第十一話 五百五十円の幸せ
「それで、バナナ君のスキル、どんな感じですか?」
班長が目を細めて聞いてきた。
……どんな感じって、どういう意味だ?
どこまでわかっていて聞いているのだろう。そもそも、このおっさんは最初から俺のスキルが当たりだと言っていた。何か知っているのかもしれない。
「バナナをいつでも美味しく食べ……」
「だーかーらー! それはスキル名の話でしょ? わかんないかなー!」
「ひっ!」
突然声を荒らげられ、七生は思わず肩をすくめた。
……このおっさん、情緒不安定すぎだろ。怖すぎる。
ついさっきまでニコニコしていたのに、何でいきなりキレるんだよ。
「た、たぶんですけど……物事の進むスピードを変えられるというか、バナナだと熟成する速度ですかね? それを自由に調整できる感じだと思います……」
「ほうほう。バナナだけですか?」
班長はもういつもの穏やかな表情に戻っていた。
「いえ、それが……。実は三日前、堀内にお金を取られたあと、全財産が九円しかなくなりまして……。三日間どうやって食いつなごうか考えていたんです」
「ふんふん」
班長は真剣な顔で頷いている。
「それで、熊の冬眠みたいにカロリーの消費を少なくできないかなと思って、自分にスキルを使ってみたんです。身体の代謝を遅くするイメージで……」
「なるほどなるほど」
「そしたら、そのまま意識がなくなっちゃいまして……。さっき目が覚めたんですけど、ステータスを確認したらMPがゼロになっていたので、たぶんMP切れで効果が切れたんじゃないかと……」
七生はそこまで話して、班長の顔をうかがった。
「本当に何にでも使えるんですか?」
「そういえば、まだ自分にしか使ってないですね。身体の修復速度を速めたのと、今回の冬眠だけです」
「ふむふむ。じゃあ、スキルの検証をお手伝いしましょうか? これでも経験上、いろいろ知ってますので役に立ちますよ?」
……検証?
正直、あまり気が進まない。しかし、このおっさんの申し出を無下に断るのも怖いし、自分でも能力については詳しく知りたかった。
それに、さっきから少し気になっていることがある。
「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
「はいはい、何でしょう?」
「班長って、どうして俺にこんなに親身になってくれるんですか?」
堀内から金を取り戻してくれたうえに、スキルの検証まで手伝ってくれるという。やり方はともかく、ずいぶん面倒見がいい。
班長は少し意外そうな顔をした後、ニッコリ笑った。
「期待してるからですよ。バナナ君みたいなスキルは、チート能力ってのが多いですからねぇ」
「……チート能力、ですか?」
「ええ。能力次第では、この前みたいな退屈な仕事じゃなくて、もっとドキドキワクワクする異世界冒険譚のような仕事も紹介できますよ!」
「…………」
……退屈?
七生は耳を疑った。
盗賊のアジトを襲撃して、人が何人も死んで、挙げ句の果てには自分まで腹を刺されたのだ。
あれが退屈な仕事?
じゃあ、このおっさんの言うドキドキワクワクする仕事って、いったい何をやらされるんだ?
……そんな冒険譚、絶対にお断りだ。
「ですから、バナナ君のスキルがどこまで使えるのか、私も楽しみなんですよ」
班長は満面の笑みを浮かべていた。
……期待されるのも考えものだな。
できれば検証は遠慮したい。かといって、どう断ればいいものか。そんなことを考えているうちに、七生はちょうどいい口実を思いついた。
「あ、でも今、MPがゼロなので使えないと思います」
「あぁ! そういえばバナナ君、三日前から何も食べてないってことかぁ!」
班長は額に手のひらを当て、あちゃ~という仕草をした。
「MPの回復には、よく食べてよく寝るのが鉄則ですからねぇ。では、検証は後日にしましょうか」
「そ、そうですね」
助かった。
「私の動きをスキルで遅くして、私のパンチを避けられるか試してみたかったんですけどねぇ」
「…………」
……何をやろうとしてたんだ、このおっさん。
もしMPが残っていたら、今ここであの怪力パンチを避ける実験をさせられていたのか?
