第四話 バナナのスキル
作業着のおっさんに連れられ、七生たちは山道を歩いていた。
道といっても、木々の間に細く伸びた獣道のようなものだった。ところどころ木の根が地面から突き出し、足元には石が転がっている。最後尾では、坊主頭の男とホスト風の男が痛む身体をかばいながら、遅れがちについてきていた。
先頭を歩くおっさんだけは妙に元気で、首にかけたタオルで汗を拭きながら鼻歌まで歌っていた。
そんなおっさんが、ふと思い出したように口を開いた。
「あぁ、そうそう。皆さん、今のうちにスキル確認しとくんですよぉ」
……スキル?
七生は首を傾げた。仕事に必要な資格でもあるのだろうか。そんなものは一つも持っていないし、運転免許すらない。そもそも未経験者歓迎という話だったはずだ。
そう口に出そうとしたところで、おっさんが振り返った。誰も返事をしないのを見て、何かに気づいたらしい。
「あぁ、そこからですねぇ。とりあえず『ステータスオープン』って言ってみてください」
……は?
ゲームじゃあるまいし、一体何を言っているのだろう。
ところが、その言葉に真っ先に反応したのは太った男だった。
「ス、ステータスオープン!」
男は突然目を見開いた。
「ブヒィ!」
歓声を上げ、何もない空間を食い入るように見つめている。しまいには空中に向かって指を動かし始めた。
ほかの連中も足を止め、そんな男を呆然と眺めていた。
「はい! 言われたことはすぐやる!」
おっさんの声が急に厳しくなった。
「ス、ステータスオープン!」
「ステータスオープン!」
ホスト風の男と坊主頭が、慌てて声を上げる。プリン頭の女と、若い男も続いた。
七生も仕方なく口を開いた。
「ステータスオープン!」
その瞬間、目の前に半透明の四角い板が現れた。
「うわっ!」
思わずのけぞった七生だったが、そこには確かに何かが浮かんでいた。薄い青色をしたボードで、向こうの景色が透けて見える。しかも、文字が書かれていた。
これ、あれじゃないか?
ゲームで散々見てきた、ステータス画面というやつではないか。
七生は目を凝らした。
最上段には名前とLV。その下にはHPとMP、さらにSTR、VIT、DEX、AGI、INT、MND、LUKという、ゲームでおなじみの項目が並んでいた。それぞれに数値が表示されているが、何を基準にした数字なのかはわからない。
そして、一番下にはスキルという欄があった。
七生はそこに書かれている文字を読んだ。
【バナナをいつでもおいしく食べられる】
「…………」
……何だ、これ。
バナナなんて普通に食べても美味しいだろう。それをわざわざスキルにする意味がわからない。
しかも、名前の欄には本名の榛葉七生ではなく、ただ一言、こう書かれていた。
バナナ。
「……何でだよ」
あれほど嫌だったあだ名が、こんなところでもついて回るらしい。しかもスキルまでバナナ関係ときた。
「す、すまぬでありますが、コレはまことのことでありますか?」
興奮した声が聞こえた。
例の太った男だった。
ついさっきまで怯えていたのが嘘のように、目を輝かせながら空中で指を動かしている。どうやらステータス画面を操作しているらしく、しきりにスマホをスワイプするような動作を繰り返していた。
……何だ、その喋り方。
「はいはい、もうすぐ着くから黙ってついてきてー」
おっさんは振り返りもせずに答えた。
「し、しかし、これはまさしく……!」
「はいはい、あとでねー」
取りつく島もなかった。それでも太った男は嬉しそうに画面をいじり続けている。
七生も自分のステータス画面に手を伸ばした。
指は半透明の板を何の抵抗もなくすり抜けた。しかし、試しにスマホのようになぞる動きをすると、それに合わせて文字が上下に動いた。
「……お?」
どうやら物理的には触れられなくても、指の動きには反応するらしい。
試しにHPの項目を指先で軽く叩くようにすると、その横に小さな説明が現れた。
『HP:体力』
続いてSTRをタッチしてみる。
『STR:力の強さ』
ほかの項目にも触れてみると、VITは耐久力、DEXは器用さ、AGIは敏捷性といった具合に、それぞれ簡単な説明が表示された。
ずいぶん親切な設計である。
七生は最後に、自分のスキルをタッチした。
『バナナを好きな時に美味しく食べられるようにできるよ!最高だね!』
「…………」
何だ、この説明。
まだ青いバナナでも美味しく食べられるということだろうか。それとも熟しすぎたバナナを食べ頃に戻せるとか?
