第十四話 チートスキル
拒否権のない次の仕事を言い渡されてから、六日が経った。
明日はいよいよ、二泊三日の異世界バイトである。
そんなことを考えていると、スマホからLINEの通知音が鳴った。送り主は班長だった。
七生は反射的に身構えた。
『バナナ君、お久しぶりです!
その後、調子はいかがですか?
以前、スキルの訓練にお付き合いすると申し上げていたのですが、家族サービスで忙しく、なかなか連絡できませんでした。
申し訳ありません!』
「……家族サービス?」
七生は思わずメッセージを読み返した。
あの班長が、家族サービス?
いや、別に家族がいてもおかしくない年齢だ。見た目だけなら、どこにでもいる普通のおじさんなのだから。
ただ、七生が知っている班長は、笑顔で人を殺し、堀内に何をしたのかも詳しく語らないまま、二度と笑えなくしたなどと平然と言ってのける人物だった。
そんな男が家では良き夫であり、良き父親だったりするのだろうか。
……想像できねえ。
休日には家族を連れて遊園地にでも行くのだろうか。子供にせがまれて観覧車に乗ったり、奥さんの買い物に付き合って荷物を持ったり。
あの人が?
七生は頭の中に浮かんだ光景を慌てて追い払った。
……どんな家庭なんだろうな。
少し興味はあるが、知ってしまったら余計なことまで巻き込まれそうな気がする。できれば一生知らずにいたい。
それにしても、あの班長がわざわざ謝ってくるとは思わなかった。こちらとしては、連絡がなかったおかげで平穏に過ごせたのだから、むしろありがたいくらいだ。
七生は少し考えてから返信を打ち込んだ。
『お気遣いいただきありがとうございます。
実はあれから、スキルの使い方が少しわかってきました。』
送信ボタンを押した、その直後だった。
ピロン♪
「…………え?」
音がしたのは、スマホからではなかった。
玄関ドアの向こうだ。
七生はゆっくりと玄関に顔を向けた。
……いや、まさかな。
恐る恐る玄関に近づき、ドアをほんの少しだけ開ける。
その隙間から、こちらを覗き込んでいる顔があった。
班長だった。
目が合った瞬間、班長はにっこりと笑った。
「きちゃった」
「…………」
七生は無言でドアを閉めたくなった。
しかし、そんなことをすれば何をされるかわからない。仕方なくドアを大きく開けると、班長はいつもの人懐っこい笑顔で挨拶してきた。
「どうもどうも、お久しぶりです、バナナ君!」
「……どうも」
「いやあ、せっかく近くまで来たものですから。立ち話もなんですし、上がらせてもらいますね」
「えっ、あの……」
七生の返事を待たず、班長はさっさと靴を脱ぎ始めた。
……いや、入っていいなんて一言も言ってねえんだけど。
もちろん、そんなことを口に出せるはずもない。
班長は脱いだ靴をきちんと揃えると、まるで自分の家に帰ってきたかのような気軽さで部屋へ上がった。
「いやあ、お邪魔しますねぇ」
七生も慌てて後を追った。
ところが、部屋に入った班長が振り返り、七生の姿を改めて見たところで、その目がすっと細まった。
「……おや?」
「……はい?」
班長は七生を上から下まで眺めた。
「バナナ君……いったい、どんなスキルを使ったらそうなるんですか?」
「……え?」
七生は思わず自分の身体を見下ろした。
六日前までの七生は、十キロの米袋を運ぶだけでへばり、腕立て伏せすらまともに一回できない貧弱な男だった。
ところが今は、肩幅が広がり、胸板にも厚みが増している。腕にははっきりと筋肉が浮かび、以前は余裕のあったTシャツも、肩や胸のあたりが窮屈になっていた。
当初の目標は、せめて成人男性の平均程度の体力を身につけることだった。だが、今の七生は平均どころではない。たった六日間で、見違えるほど逞しい身体になっていたのだ。
「いや、その……筋トレとジョギングをしていただけなんですけど」
「筋トレとジョギング?」
「はい。まあ、スキルも使いましたけど……」
「ほほう。それはぜひ詳しく聞かせていただきたいですねぇ」
班長は興味津々といった様子で腰を下ろした。
七生も向かいに座り、この六日間でわかったことを説明し始めた。
「ええと、最初はバナナを熟成させるだけのスキルだと思ってたんですけど、色々試しているうちに、熟成以外にも使えることがわかってきたんです」
「ほうほう」
「進む速度を速めたり、逆に遅くしたりできるみたいなんですよ。ただ、何にでも使えるわけじゃなくて。例えば炊飯器でご飯を炊くのを速めようとしても、全然ダメでした」
