第十五話 2回目のバイト
翌朝、七生は指定された集合場所へと向かっていた。
次の仕事を言い渡されてから一週間。とうとう二度目の異世界バイトの日が来てしまった。
六日間のトレーニングのおかげで、身体は見違えるほど逞しくなった。体力にも自信がついたし、スキルの使い方もある程度わかってきた。
しかし、だからといって仕事に行きたいわけではない。
……行きたくねえなぁ。
昨日、班長から聞かされた話が頭から離れなかった。
レベルを上げるには、人間を倒すのが手っ取り早い。そして今回の仕事では、七生にもレベルアップをガンガンしてもらうという。
……やっぱり人殺しをさせられるのかな。
いくら身体を鍛えたところで、人を殺す覚悟なんて簡単にできるものではない。もっとも、命を狙われたら相手を殺してでも生き残るつもりではあるのだが。
そんなことを考えながら、七生は集合場所の駐車場に到着した。
そこには、すでに三人の男女が集まっていた。
「おう、バナナじゃねえか!」
声をかけてきたのは、短く刈り込んだ坊主頭に刺青という、相変わらず迫力満点の残クレだった。
「残クレさん、お久しぶりです」
「その呼び方すんなっつーの」
残クレは顔をしかめたものの、それ以上は何も言わなかった。どうやら、今さら訂正しても無駄だと諦めているらしい。
「まあ、いいけどよ。……ん?」
改めて七生の姿を見た残クレが、目を見開いた。
「おい、お前……どうした、その身体」
「え?」
「え、じゃねえよ。お前、そんなガタイしてなかっただろ」
「ああ、ちょっと筋トレしてまして」
「筋トレぇ?」
残クレは七生の肩や腕をまじまじと見つめた。
「いやいや、筋トレってお前……一週間も経ってねえだろ?」
「まあ、そうなんですけど」
「フヒヒ……これは驚きましたなぁ」
横からトレーダーが割り込んできた。
「バナナ氏、見違えましたぞ。前回はもっと貧弱な体格だったと記憶しておりますが……」
「ええ、まあ。スキルを使って鍛えたんですよ」
「ほほう! あのバナナを美味しく食べるスキルで、ですかな?」
「……そうです」
「フヒヒヒ! 何とも興味深いですなぁ!」
トレーダーは興奮した様子で七生の身体を眺めている。
……何で俺、男二人に身体をじろじろ見られてるんだろう。
そんなことを考えていると、少し離れたところに立っていた女性と目が合った。
年齢は七生と同じくらいだろうか。黒髪に眼鏡をかけ、地味な服装をしている。小さなバッグを両手で抱え、所在なさそうに立っていた。
第一印象は、おとなしい女子大生といったところだった。
……新しい人か?
七生の視線に気づいた女性は、ぺこりと頭を下げた。
「あ……おはようございます」
「あ、おはようございます」
七生も慌てて頭を下げた。
「あの……こういうお仕事って、何度かやったことあるんですか?」
「いや、今回で二回目です」
「そうなんですね……。私、今日が初めてで」
女性は少し言いにくそうに視線を落とした。
「正直、ちょっと怖いんですよね。お給料があまりにも高いし、詳しい仕事内容も教えてもらえなくて……」
「……ですよね」
七生は曖昧に頷いた。
その不安は正しい。というか、実際の仕事内容を知ったら、怖いなんてものでは済まないだろう。
「ちなみに、今回の仕事内容って何か聞いてます?」
「いえ。現地で説明するって書いてありましたけど……」
「……そうですか」
七生はそれ以上、何も言えなかった。
女性は眼鏡の位置を直しながら、小さく笑った。よく見ると、なかなか可愛い顔立ちをしている。
……何でこんな子が闇バイトなんかに応募してきたんだろう。
もっとも、所持金九円で応募した自分が言えたことではないのだが。
そのとき、駐車場の入口からエンジン音が聞こえてきた。
見覚えのある白い二トンの箱トラックが入ってきたのである。
……来たか。
トラックは四人の前まで進むと、ゆっくりと停車した。
運転席には人影が見えた。前回と同じ運転手のようだったが、まだ薄暗いうえに車内も暗く、顔まではよく見えない。運転手は車から降りてくる様子もなかった。
やがて助手席のドアが開き、班長が降りてきた。
「いやあ、皆さん! おはようございます! 本日もよろしくお願いいたしますねぇ!」
相変わらず、朝から妙に元気である。
七生たちが挨拶を返すと、班長は七生に目を向けた。
「おや、バナナ君。昨日ぶりですねぇ!」
「……おはようございます」
「いやあ、今日もいい身体をしてますねぇ。実に頼もしい!」
班長はそう言いながら、手に持っていた缶コーヒーを軽く持ち上げた。
「あ、そうそう。バナナ君、これどうぞ」
「え?」
「本気で受け取ってくださいね」
ニコニコしながら、班長が缶コーヒーを投げた。
その瞬間、七生の背筋が凍った。
……速っ!?
