第十三話 拒否権なし
七生は嫌な予感を覚えながら、『高収入案件紹介センター』から届いたLINEを開いた。
『いつもお世話になっております。
ご紹介しました案件はいかがだったでしょうか。
報酬の面では他社の追従を許さないと自負しております。
早速ですが、次の案件のご紹介をさせていただきます。
一週間後、宿泊有りの案件がございます。
二泊三日で送迎食事付き、日当10万円となります。
なお、案件の拒否は不可能となります』
「…………」
七生は最後の一文を見つめた。
……いや、拒否できねえのかよ。
案件の紹介とか言いながら、選択の余地がまったくないではないか。しかも、今度は二泊三日の泊まり込みらしい。
七生は改めてメッセージを読み直した。日当十万円。二泊三日なら三十万円だ。
「……三十万かぁ」
思わず声が漏れた。
送迎付きで食事も出る。宿泊費だってかからないのだろう。条件だけ見れば、とんでもなく割のいい仕事だった。
もっとも、前回はその日当十万円のために腹を刺されて死にかけたわけだが。
……今度は三日間もあるのか。
班長は、この前の仕事を退屈だと言っていた。もっとドキドキワクワクする異世界冒険譚のような仕事も紹介できる、とも。
まさか、今回がそれじゃないだろうな?
あの調子じゃ、絶対まともな仕事のはずがない。仕事内容を心配するより、まず自分の命を心配しなければならないようなことをやらされるはずだ。
「……どこが案件の紹介なんだよ」
七生はため息をつき、スマホをちゃぶ台に置いた。
ついさっき、まっとうな仕事をして人生をやり直そうと決意したばかりだったのに、もう次の闇バイトが決まってしまったらしい。
……あと一週間か。
それまでに何かできることはないだろうか。
七生は自分の手を見つめた。やはり、今できるのはスキルの検証くらいだろう。班長がチート能力かもしれないと言っていたのだから、使いこなせるようになれば、生き残る確率も上がるはずだ。
まず気になるのは、さっき試した加速である。
身体全体を加速させたから、あんなに負担がかかったのではないだろうか。例えば、腕だけを加速させるとか。
……いや、それだと肩や肘がぶっ壊れそうだな。
だったら、目や脳の働きだけを加速させるのはどうだろう。周囲の動きをゆっくり見ることができれば、相手の攻撃にも対応しやすくなるはずだ。
もちろん、見えていても身体が動かなければ避けられないのだが。
問題は、そんな器用な使い方ができるかどうかだ。失敗したときのことを考えると、いきなり試すのも怖い。
そこで、七生は別の可能性に思い当たった。
……そういえば、俺のスキルって身体の修復もできるんだよな?
腹を刺されたときには、あんな大怪我を治すことができた。それなら、もっと小さなダメージの回復なんて簡単なんじゃないだろうか。
例えば、運動で疲れた筋肉や、心肺機能の回復を速めるとか。
七生は自分の細い腕を見つめた。
STRはたったの六。米十キロを運ぶだけでへばってしまうようでは、次の仕事で生き残れるかどうかも怪しい。
……そうだ、筋トレだ。
筋トレで傷ついた筋肉の修復を速められるなら、普通よりずっと短い間隔でトレーニングできるんじゃないだろうか。ランニングだって同じだ。走って疲れたら回復させ、また走る。それを繰り返せば、持久力だって効率よく鍛えられるかもしれない。
もちろん、疲労を回復させたからといって、いきなり筋肉が増えるわけではないだろう。それでも、普通なら休息に使う時間を短縮できるとしたら、かなり便利な能力だ。
「……これ、意外とすごくね?」
無理に身体を加速させて超人の真似をするより、こっちの方がよほど安全そうだ。それに、いくらスキルが強力でも、使っている本人が貧弱では話にならない。
とりあえず、あの十キロの米袋くらいは余裕で持ち運べるようになりたいものだ。
……目標が低すぎる気もするけど。
七生は立ち上がり、軽く腕を回してみた。
手っ取り早くできるのは、腕立て伏せかな。
床に両手をつき、腕立て伏せの体勢になる。とりあえず限界までやってみよう。自分の体力がどの程度なのか、まずは確かめる必要がある。
「……よっ!」
肘を曲げて身体を下ろす。
……重っ!
思った以上に身体が重い。何とか腕を伸ばして元の姿勢に戻ったものの、それだけで腕がプルプルと震え始めた。
「……ふんっ!」
二回目に挑戦するが、今度は肘を曲げたところで力尽き、そのまま床に腹をついてしまった。
「…………」
七生は床に転がったまま、天井を見つめた。
……一回?
いや、一回と言うのもおこがましい。最初の一回だって、肘をほんの少し曲げただけだった。
「……俺、ここまで弱かったのかよ」
STRが六しかないとはいえ、さすがにここまでとは思っていなかった。
七生はスマホを取り出し、『筋トレ 初心者 腕立て伏せ』と検索した。
どうやら、普通の腕立て伏せができない人間は、膝を床につけた状態から始めるといいらしい。膝をつくことで腕にかかる負荷が軽くなり、筋力のない初心者でも取り組みやすくなるという。
……なるほど。最初から普通の腕立て伏せをやろうとしたのが間違いだったのか。
続いて腹筋の鍛え方も調べてみた。
昔、学校でやらされたような、仰向けから上半身を完全に起こす腹筋運動を想像していたが、どうやら初心者には『クランチ』という方法もあるらしい。
仰向けになって膝を曲げ、肩甲骨が床から浮く程度まで上体を丸める運動だ。無理に身体を起こす必要はないという。
「……へえ、そんなのでいいんだ」
これなら自分にもできそうだ。
七生はスマホを床に置き、さっそく膝をついて腕立て伏せを始めた。
今度は何とか十回近くできた。普通の腕立て伏せが一回もまともにできなかったことを考えれば、上出来だろう。
続いてクランチも同じくらいの回数をこなし、少し休んでもう一度。それを三セット繰り返す頃には、すっかり息が上がっていた。
「ゼェ……ゼェ……きっつ……」
腕はパンパンで、腹筋にも力が入らない。心臓は激しく脈打ち、額から汗が滴り落ちている。
……さて、ここからだな。
七生は床に座ったまま、自分の身体に意識を集中した。
運動によって疲労した筋肉や、傷ついた筋肉組織の修復を速める。心拍数や呼吸も早く元の状態に戻るようにイメージする。
……回復加速。
「……おお?」
みるみる呼吸が楽になり、激しかった心臓の鼓動も落ち着いてきた。パンパンだった腕や腹筋も、すっかり元通りだ。
七生は立ち上がって腕を回してみた。
「すげえ! 全然疲れてねえ!」
ステータスを確認すると、MPは一しか減っていなかった。
……これなら何セットでもできるんじゃね?