そもそも、最後の「最高だね!」は何なんだ。フレーバーテキストのつもりなのか、それとも煽っているのか。
最高なのはお前の頭の中だろ。
七生は心の中で毒づきながら、前を歩くおっさんを追いかけた。
*
それから程なくして木々が途切れ、少し開けた場所に出た。
その一角に、小さな山小屋が建っていた。ログハウスのような洒落たものではなく、板張りの壁と簡素な屋根だけの、いかにも急ごしらえといった建物である。
辺りには電柱も電線も見当たらない。電気どころか水道すら通っていなさそうだった。
「はーい、到着しましたよー」
おっさんは小屋の前で足を止めると、何のためらいもなくドアを開けた。
「さあさあ、入った入った」
……鍵もかかってないのかよ。
真っ先に入口へ向かったのは太った男だった。しかし、そのまま土足で上がろうとしたところを、おっさんに呼び止められる。
「おいおい、靴くらい脱げよ」
「ブヒィッ!」
男は慌てて靴を脱ぎ、そそくさと中へ入った。七生たちも後に続く。
小屋の中には大きめのテーブルが一つと、七脚の椅子が置かれていた。部屋の隅にはブランケットらしき布が何枚も畳まれている。それ以外には目立った家具もなく、ずいぶん殺風景な部屋だった。
全員が入ったところで、おっさんも中へ入り、ドアを閉めた。
「まぁ、仕事はまだまだ後だから、くつろいでください」
そう言いながら、おっさんはテーブルへ向かった。
「とりあえず、飯、飯っと」
何もない空中に片手を伸ばす。
すると、その手に突然、弁当が現れた。
「……は?」
おっさんがテーブルに置いたのは、スーパーの惣菜売り場に並んでいそうな、透明な蓋のついた唐揚げ弁当だった。
再び空中に手を伸ばすと、また弁当が現れる。二個、三個、四個。まるで見えない棚から取り出しているかのように、次々とテーブルに並べていった。
「よし、六個っと。あとは飲み物だな。飲み物、飲み物っと」
今度はペットボトルのお茶だった。同じように何もない空間から一本ずつ取り出し、六人分を並べ終える。
七生は呆然とテーブルを見つめた。しかし、それ以上に気になるものがあった。
唐揚げ弁当だ。
透明な蓋の向こうには、こんがり揚がった唐揚げと、ぎっしり詰まった白いご飯が見える。
昨日の夕食はうまい棒一本。今朝も一本。それだけで山道を歩かされた身には、たまらない光景だった。
「ブヒィィィッ!」
突然、太った男が甲高い歓声を上げた。
「リーダー! それは、あ、アイテムボックスではありませぬか!」
アイテムボックス。
その言葉なら七生も知っていた。ゲームに登場する、荷物や道具を異空間に収納しておける便利な仕組みだ。
なるほど、あれがそうなのか。
……いや、そんなことより。
いつの間にリーダーになったんだ、あのおっさん。
「よせやい」
おっさんは照れくさそうに頭をかいた。
「私のことは班長とでも呼んでください」
そう言ってテーブルの上座に腰を下ろすと、再び空中に手を伸ばした。
「さて、まずは腹ごしらえ、腹ごしらえっと」
取り出したのは弁当箱と水筒だった。ただし、七生たちに配られたスーパーの弁当とは違い、布の袋に包まれた、いかにも家庭で作られたような弁当箱である。
班長は包みをほどき、蓋を開けた。
中には卵焼きやウインナーなどのおかずが綺麗に詰められていた。そして、ご飯の上には桜でんぶで大きなハートマークが描かれている。
……ハート?
「いやぁ、愛妻弁当食って帰らなきゃ怒られるから」
聞いてもいないのに、班長が嬉しそうに説明した。
妻帯者かよ!