七生はそこで、自分のステータス画面を開いた。
「それで、どうもバナナにしか使えないんじゃないかって思ったんです。最初は意味がわからなかったんですけど、ステータス画面の名前を見て気づいたんですよ」
「……バナナにしか?」
「はい。ステータスを確認したら、名前がバナナになってたんです。だから、俺自身にもスキルが使えるんじゃないかと思って」
「なるほど、なるほど。それで?」
「試してみたら、本当に使えたんですよ。筋肉の修復とか、運動したあとの疲労回復とか。食べ物の消化吸収まで加速できたんです」
班長は興味深そうに頷いた。
「それで筋トレとジョギングを始めたんです。最初は普通にやってたんですけど、途中からは自分の身体を加速させて、腕立て伏せなんかもやってみました」
「ほう。加速した状態で、ですか?」
「はい。普通じゃ考えられない速さで身体を動かせるんですけど、その分、筋肉にかかる負担もすごいんですよ。あっという間に限界になるんです」
全身を加速させたトレーニングは、想像以上に過酷だった。
高速で腕立て伏せを繰り返せば、通常とは比較にならない負荷が筋肉にかかる。限界に達したら加速を解除し、筋肉の修復と疲労回復を加速させる。回復したら、またトレーニングを再開する。
ジョギングも同様だった。疲労を回復させながら走り続け、徐々に速度を上げていった。最後の方はダッシュを繰り返すようになり、酸素を運ぶ血液の流れや、それを送り出す心臓の鼓動まで加速させていた。
もちろん、心臓の動きを速めすぎて怖くなったこともある。全身を加速させれば酸素の消費も激しくなり、身体への負担は想像以上だった。それでも、加速と回復を繰り返しながら、少しずつ身体を鍛えていったのである。
「ただ、回復を何度も繰り返してると、すごく腹が減るんですよ。筋肉は元気なのに、身体全体がだるくなっちゃって」
「でしょうねぇ。身体を修復するには、それだけのエネルギーが必要ですから」
「そうなんです。それで、とにかく食べました。米と卵と納豆と鶏むね肉、それにブロッコリーですね。間食にプロテインも飲んでました」
「ほう。どのくらい食べたんです?」
「最後の方は、一日三十食くらいですね」
「……三十食?」
「はい。消化吸収を加速させると、すぐにまた腹が減るんですよ。筋肉の修復にも栄養を使うみたいで」
六日間で米だけでも二十キロ以上を消費した。食費は五万円近くに達し、レシートを合計したときには本気で頭を抱えたものだ。
……五万円だぞ、五万円。
ついこの間まで所持金九円だった七生にとっては、気軽に使える金額ではない。それでも、明日の仕事で死ぬよりはマシだと思って続けてきたのである。
「それだけスキルを使ったら、MPが足りなくなりませんか?」
「あ、それも最初は困ったんです。でも、食事をして栄養を吸収するとMPも回復するんですよ。消化吸収を加速させればMPの回復も早くなるみたいで、残量を確認しながら繰り返してました」
「なるほどねぇ」
「それと、同じ使い方を何度も繰り返していたら、スキルの表示まで変わったんです」
「……ほう?」
七生はステータス画面から、スキルの詳細を開いた。
【バナナをいつでもおいしく食べられる】
├【筋肉修復加速】
├【疲労回復加速】
└【代謝加速】
「元のスキルの下に、筋肉修復加速、疲労回復加速、代謝加速っていう項目が増えてたんですよ。最初はなかったんですけど、何度も使っているうちに、いつの間にか」
「ほほう。スキルが枝分かれして表示されるようになったんですねぇ」
「はい。あと、ステータスの数値も上がってました」
七生は画面を切り替え、現在の数値を確認した。
LV 1
HP 15/15
MP 20/20
STR 13
「最初はHPが七で、MPが十五、STRなんて六しかなかったんですよ。それが今はHP十五、MP二十、STR十三になってて。レベルは一のままなんですけどね」
「レベル一のままで、ですか」
「はい。普通ならもっと長い時間をかけて鍛えるところを、スキルで回復を速めながら何度も繰り返したんです。正直、ここまで変わるとは思ってませんでした」
班長は腕を組み、何度も頷いていた。
「いやあ、なるほど。そういうことでしたか」
「だから、今なら米十キロくらい余裕で運べますよ。最初はあれだけでも大変だったんですけどね」
七生は少し得意になっていた。
この六日間、まともに人と話す機会もなく、ひたすら身体を鍛えていたのである。その成果を誰かに聞いてもらえるのが、思いのほか嬉しかったのだ。
……あれ?
