナ君?」
「……え?」
七生は顔を上げた。
あのバナナ君? 妙な聞き方だ。まるで昔の自分を知っているような口ぶりだった。
「俺、高校で一緒だった堀内」
「えっ!? ……堀内って、あの?」
七生は思わず寝不足の顔をまじまじと見つめた。
言われてみれば、確かに面影がある。高校時代と比べるとずいぶん痩せており、顔つきも変わっていたので気づかなかったが、少し飛び出し気味の目元と、どこか人を値踏みするような目つきは昔のままだった。
間違いない。あの堀内だ。
七生の表情が曇った。
高校時代、七生には堀内に対していい思い出が一つもなかった。何かにつけて人を小馬鹿にし、周囲を巻き込んで笑いものにする。その中心にいたのが堀内だった。
もともと親しい友人から呼ばれていた「バナナ」というあだ名を、馬鹿にするための蔑称として使い始めたのもこいつだ。
あの頃は、名前を呼ばれるだけで嫌な気分になった。堀内が「バナナ」と口にすれば、周囲の連中がこちらを見て笑う。そんなことが何度もあった。
まさか、こんな場所で再会するとは。
「……堀内かよ」
せっかく落ち着いてきた気分が、一気に台無しになった。
「……なんだって、こんなバイトしてんだよ」
堀内が声を潜めて尋ねてきた。
七生は思わず眉をひそめた。こいつは確か、かなり裕福な家の息子だったはずだ。高校時代も親の金持ちぶりを何かとひけらかしていた記憶がある。
「お前こそ、金持ちのくせに闇バイトとか……お互い様だろ」
「ハハハハッ! 金持ちが闇バイトしちゃいけない法律でもあるのか?」
堀内が突然、高笑いして意味のわからないことを言い始めた。
ああ、これだ。
こいつは昔から、自分に都合の悪いことを言われると、こうして大げさに笑う癖があった。余裕があるところを見せたいのか、相手を馬鹿にしているつもりなのか、とにかく何か言い返す前には必ずこの笑い方をする。
堀内がまた口を開きかけた、そのときだった。
「ああ、そうそう。出発前に一つ言っておきますねー!」
班長の声が小屋に響いた。
全員がそちらを向く。
「あなた達は異世界に来てスキルを得たわけですが、それを日本に戻ってから世間にバレるようなことはするんじゃないぞー」
班長はいつもの調子で話し始めたが、途中から声が一段低くなった。
「そんなことになったら、死ぬよりまずい事になるからな」
そこには、いつもの陽気さも、脅すときのわざとらしい笑顔もなかった。ただ感情のこもらない声で、事実を伝えるように言っただけだった。
誰も返事をしなかった。
あの班長が、わざわざそんな言い方をする。それが何を意味するのか、七生には想像もつかなかった。
すっかり気勢を削がれた堀内は、七生をひと睨みすると、何も言わず元いた場所へ戻っていった。
七生としても、これ以上あいつと話したいとは思わなかった。
「さて、それじゃあ出発しましょうか。……あっ、そうそう! 忘れてた忘れてた!」
小屋を出ようとしていた班長が、何かを思い出したように手を叩いた。
アイテムボックスから茶封筒の束と大量の一万円札を取り出すと、テーブルの上に並べ、一枚ずつ数えながら封筒に詰め始めた。
「皆さん、お待ちかねのお給料ですよー!」
その言葉に、全員の視線が集まった。
「じゃあ、まずは残クレさん!」
「あ? 俺か」
呼ばれた残クレが近づくと、班長は茶封筒を一つ差し出した。
「はい、日給十万円。それにスキルを使って頑張ってもらった分もプラスしてますよ。二人やっつけたので、二万円のボーナスです!」
「……おう」
残クレは封筒を受け取り、中身を確かめた。
……人一人の命が一万円かよ。
七生は思わず顔をしかめた。もっとも、残クレ本人は金額に不満がないのか、黙って封筒をしまっている。
「次はトレーダー君!」
「フヒヒ……小生でありますな!」
「トレーダー君もスキルを見事に使いこなして大活躍でしたからねぇ。ボーナス二万円プラスです!」
「デュフフ! ありがたき幸せ!」
トレーダーは両手で封筒を受け取ると、嬉しそうに中を覗き込んだ。
「それからパパ活さん!」
「はいはい」
「パパ活さんには……そうですねぇ。お尻触っちゃった分、一万円プラスしときますね!」
「はぁ!?」
パパ活の顔が引きつった。
「いや、そこは普通に謝りなさいよ!」
「はい、ごめんなさいねー!」
班長は悪びれもせず封筒を手渡した。パパ活は不満そうだったが、結局受け取った。
「売り掛けさんもコールで皆んなのヤル気を上げてくれたので一万円プラスです」
ウェイウェイ言って十一万円は安いのか高いのか。
「さて、寝不足君ですが……」
「……はい」
「まぁ、活躍はしてくれたんですけどねぇ」
班長は封筒を手にしたまま少し考え、それを渡す際に寝不足の耳元へ口を寄せた。
何かを小声で囁いている。
七生には聞こえなかったが、寝不足の表情がわずかに変わった。
そして封筒を受け取った堀内は、なぜか七生の方を睨んできた。
……なんだよ。
目が合うと、堀内はふいっと顔を背け、元の場所へ戻っていった。
「はい! 最後にバナナ君!」
「……あ、はい」
七生が前に出ると、班長はにこにこと笑いながら一枚の封筒を差し出した。
「バナナ君は最後に油断して刺されちゃいましたけど、初めてですから仕方ないですねぇ。でも、今後の期待を込めてボーナス五万円プラスです!」
「……えっ、五万円?」
「はい! 合計十五万円になります!」
七生は封筒を受け取り、中身を確認した。
確かに一万円札が十五枚入っている。
「いや、俺、結局何もしてないんだけど……」
「そんなことありませんよ。あの状況から自力で助かったんですから、大したものです! 上の方にもしっかり報告しておきますね!」
班長は満足そうに頷くと、残った封筒や札を片づけた。
「いやー、今回は誰も死ななかったし、よかったよかった! 皆さん、次も期待してますよ!」
「…………え?」
全員が同じような顔をした。
次?