缶コーヒーが、とんでもない速度で飛んできた。
普通に投げられた缶コーヒーなどではない。あの班長の怪力で放たれた、ほとんど砲弾のような代物だった。
まともに食らったら、間違いなく死ぬ。
七生は反射的にスキルを発動した。
……加速!!
周囲の動きが一気に遅くなった。
飛んでくる缶コーヒーの軌道を見極め、七生は腕を伸ばした。加速した身体で缶の動きに合わせ、勢いを殺しながら受け止める。
……加速解除!
「……っ!」
七生は缶コーヒーを握ったまま、思わず息を吐いた。
受け取れた。だが、心臓は激しく脈打っている。
……このおっさん、何しやがる!?
「おおっ!」
班長が嬉しそうに手を叩いた。
「いやあ、お見事です! ちゃんと受け取れましたねぇ!」
「……あ、ありがとうございます」
七生は引きつった笑顔で答えた。
……ありがとうございますじゃねえだろ、俺!
「おい、今の何だよ!?」
残クレが驚いた声を上げた。
「缶コーヒーが飛んだと思ったら、もうバナナが持ってやがったぞ!」
「フヒヒ……今、何かしましたな? 小生、まったく見えませんでしたぞ」
「ええ、まあ……ちょっとスキルで」
七生が曖昧に答えると、班長は満足そうに頷いた。
「いやあ、昨日聞いたとおりですねぇ。素晴らしい!」
……試したのかよ。
昨日、自分の身体を加速できると説明したばかりである。どうやら班長は、本当にそれができるのか確かめたかったらしい。
……失敗してたらどうするつもりだったんだよ。
ふと見ると、新入りの女性が目を丸くしていた。七生の手にある缶コーヒーと班長の顔を交互に見ている。
無理もない。何が起きたのか、さっぱりわからなかっただろう。
「さて、こちらもどうぞ」
班長は何事もなかったかのように、残クレとトレーダー、それに新入りの女性へ缶コーヒーを手渡した。
もちろん、今度は普通に手渡しである。
……何で俺だけ投げるんだよ!
七生は自分の手にある缶コーヒーを見つめた。幸い、缶は潰れていなかった。
しかし、今後この人から何かを渡されるときは、十分に警戒した方がよさそうだった。
「あ、あの……」
新入りの女性が遠慮がちに手を挙げた。
「今日のお仕事って、皆さんご一緒なんですよね?」
「ええ、もちろんです!」
班長はにこやかに答えた。
「今回は新人さんもいらっしゃいますので、皆さん仲良くしてあげてくださいねぇ」
「は、はい。よろしくお願いします」
女性はぺこりと頭を下げた。
「よろしく」
「よろしくですぞ、フヒヒ」
残クレとトレーダーが応じ、七生も頭を下げた。
そこで、七生は人数が足りないことに気づいた。
……あれ?
前回一緒だった売り掛けとパパ活がいない。それに、寝不足の姿も見当たらなかった。
寝不足については、班長から聞いた話を思い出すだけで嫌な気分になるので、できれば考えたくない。
だが、ほかの二人はどうしたのだろう。
「あの、班長。売り掛けさんとパパ活さんは?」
「ああ、お二人ならもう来てますよ」
「……え?」
「こちらです」
班長はトラックの後ろへ回り、荷台の扉を開けた。
その中を覗き込んだ七生は、思わず言葉を失った。
「…………」
売り掛けとパパ活がいた。
ただし、普通に乗っているわけではない。
二人とも両手を後ろ手に縛られ、足まで拘束された状態で、荷台の床に転がされていたのである。
「……は?」
「バナナ! お前、助けてくれよ!」
「ちょっと! 何なのよ、この会社! ありえないんだけど!」
二人は七生たちの姿を見るなり、口々に叫び始めた。
七生は思わず班長を振り返った。
「あの……班長。これ、どういうことですか?」
「いやあ、困っちゃいましてねぇ」
班長は苦笑した。
「お二人とも、今回の出勤を拒否されまして。何度説明しても、もう行きたくないの一点張りだったんですよ」
「……はあ」
「ですから、仕方なくお迎えに上がったんですけど、なかなか協力していただけなくて」
班長は荷台の二人を見ながら、残念そうに首を振った。
「最終的には、こうして連れてくるしかありませんでした」
……いや、仕方なくって。
どう見ても、出勤を嫌がる従業員というより誘拐事件の被害者だった。
「まったく、困ったものです。うちは終身雇用だって、最初に説明したはずなんですけどねぇ」
班長はやれやれと肩をすくめた。
……終身雇用って、そういう意味なのかよ。
七生は改めて、自分がとんでもない会社に就職してしまったことを実感した。
そのとき、隣にいた新入りの女性が小さな声を上げた。