さっきまで人間を荷物みたいに放り投げていた男が、奥さんの手作り弁当を食べている。しかも桜でんぶのハートマークつきだ。
「ほら、お皆さん食べて食べて」
班長に促され、七生たちも椅子に座った。
「いただきます!」
七生は割り箸を割るのももどかしく、唐揚げを一つ口に放り込んだ。
んまい!
噛むと肉汁が広がり、濃いめの醤油味が舌に染み渡る。続けて白いご飯を頬張った。
うまい。うますぎる。
がつがつとご飯をかき込み、唐揚げを頬張る。口の中がいっぱいになっても箸が止まらない。
「んぐっ……んまい……!」
気づけば、勝手に涙が溢れていた。
たかがスーパーの唐揚げ弁当である。それでも、ろくに食事を取れなかった七生にとっては、涙が出るほどうまかった。
ほかの連中も黙々と弁当を食べていた。プリン頭の女もホストも、さっきまで凄んでいた坊主頭でさえ、余計なことは何も言わず箸を動かしている。
ただ一人、太った男だけは違った。
「ブヒィ……! あ、温かいであります……!」
男は弁当を頬張りながら、感激したように呟いた。
「やはりアイテムボックス……! 時間経過がないのでありますか……? いや、収納時の状態を維持するタイプ……? 素晴らしい……!」
くちゃくちゃと咀嚼音を立てながら、ぶつぶつと独り言を続けている。
七生には何を言っているのかさっぱりわからなかった。
それよりも、今は唐揚げだ。
*
全員が弁当を食べ終えると、班長は空になった弁当箱を丁寧に包み直し、何もない空間に収納した。それから水筒のお茶を飲み、
「げえええっぷ!」
と、盛大なゲップをした。
「いやぁ、食った食った。それじゃあ、自己紹介でもしようかな」
班長は満足そうに腹をさすると、六人を見渡した。
「こういう仕事じゃ、あんまり個人情報を言うのもアレだから。皆さんも本名は名乗らなくていいですよ。何かわからないことがあったら遠慮なく聞いてくださいね」
「よし、じゃあ次はあなた」
班長は太った男を顎でしゃくった。
突然指名された男は、口元についたご飯粒を慌てて拭い、姿勢を正した。
「しょ、小生は田口……」
「おいおい、ちょっと待て」
班長が片手を上げて遮った。
「今、本名は名乗るなって言っただろ。ステータスに名前が書いてある名前があるでしょ」
「ブヒィ……あ、あれであるのですか……」
太った男は恥ずかしそうに俯いたが、すぐに気を取り直して胸を張った。
「しょ、小生のことは【トレーダー】と呼んでいただければ。フヒィ」
「ほう、トレーダーねえ。で、スキルはどんなの?」
「【デッキ】と書いてあるのであります! これはもしや、カードゲームのような能力ではありますまいか!」
「ふうん、デッキか。面白そうだなぁ」
班長は興味深そうに頷いた。
トレーダーにデッキ。七生は男をちらりと見た。本人がやたらと嬉しそうなのを見る限り、どうやら当人の趣味に合ったスキルらしい。
「よし、じゃあ次。そこのお姉ちゃん」
班長に指名されたプリン頭の女は、露骨に嫌そうな顔をした。
「……あんなもん、名乗りたくないわよ」
「いいから言えって」
班長の声が低くなった。女はびくりと肩を震わせ、渋々口を開いた。
「……パパ活」
「ん?」
「だから、パパ活よ! そう書いてあったの!」
「ぶはっ!」
班長が思わず吹き出した。慌てて口元を押さえたものの、肩が小刻みに震えている。
「くっ……すみません。こっちから聞いといて笑うとか、プププ⋯⋯」
「……最低」
女は不機嫌そうに腕を組んだ。
「で、スキルは魅了系?」
「【ハニートラップ】って書いてたわ」
「ほうほう、なるほど」
班長は納得したように頷いた。
七生は女の顔をちらりと見た。パパ活にハニートラップ。本人が嫌がるのも無理はない。
「よし、じゃあ次は……あなた」
班長が顎で七生を指した。
七生は一瞬ためらったが、どうせ渋ったところで怒られるだけだ。観念して口を開いた。
「……バナナです」
「バナナ?」
班長が聞き返した。ほかの連中も、なぜバナナなのかとでも言いたげな顔をしている。
やめてくれ。そんな目で見るな。
「で、スキルは?」
七生は口ごもった。
名前だけならまだいい。問題はスキルの方だった。しかし、ここで黙り込んだら何をされるかわかったものではない。
「……スキルは【バナナをいつでもおいしく食べられる】です」
「…………」
沈黙が流れた。
班長以外の全員が、明らかに「はぁ?」という顔をしていた。
わかる。言いたいことは痛いほどわかる。自分だって最初に見たときは同じ気持ちだった。
ところが、班長だけは違った。
七生の顔をじっと見つめると、目を細めて感心したように呟いた。
「ほぉほぉ、そりゃ当たりのスキルかもしれませんよぉ」
「……え? 当たりって?」
「そういうのは当たりのときが多いんですよ」
班長はそれだけ言って、次の人物へ目を向けた。
七生は自分のスキルを思い返した。
バナナを美味しく食べられるだけのスキルが当たり?