七生は封筒を握りしめたまま、班長を見た。
今日の仕事だけで十五万円。確かに大金だ。三日前までろくなものを食べられずにいた自分には、喉から手が出るほど欲しかった金だった。
だが、その代わりに腹を刺されて死にかけた。
しかも、今回は誰も死ななかったなどと班長は喜んでいるが、それは自分たち六人の話である。洞窟では何人もの人間が殺されていた。
それなのに、班長は当たり前のように次の仕事の話をしている。
……ちょっと待て。
次も確定なのかよ。
全員が唖然とした顔をしているのを見て、班長は不思議そうに首を傾げた。
「何を驚いてるんですか。うちは終身雇用制度のホワイト企業ですよ?」
……終身雇用。
七生は手元の茶封筒を見下ろした。
日給十万円、ボーナスあり、食事付き。確かに待遇は悪くない。
ただし、退職不可。
……それ、終身雇用じゃなくて終身刑だろ。
「さぁさぁ、それでは日本に戻りますよ!」
班長がパンパンと手を叩いた。
「帰るまでが遠足ですからね。気を抜かずに行きましょう!」
七生たちは重い腰を上げ、班長に続いて小屋を出た。
外は相変わらず真っ暗だった。班長が懐中電灯で足元を照らしながら先頭を歩き、六人はその後ろを黙々とついていく。
もう誰も余計なことを喋ろうとはしなかった。疲れもあったが、それ以上に今日一日の出来事があまりにも濃すぎた。
やがて、午前中にトラックで連れてこられた場所にたどり着いた。
白い二トンの箱型トラックは、すでにエンジンをかけた状態で待機していた。低いエンジン音が、静かな山の中に響いている。
「はい、到着! では皆さん、乗ってください!」
班長が荷台を指さした。
行きのときはあれほど揉めたというのに、今度は誰一人として文句を言わなかった。残クレも売り掛けも、黙って荷台に乗り込んでいく。
七生も最後に乗り込んだ。
「それでは日本に着くまで、ゆっくり休んでくださいね!」
班長がにこやかに手を振ると、シャッタードアがガラガラと閉められた。
荷台の中が真っ暗になる。
……こんなところで、ゆっくり休めるわけがないだろう。
七生は壁にもたれ、膝を抱えた。
いつまた何が起こるかわからないトラックの荷台である。
眠るなんて、できるはずが……。
ガラガラガラッ!
「皆さーん! お疲れさまでしたー!」
「……んあ?」
突然の音と班長の声に、七生は目を覚ました。
いつの間にか眠っていたらしい。
シャッタードアが開き、外の明かりが差し込んでくる。
そこには見覚えのある駐車場が広がっていた。
街灯に照らされたアスファルト。白線の引かれた駐車スペース。遠くに見える日本語の看板。
……日本だ。
ほかの連中も寝ぼけた顔で周囲を見回していた。どうやら全員、いつの間にか眠っていたようだ。
「はいはい、夜中ですからねー。あまり騒がず、速やかに降りてくださいね!」
班長に急かされ、六人はそそくさと荷台から降りた。
七生は久しぶりに踏みしめる日本のアスファルトを、妙に懐かしく感じた。
「では皆さん、また連絡差し上げますね!」
班長はいつもの笑顔で手を振ると、トラックの助手席に乗り込んだ。
ドアが閉まり、エンジン音が少し大きくなる。
白い二トントラックは、何事もなかったかのように夜の道路へ走り去っていった。
残された六人は、しばらく誰も口を開かなかった。
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