「あ、あの……どうして、あの人たち、縛られてるんですか……?」
当然の疑問だった。
班長は振り返り、いつもの笑顔で答えた。
「大丈夫ですよ。お二人はちょっと出勤を嫌がっただけですから」
「……え?」
「ちゃんと働く気になっていただければ、すぐに解放しますよ。もちろん、あなたはそんなことしませんよね?」
「は、はい……」
女性は青ざめた顔で頷いた。
七生はその様子を見ながら、心の中で同情した。
……気の毒に。
初めての闇バイトで、いきなり拘束された先輩を見せられるとは。
もっとも、自分だって初回の集合時には、トラックへの乗車を拒否した人間が昏倒させられるところを見ている。
どうやら、この会社ではこれが普通らしい。
「さてさて! これで本日の参加者は全員揃いましたね!」
班長が手を叩いた。
「それでは皆さん、荷台に乗ってくださいねぇ」
残クレが真っ先に乗り込み、トレーダーもそれに続いた。七生も荷台に足をかけたところで、後ろを振り返った。
新入りの女性が、青ざめた顔で立ち尽くしていた。
「……あの、本当に乗らなきゃダメなんでしょうか?」
七生は答えに困った。
荷台の奥では、両手足を縛られた売り掛けとパパ活が転がっている。あれを見て、自分から乗りたいと思う人間がいるはずもない。
「もちろんですよ!」
代わりに答えたのは班長だった。
「大丈夫です。皆さんも最初は緊張されますからねぇ。さあさあ、乗ってください」
「……はい」
女性は諦めたように頷き、七生の後ろから荷台に乗り込んだ。
……まあ、乗らなかったらあの二人みたいになるんだろうしな。
全員が乗ったのを確認した班長は、満足そうに頷いた。
「それでは皆さん、本日もご安全に!」
そう言って、勢いよく荷台の扉を閉めた。
ガチャン、と外から金具をかける音がする。
「…………」
……ご安全に、じゃねえだろ。
「おい、バナナ! ちょっとこれほどいてくれよ!」
売り掛けが床に転がったまま、後ろ手に縛られた両腕を動かした。
「私も! もう、手が痛くてしょうがないんだけど!」
パパ活も身体をよじりながら訴えた。
「あ、はい。ちょっと待ってください」
七生は売り掛けのそばにしゃがみ込み、手首の縄をほどき始めた。ずいぶんきつく縛られていたが、何とか結び目を緩めることができた。
「いってぇ……。ったく、あのおっさん、マジで何なんだよ!」
自由になった売り掛けは、悪態をつきながら自分で足の縄をほどいた。
七生は続いてパパ活の拘束も解いた。
「ありがと。もう最悪……」
パパ活は手首をさすりながら身体を起こした。
「私、もう絶対やらないって言ったのに。家まで来て、無理やり連れていかれたんだから!」
「俺もだよ! 警察呼ぶって言ったら、あのおっさん笑いやがって!」
二人は口々に班長への不満をぶちまけ始めた。
……まあ、気持ちはわかるけどさ。
七生は荷台の扉を見た。
外から鍵をかけられている以上、縄をほどいたところで逃げられるわけではない。
結局、全員が異世界へ連れていかれることに変わりはなかった。
新入りの女性は、そんな二人の話を聞きながら、荷台の隅で膝を抱えるようにして座っていた。
……そりゃ怖いよな。
やがてエンジン音が大きくなり、トラックがゆっくりと動き始めた。
「フヒヒ……いよいよですなぁ」
「……何がそんなに楽しみなんですかね」
七生はトレーダーに呆れながら、荷台の壁にもたれかかった。
売り掛けとパパ活はまだ文句を言い続けていたが、トラックが走り出してしまった以上、どうにもならない。
前回と同じなら、このまま異世界へ連れていかれるのだろう。
……そういえば、前も途中で意識がなくなったんだよな。
そんなことを考えているうちに、急に眠気が襲ってきた。
「……あれ?」
周囲を見回すと、残クレが壁にもたれたまま目を閉じていた。トレーダーも身体を揺らしながら、うつらうつらしている。
さっきまで文句を言っていた売り掛けも、いつの間にか静かになっていた。パパ活は横になり、新入りの女性も膝を抱えた姿勢のまま眠り込んでいる。
……やっぱり、こうなるのか。
七生は目を開けていようとしたが、どうにもならなかった。
瞼が重くなり、次第に思考が鈍っていく。
トラックは相変わらず走り続けている。
……今度こそ、生きて帰れるといいな。
それを最後に、七生の意識は途切れた。
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