冗談じゃない。避けられなかったら死ぬだろ、それ。
「お、お金も戻ってきたことですし、朝ご飯でも食べに行って、ゆっくり休もうと思います」
七生は何とか話を切り上げようとした。
「そうですね。では、検証はまた後日にしましょう。またLINEしますね」
班長はニッコリと笑った。その顔には、なぜかハートマークの絵文字まで浮かんで見える気がした。
……またLINEするのかよ。
班長は立ち上がると、玄関で丁寧に揃えてあった靴に足を通した。
「ではでは、お大事にしてくださいね。バナナ君!」
「あ、はい。ありがとうございました……」
七生が頭を下げると、班長は軽く手を振り、部屋を出ていった。
ドアが閉まる。
七生はしばらく玄関を見つめ、それから深いため息をついた。
……やっと帰った。
十五万円は取り戻せたし、五万円も増えた。なのに、なぜか借金を背負ったような気分だった。
ひとまず班長のことは忘れよう。
そう決めた七生は身支度を整え、最寄りのすき家へ向かった。
考えてみれば、朝食を食べるなんていつ以来だろう。もともと金がなかったので、朝飯なんて贅沢はほとんどしてこなかった。
ましてや、すき家で食事なんていつぶりだ?
財布には二十万円。正確には二十万九円もある。
何を食べようかと考えるだけで、自然と足取りが軽くなった。
「空いてる席にどうぞー」
店に入ると、店員の声が聞こえた。七生はカウンター席に座り、注文用のタブレットを操作し始めた。
……さて、何にするかな。
朝食メニューを眺めていると、一番安い『たまかけ朝食』が目に入った。
三百五十円。
しかも、ご飯を大盛りにしても三百七十円だ。
……安っ!
さらにメニューを見ていくと、牛小鉢が百八十円で追加できることに気づいた。
ということは、ご飯大盛りのたまかけ朝食に牛小鉢をつけても五百五十円。
……牛丼に卵と味噌汁つけるより安いじゃん!
七生は思わず嬉しくなった。ご飯大盛り、卵、味噌汁に牛肉までついてこの値段。これなら十分贅沢な朝食だ。
早速タブレットで注文を確定する。
ふと、七生は自分の選んだメニューを見つめた。
……いや、待てよ。
俺、今二十万九円も持ってるんだよな?
なのに、せっかくの外食で考えていることが、どうすれば少しでも安く食べられるかということだった。
我ながら、小市民にもほどがある。
もっとも、だからといって注文を変更する気にはならなかった。
七生は満足げに頷き、料理が運ばれてくるのを待った。
注文して間もなく、たまかけ朝食・牛小鉢付きが運ばれてきた。
大盛りのご飯に、ひじき煮、味噌汁、生卵、そして牛小鉢。目の前に並んだ料理を見るだけで、腹が鳴りそうだった。
七生は箸を手に取り、手を合わせた。
「いただきます」
まずは味噌汁を一口。
温かい汁が喉を通り、空っぽの胃に染み渡っていく。
……生き返る。
思わずため息が漏れた。
続いてご飯を一口頬張り、牛小鉢から肉をつまんで口に運ぶ。
……美味い。
甘辛いタレの染みた牛肉が、白いご飯によく合う。夢中で二口、三口と食べ進めたところで、生卵の存在を思い出した。
そうだ、卵かけご飯にするんだった。
七生は小鉢に卵を割り入れ、醤油を垂らして軽くかき混ぜる。それをご飯にかけ、さっそく一口頬張った。
……うっま。
さらに牛小鉢の肉を合わせてみる。
……これ、最高じゃねえか。
もう何も言うことはなかった。
味噌汁をすすり、ひじき煮を箸休めにしながら、卵かけご飯と牛肉を次々に口へ運ぶ。三日間眠っていたせいなのか、腹は底なしに減っていた。
気がつけば、茶碗も小鉢もすっかり空になっていた。
「……ふぅ」
七生はコップの麦茶を飲み、ようやくひと心地ついた。
五百五十円。
たったそれだけで、こんなにも幸せになれるとは。
……やっぱり、冬眠なんかするもんじゃねえな。
店を出ると、七生はそのままアパートへ帰ることにした。
今日はもう、寝られるだけ寝ていよう。
腹は満たされたものの、身体のだるさが半端ではなかった。三日間も寝ていたというのに、まるで徹夜明けのように身体が重い。
……冬眠って、疲れが取れるわけじゃないんだな。
帰り道、コンビニに立ち寄って飲み物とパンをいくつか買った。これだけあれば、目が覚めて腹が減っても何とかなるだろう。
ふと、売り場に置かれたバナナが目に留まった。
……バナナか。
七生は一本だけ手に取った。
せっかくだから、起きたらスキルで美味しいバナナとやらを食ってやろうじゃないか。
三日前はバナナ一本買う金もなかったのに、こんなことを考える余裕まで出てきたらしい。
レジで会計を済ませたところで、ふと罪悪感が湧いてきた。
……コンビニで食い物買っちゃったよ。
スーパーに行けば、もっと安く買えたはずだ。二十万円も手に入れたというのに、数百円の違いが気になってしまう。
まあ、今日くらいはいいか。
そう自分に言い聞かせながら、七生はコンビニの袋を提げてアパートへ向かった。
今度こそ、スキルなんか使わずに普通に寝よう。
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