……このおっさん、バナナが大好物なのか?
「よし、じゃあ次はあなた」
班長が顎で指したのは、七生と同じくらいの年齢の若い男だった。駐車場で見かけたときから、どこか見覚えのある男だ。
「……寝不足です。スキルは【マイクロスリープ】です」
「マイクロスリープねぇ……」
班長は少し残念そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
七生は男をちらりと見た。マイクロスリープとは、確か一瞬だけ眠りに落ちる現象のことだったはずだ。それがスキルになって、いったい何の役に立つのだろう。
「よし、次。入れ墨のあなた」
班長が坊主頭を指した。
「チッ……」
男は舌打ちしてから、不機嫌そうに口を開いた。
「……残クレ」
「ぶはっ! 残クレですか! 名は体を表す言いますが」
班長は妙に感心した様子で頷いた。
「ふざけんな……なんなんだよ、コレはよ……」
残クレは忌々しそうに吐き捨てた。
「で、スキルは何です? 前借りとかそこらへんですか?」
「な、なんで知ってんだよ!」
残クレが驚いて顔を上げた。
「【前借り】って書いてあるけどよ! 何なんだよ、これ!」
「やっぱりそうですか。まぁ、ハズレスキルの部類だけど、使いようによっちゃまぁまぁ使えますよ。そうがっかりすほどじゃないです」
「……チッ」
残クレは再び舌打ちしたが、それ以上は何も言わなかった。
「じゃ、最後はあなた」
班長が顎で指したのは、ホスト風の男だった。
男はまだ背中が痛むのか、顔をしかめながら口を開いた。
「……売り掛け。スキルは【コール】って……なんなんすか、コレ」
「ぶははっ! やっぱりあなたホストですか!」
班長は声を上げて笑った。
「いや、笑い事じゃないっすよ。売り掛けって、俺の名前じゃねえし……」
「まぁ、コールならバフ系ですかね。悪くなさそうですよ」
「バフ? 何すか、それ」
「そのうちわかりますよ」
適当な返事だったが、売り掛けはそれ以上聞かなかった。
七生は六人の顔を見回した。
トレーダー、パパ活、寝不足、残クレ、売り掛け。そしてバナナ。
……なんだ、この集団。
名前だけ聞いたら、絶対にまともな連中だと思われないだろう。
「よし、自己紹介も済んだことだし、私は仕事の時間まで一眠りします」
班長は椅子から立ち上がると、部屋の隅に畳まれていたブランケットを一枚取り、床にごろりと横になった。
「あなたたちも、仕事がうまくいくように親交を深めるもよし。今のうちに休んどくのもよしです……」
そう言いながらブランケットにくるまり、目を閉じる。
こっちは仕事の内容すら教えてもらっていないというのに、勝手に昼寝を始めてしまった。
「ああ、それと……」
班長が目を閉じたまま付け加えた。
「逃げたら殺しますよ」
誰も何も言わなかった。
やがて班長のいびきが聞こえ始めた。
……冗談、じゃないよな。
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