第七話 初陣
蹴り飛ばされた扉は、重力に逆らうように真横へ飛んでいった。
その進行方向に、運悪く一人の男が立っていた。扉は男を巻き込んで背後の壁に激突し、凄まじい音を立てて床に落ちた。
壁には、かつて人間だったものが赤黒いシミとなって残されていた。
「な、何だ!?」「敵襲だ! 武器を持て!」
部屋の中が一気に騒がしくなった。怒鳴り声と物音が重なり、武器を手にした男たちが飛び出してくる。
班長と残クレの姿に気づいた四人の男が、剣や短剣を構えて近づいてきた。互いに距離を取りながら、こちらの出方をうかがっている。見たところ、荒事には慣れているらしい。
しかし、足元への注意が足りなかった。
「うおっ!?」
先頭の男が突然足を止めた。靴底が床に貼りつき、いくら引っ張っても動かない。そのすぐ横で別の男が足を滑らせ、派手に転倒した。
「何だこりゃ!?」「くそっ、足が抜けねえ!」
ほかの二人も同じだった。四人はそれぞれ【ハニートラップ】に足を取られ、もがいている。力任せに引き抜こうとしても、琥珀色の粘液が糸を引くだけでびくともしなかった。
「寝不足君、今ですよ!」
「は、はいっ!」
班長の声に、寝不足が飛び出した。
最初の男の腕に触れると、その瞬間、男の意識が途切れた。膝から崩れ落ちるのを確かめる間もなく、寝不足は次の男へ向かう。
「な、何しやが……」
肩に触れられた男が、言葉の途中で眠りに落ちた。
続けて三人目、四人目。寝不足は必死に走り回り、次々と盗賊たちを眠らせていった。
そのとき、扉のあった場所から、もう一人の男が剣を構えて顔を覗かせた。仲間たちの異様な様子を見て、出ていくべきか迷っているようだった。
「トレーダー君、今です! デッキを引いてみてください!」
「き、来たでありますな!」
トレーダーは期待に顔を紅潮させ、右手を顔の前に構えた。
「ドロー!!」
勢いよく右手を振り抜くと、何もなかったはずの指の間に一枚のカードが現れた。
「おおっ! 出たであります!」
トレーダーはカードを一瞥すると、得意げに口元を歪めた。
「マジックカード発動! 『断罪の鉄槌』! 敵の武器を破壊する!」
カードが手の中から消えた。
同時に、金属が砕ける甲高い音が通路に響き渡った。
ハニートラップに捕まっていた四人と、扉の向こうから顔を出していた男。その全員が手にしていた武器が、まるで見えない巨大なハンマーで叩かれたかのように砕け散ったのだ。
「なっ!?」
七生は思わず声を漏らした。
本当に魔法みたいなことが起きた。しかも、あのトレーダーがやったのである。
「はい、いいですねぇ!」
班長は満足そうに頷くと、眠っている男の一人に近づき、無造作に顎を蹴り上げた。
男の顎が顔から外れ、横の壁に飛んでいった。続けて班長は、隣で眠っている男の顔面を踏みつける。鈍い音とともに頭部が潰れ、床に赤黒いシミが広がった。
その横では、残クレも動き始めていた。
「うおおおっ!」
雄叫びとともに、眠っている男の腹を蹴りつける。男の身体がくの字に折れ、そのまま床を滑るように吹き飛んだ。さらに残クレは隣の男へ向き直り、その頭を横から蹴り飛ばす。
班長ほどではないにしろ、とても人間の蹴りとは思えない威力だった。どちらの男も一撃で動かなくなった。
四人が倒れるまで、ほんの数秒の出来事だった。
「さらにドロー!!」
トレーダーは再び右手を振り抜いた。二枚目のカードが現れると、すかさずその効果を読み上げる。
「『死神』! 敵一体の命を刈り取る! ダイレクトアタックだ!!」
カードが消えた。
扉の向こうに残っていた男の身体がびくりと震えた。
何かに斬られたわけでも、殴られたわけでもない。それなのに、突然糸の切れた人形のように膝を折り、その場に崩れ落ちた。
それきり、ぴくりとも動かなくなった。
「デュフフフフ……!」
トレーダーは満足そうに笑っている。
……こいつ、ノリノリじゃねえか。
「皆さん、初めてにしては上出来ですよ!」
班長は六人を見回し、満足そうに頷いた。
「さて、お宝を頂きに参りましょう!」
つい今しがた人間を惨殺したばかりだというのに、何という切り替えの速さだろう。
班長を先頭に、七生たちは扉のなくなった入り口から部屋の中へ足を踏み入れた。
すると、部屋の隅に一人の女がいることに気づいた。
女は膝を抱えてうずくまり、顔を伏せたまま小さく震えていた。盗賊たちに捕まっていたのだろうか。
「ああ、まだいましたか。始末しておきますか」
班長が何でもないことのように言った。
「……え?」
七生は思わず声を上げた。
「いや、助けなくていいんですか?」
そう言いながら、女に近づいていった。
その瞬間だった。
女が突然立ち上がり、七生に向かって突進してきた。
「うわっ!」
避ける間もなく、女の身体が七生にぶつかった。
腹のあたりに、何かが押し込まれるような感触があった。
「……え?」
女が離れると、七生の腹の真ん中にはナイフが深々と突き刺さっていた。
七生は自分の腹を見下ろした。ナイフの柄が突き出している。その周囲に、じわじわと赤い染みが広がっていく。