七生は再び床に両手をついた。
腕立て伏せ、クランチ、回復。また腕立て伏せ、クランチ、回復。
面白いようにトレーニングを繰り返せた。これなら一週間後には、かなり身体を鍛えられているかもしれない。
ところが、何セット目だっただろうか。
「……あれ?」
腕も腹筋も回復しているはずなのに、身体全体が妙にだるい。それに、猛烈に腹が減ってきた。
ついさっき夕飯を腹いっぱい食べたばかりだというのに、もう何日もろくに食べていないような空腹感だ。
七生はもう一度スキルを使ってみた。だが、身体のだるさも空腹感も消えない。
……何でだ?
しばらく考えて、ようやく思い当たった。
スキルで速くできるのは回復そのものであって、そのためのエネルギーまで作り出せるわけじゃない。筋肉を無理やり修復しているのだから、当然、その分の栄養やエネルギーを消費するはずだ。
「……燃料切れってことか?」
筋肉は回復しているのに、身体を動かす元気がない。おまけに腹はペコペコだ。
……そういえば、筋肉の修復にはタンパク質が必要なんだっけ。
七生もそれくらいの知識はあった。筋トレをしている人が肉をたくさん食べたり、プロテインを飲んだりしているのも知っている。
身体を動かすためのエネルギーも必要だし、筋肉を作るための材料も必要になる。そう考えると、今日買ってきた米や肉、卵はなかなか悪くない選択だったのかもしれない。
……プロテインも買った方がいいかな。
普通の食事だけでは、スキルによる急速な回復に必要な栄養が追いつかない可能性もある。明日にでも買いに行ってみよう。
もっとも、プロテインがどのくらいの値段なのかは知らない。
……あんまり高くなければいいけど。
七生は立ち上がり、炊飯器に残っていたご飯を茶碗によそった。冷蔵庫から卵と納豆も取り出す。
とりあえず、今は食べることが先だ。
卵かけご飯に納豆を載せ、勢いよくかき込んだ。
……これ、栄養になるまで待たなきゃいけないんだよな。
そこで、ふと思いついた。
消化吸収だって、身体の働きじゃないか。
……もしかして、これも加速できるんじゃね?
「……やってみるか」
七生は自分の胃や腸に意識を集中した。
食べたものが分解され、栄養として吸収されていく。その過程を一気に速めるイメージだ。
……消化吸収、加速!
「……お?」
腹の中がぐるぐると動き始めた。
しばらくすると、さっきまで腹いっぱいだったはずなのに、胃の膨満感が薄れていく。それと同時に、全身にまとわりついていた重苦しいだるさも、少しずつ楽になってきた。
「……マジか」
七生は立ち上がり、腕を動かしてみた。さっきまで身体中が鉛のように重かったのに、だいぶ動きやすくなっている。
ステータスを確認すると、MPが一減っていた。
……やっぱり使えたんだ。
考えてみれば、傷の修復も筋肉の回復も、消化吸収も、身体の中で起きている現象だ。どれも同じように加速できるのかもしれない。
これなら食事をした後、必要な栄養を素早く取り込んで、またトレーニングできるんじゃないだろうか。
もっとも、吸収を速めたところで、食べた以上の栄養が手に入るわけではない。
……つまり、結局たくさん食わなきゃいけないんだよな。
七生は炊飯器を覗いた。残っていたご飯は、もうない。
「……十キロ買ってきて正解だったかもな」
スキルを使って筋トレを繰り返し、そのたびに大量の飯を食べる。そんな生活を一週間も続けたら、いったいどれだけ食費がかかるのだろう。
……でも、一週間後までには、せめて成人男性の平均くらいの体力はつけたいよな。
異世界で生き残るための第一歩が、平均的な成人男性を目指す筋トレというのも、何とも情けない話だった。
七生はもう一度ステータス画面を確認した。
MP 7/15
……まだ七も残ってるのか。
今日はもう十分運動した気もするが、せっかくスキルの使い方がわかってきたところだ。もう少し試してみたい。
……よし、今日はMPを使い切ってから寝よう。
班長も、よく食べてよく寝るのがMP回復の基本だと言っていた。だったら、残りを使い切ってしまっても、一晩寝れば回復するかもしれない。
ただ、そのためにはまだ食べる必要がありそうだった。
「……どんだけ食うんだよ、俺」
七生は苦笑しながら炊飯器の内釜を取り出し、米を二合入れた。
さっき夕飯を食べたばかりなのに、また米を炊くことになるとは思わなかった。
水加減を確かめ、炊飯ボタンを押す。
……今度は普通に炊きあがるのを待とう。
七生は床に両手と膝をついた。
ご飯が炊けるまで、もうひと頑張りだ。