そこで、ようやく気がついた。
俺、今、この人にスキルの仕組みからステータスまで全部喋っちゃってないか?
七生が恐る恐る顔を上げると、班長は満面の笑みを浮かべていた。
「それ、完全にチートスキルってやつですよ!」
班長は嬉しそうに手を叩いた。
「やっぱり私が思ったとおり、何かありましたねぇ。いやあ、ラッキーですねぇ! 羨ましいですねぇ!」
「……はあ」
班長は何度も頷いている。七生としては自分のスキルを褒められて悪い気はしないのだが、どうも引っかかることがあった。
……何でこの人、こんなに嬉しそうなんだ?
チートスキルを手に入れたのは七生であって、班長ではない。なのに、まるで宝くじにでも当たったような喜びようである。
気になった七生は、つい尋ねてしまった。
「あの……何で班長がそんなに嬉しそうなんですか?」
「ん? ああ、そうですねぇ」
班長は顎に手を当て、少し考えるような仕草をした。
「本当はあんまり喋っちゃダメなことなんですけど……まあ、バナナ君ならいいか」
……え?
七生は途端に嫌な予感がした。
この人が「あんまり喋っちゃダメ」と言うような話を、俺が聞いても大丈夫なのだろうか。
「実はですねぇ、うちの会社、優秀な人材を集めているんですよ」
「……優秀な人材、ですか?」
「ええ。バナナ君たちも体験したとおり、こちらの世界から向こうの世界、つまり異世界に行くと、なぜかスキルを貰えるんですねぇ」
「……ああ、はい」
それは七生も知っている。あの白い二トントラックに乗せられ、異世界へ連れていかれたあと、気がつけばステータス画面とスキルが使えるようになっていた。
「ただ、どんなスキルが貰えるかは、実際に行ってみるまでわからないんですよ。ですから、うちとしても、なかなか難しいところがありましてねぇ」
班長はそこで言葉を切り、七生を見た。
「そんな中で、バナナ君みたいな方が見つかったわけですから。そりゃあ、嬉しくもなりますよ」
そう言って、また目を細めた。
……いや、ちょっと待て。
七生は今の説明を頭の中で整理した。
優秀な人材を集めている。異世界へ行くとスキルが貰える。どんなスキルになるかは、行ってみるまでわからない。
七生は、山小屋で初めて顔を合わせた五人の応募者たちを思い出した。
……もしかして、俺たちって、スキルの当たり外れを調べるために集められたんじゃないのか?
「いやあ、それにしても楽しみですねぇ。バナナ君なら、すぐに私なんかよりずっと強くなっちゃうんじゃないですか?」
班長は相変わらず上機嫌だった。
「いやいや、そんなわけないでしょう!」
七生は慌てて否定した。
脳裏に浮かんだのは、最初の仕事で訪れた盗賊のアジトだった。
あのとき班長が見せた、常識外れの強さ。いくら六日間で身体を鍛えたとはいえ、あの人に追いつけるとは到底思えなかった。
……そういえば、班長のスキルって何なんだ?