「……あ、あれ?」
急に足から力が抜けた。
その場にへたり込み、身体が横に倒れる。遅れて激しい痛みが襲ってきた。
「きゃあっ!」
パパ活の悲鳴が響いた。
女が何か叫んだ次の瞬間、班長の拳がその顔面に叩き込まれた。
女の身体が吹き飛び、壁に激突して床に落ちた。そのまま二度と動かなかった。
「なんてことだ……バナナ君……」
班長が七生のそばにしゃがみ込んだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
寝不足がそう言ったが、班長が片手を上げて制した。ほかの連中も、どうしていいのかわからず立ち尽くしている。
七生は助けを求めようとしたが、うまく声が出なかった。腹が熱い。息をするだけで痛みが走る。
班長は残念そうに首を振った。
「有望株だと思ってたんですけどねぇ……」
そして、七生の耳元に口を寄せた。
「バナナ君、君のスキルをよく考えてみてください」
「……え?」
何を言っているのかわからなかった。
班長は腹に突き刺さったナイフの柄を握ると、何のためらいもなく引き抜いた。
「ぐあっ……!」
激痛に七生の身体が跳ねた。傷口から血が溢れ出し、服を赤く染めていく。
「はい、両手でしっかり押さえて」
班長は七生の両手を傷口に押し当て、強く圧迫するよう促した。それから何事もなかったかのように立ち上がり、部屋の奥へ続く通路に向かって歩いていった。
……おい。待ってくれよ。
助けてくれないのか。
七生は声を出そうとしたが、うまく息ができなかった。腹を押さえる両手がぬるぬると滑る。血が止まらない。
俺のスキル?
バナナをいつでも美味しく食べられるようにする。そんな能力で、一体何ができるっていうんだ。
意識がぼんやりしてきた。考えがまとまらない。
いつでも……。いつでもって、どういうことだ? 青いバナナでも、腐りかけたバナナでも、好きなときに美味しくできるってことなのか。
どうやって? 熟すのを早める? 時間を……加速させる?
だとしたら、何を加速させるんだ。バナナが熟すまでの時間? 中で起きている変化?
でも、何でバナナなんだよ。
こんなときにバナナなんか何の役にも立たない。せめて回復魔法だったら……。
回復。傷を治す。細胞を修復する。
……細胞?
七生は自分の腹を押さえる手に目を落とした。
身体だって、傷つけば自然に治ろうとする。血が固まり、傷口が塞がり、少しずつ元に戻っていく。
それを早められたら?
バナナをすぐに美味しくするように、身体の中で起きている変化を加速できたら?
腹に空いた穴を……。
血を止めるには……血小板……。
加速……。
血小板の働きを……加速……。
組織の修復を……加速……。
七生は最後の力を振り絞り、両手で押さえた傷口に意識を集中させた。
血を止める。傷ついた細胞を修復する。腹に空いた穴を塞ぐ。そのすべてを、できる限り速く……。
そこで七生の意識は途切れた。
どれくらい経ったのだろう。
気がつくと、目の前に班長の顔があった。
「おっ、気がつきましたか?」
「……は、はんちょう?」
声がかすれていた。身体はひどくだるかったが、先ほどまでの腹をえぐられるような痛みはなくなっていた。
七生は恐る恐る腹に手を当てた。服は血でべっとりと濡れている。しかし、その下にあったはずの傷口は塞がっていた。
少し離れたところでは、ほかのメンバーが七生を遠巻きに見ていた。パパ活は口元を押さえ、寝不足も心配そうにこちらを見つめている。
「おめでとうございます。やはり一番の当たりスキルでしたね」
班長は嬉しそうに笑った。
「……え?」
「さて、まだ無理はしない方がいいでしょう。ほら、乗ってください」
班長は七生に背を向け、しゃがみ込んだ。
促されるまま、その背中に身体を預けると、班長は七生を軽々と背負って立ち上がった。
「では、行きましょうか!」
班長はいつもの調子でそう言うと、七生をおんぶしたまま歩き出した。
その背中に揺られながら、七生はぼんやりと周囲を見回した。
「……あれ、仕事は……?」
「ああ、もう終わりましたよ。奥の倉庫に宝箱や金貨の入った袋がたくさんありましてね。全部アイテムボックスに回収しておきました」
「……もう?」
「ええ。いやぁ、残クレ君も頑張ってくれましたよ。倉庫の鉄扉を力ずくで開けちゃいましてねぇ。あれはなかなか見事でした」
どうやら自分が意識を失っている間に、残クレが頑丈な鉄扉を破壊し、班長がお宝を回収していたらしい。
「金貨の袋だけでも二十袋くらいありましたかねぇ。なかなかの収穫でしたよ!」
班長は上機嫌だった。
自分が腹を刺されて死にかけている間に、仕事はすっかり終わっていたようだ。
「それにしても、よく頑張りましたねぇ。あとは無事に帰って、お給料をもらうだけですよ!」
班長はそう言って、七生を背負い直した。
……俺、今回の仕事で何かしたっけ?
七生はそんなことを考えながら、班長の背中に顔を伏せた。
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