七生は今まで一度も聞いたことがなかった。あの異常な強さも、何かのスキルによるものではないだろうか。
「あの、班長も何かスキルを使ってるんですよね? あの盗賊のアジトで見せた怪力とか……」
「ん? ああ、あれですか」
班長はあっさりと頷いた。
「残念ながら、あの怪力は私のスキルとは関係ないんですよ」
「……え?」
「私のスキルは【アイテムボックス】なんです」
「……アイテムボックス?」
「ええ。ゲームによくある、あのアイテムボックスそのままのスキルですねぇ。物を自由に出し入れできるんですよ」
班長はそう言うと、何もない空間に手を伸ばした。次の瞬間、その手には大きな赤い宝石のようなものが握られていた。
「ほら、こんな感じです」
「……おお!」
七生が思わず身を乗り出すと、班長は宝石を消し、代わりに見たこともない植物を取り出した。紫色の葉に、奇妙な形の実がぶら下がっている。
「これなんかは向こうの世界で採れた植物ですね。名前は忘れちゃいましたけど」
植物を消した班長は、今度は黒い拳銃を取り出した。
「こちらは日本製ですねぇ」
「ちょっ、拳銃!?」
「ええ。これもちゃんと収納できますよ」
班長が手を軽く振ると、拳銃は跡形もなく消えてしまった。
「いやあ、便利なんですよ。重さも感じませんし、荷物を持ち歩く必要がありませんからねぇ」
まるで便利な買い物袋の話でもするような口調だった。
……いや、確かに便利だけどさ。
それにしても、物騒なものまで入っている。
「……でも、それって物を出し入れするスキルですよね?」
「そうですよ?」
「じゃあ、あの怪力は……?」
班長はきょとんとした顔で七生を見た。
「レベルが上がれば、誰でもあれくらいできるようになりますよ」
「……はい?」
「こちらの世界から向こうの世界へ行った人間は、レベルアップが可能なんですよ。レベルが上がればステータスも上昇しますからねぇ」
七生は思わず班長の顔を見つめた。
レベルが上がれば、あの怪力が手に入る?
スキルを使わなくても、あれほど強くなれるというのか。
「……じゃあ、班長のあの強さって、スキルじゃなくてレベルのおかげなんですか?」
「そうですよ? もちろん、ステータスの上がり方には個人差がありますけどねぇ」
班長は何でもないことのように頷いた。
七生は自分のステータスを思い浮かべた。
六日間、あれほど無茶なトレーニングを繰り返して、ようやくSTRが六から十三になった。それでも、班長の強さには遠く及ばない。
……というか、俺、まだレベル一なんだけど。
「あの、ちなみに班長って、今レベルいくつなんですか?」
七生は恐る恐る尋ねた。
「そうですねぇ。あまり人に教えるようなことじゃないんですけど……」
班長は少し考えるように顎を撫でた。
「まあ、我が社の幹部候補であるバナナ君になら、いいかな」
「……幹部候補?」
七生は思わず聞き返した。
……いや、待ってくれ。俺、いつ幹部候補になったんだ?
そもそも入社した覚えすらないのに、勝手に出世コースに乗せられているらしい。まったく嬉しくなかった。
「私のレベルは、百を超えているとだけお伝えしておきましょうかねぇ」
「……ひゃく?」
「ええ。それ以上は内緒です」
班長は唇の前に人差し指を立て、いたずらっぽく笑った。
百を超えている。
七生は改めて目の前の男を見た。
見た目はどこにでもいそうな、愛想のいい中年男性である。その男がレベル百を超える怪物だというのだから、もう何を信じればいいのかわからない。
……というか、そんな人が班長やってる会社って、いったい何なんだよ。
そこで、七生はもう一つ気になっていたことを尋ねた。
「あの……ちなみに、レベルってどうやれば上がるんですか? やっぱりモンスターを倒したりとかですかね?」
以前遊んだRPGを思い浮かべながらの質問だった。異世界なのだから、魔物を倒して経験値を稼ぐというのが定番だろう。
「まあ、そうですねぇ。モンスターでもそこそこいけるかもしれませんけど、大体は人間ですね」
「……はい?」
「人間ですよ、人間」
班長は何でもないことのように答えた。
七生は再び、盗賊のアジトでの班長の姿を思い出した。
……いや、ちょっと待て。
この人、さっき自分のレベルは百を超えてるって言ってたよな?
つまり、それだけのレベルになるまで、人間を相手にしてきたということなのだろうか。
七生は目の前の班長を見た。
……聞かなければよかった。
「まあ、そんなわけでしてね。次の仕事ではバナナ君にもレベルアップをガンガンしてもらいますから、楽しみにしていてくださいね!」
班長は満面の笑みを浮かべた。
「…………」
七生は返事ができなかった。
ついさっき、レベルを上げるには人間を倒すのが手っ取り早いと聞かされたばかりである。
その直後に、次の仕事ではレベルアップをガンガンしてもらうと言われたのだ。
……それって、つまり。
明日からの二泊三日で、俺に何をやらせるつもりなんだ?
班長は相変わらず楽しそうに笑っている。
俺はまた限界だと思った。
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