第8話 二種類の夜
課題は、前日の昼に届いた。封を切ると、四行だけ書いてあった。
——中庭に二本を立てよ。
——一本は、長く保つ灯り。
——一本は、遠くまで届く灯り。
——日没から三刻。屋根は無い。
ハンナが読んで、鼻から息を吐いた。
「両方かい」
「両方です」
「同じ夜に、両方」
長く保つ灯りと、遠くまで届く灯りは、逆のものだ。
長く保たせるには炎を小さくする。小さい炎は蝋を減らさない。減らさなければ三刻でも四刻でも立っている。かわりに、届かない。手元しか照らせない。
遠くまで届かせるには炎を大きくする。大きい炎は蝋を食う。三刻もたない。
「片方ずつなら、うちの職人なら誰でもできる」ハンナが言った。「同じ夜に両方ってのは、二本作れって話じゃないよ。『お前はどちらの灯り師だ』って訊いてるんだ」
「両方だと答えます」
「答え方は決まったね。中身はどうする」
わたくしは蔵に下りた。
九つの段。搾った季節で分けてある。秋の蝋は白くて硬い。硬い蝋は溶けにくく、炎に吸い上げられる量が少ない。だから長く保つ。
夏の蝋は色が濃くて柔らかい。柔らかい蝋はよく上がる。よく上がるぶん炎が大きくなって、遠くまで届く。かわりに速く減る。
父は、混ぜるなと言っていた。混ぜるなというのは、分けて使えということだ。
「秋のを一本。夏のを一本」わたくしは言った。「別々に作ります」
「そりゃそうだが、それだけじゃ足りないよ。夏の蝋で三刻はもたない」
「芯を変えます」
芯は、蝋よりも効く。同じ蝋でも、芯の撚り方で炎はまるで変わる。
長く保つほうには、三つ撚りの細い芯を使う。強く撚ると芯は硬くなり、吸い上げが遅くなる。炎は小さいが、絶対に途中で倒れない。
遠くまで届くほうには、平打ちの芯を使う。撚らずに編んで、平たくする。平たい芯は炎が横に広がる。広がった炎は明るい。ただ、これは煤を出しやすい。出させないためには、蝋のほうを澄ませておく必要がある。
三年寝かせた蝋なら、澄んでいる。
わたくしはそこで手を止めた。シュタイン様は、前日に課題を伝えると仰った。仕込む暇を与えたら腕を見たことにならない、と。
仕込む暇は、たしかに一日しかない。
だが、この蔵の仕込みは三年前に終わっている。
わたくしは、段のあいだにしゃがんだ。
前日に課題を出すというのは、腕を見るためではない。用意をさせないためだ。そして灯り師の用意というのは、九割が蝋を寝かせることで、残りの一割が芯を干すことだ。一日では、どちらもできない。
だから、この道を使った三人は落ちた。三人とも、その日から始めようとしたからだ。
わたくしは、三年前から始めていた。
正確には、父が始めていた。父は畳むと言いながら、不作の年に北の谷まで人をやって、いちばん高い蝋を買った。使う当てのない者は、そんなことをしない。
シュタイン様の課題は、こちらの蔵には効かない。
芯を選ぶのに、日が暮れるまでかかった。
父の残した芯の束は、麻の質ごとに分けて吊るしてある。乾き具合が違う。湿った芯は爆ぜる。爆ぜれば煤が出るし、風の日には消える。
わたくしは束を一つずつ手に取って、指の腹で撚りを確かめた。四つ目まで確かめたところで、袖を引かれた。
トビアスだった。
少年は、わたくしが選んだ束を指さして、首を振った。それから別の束を指した。
「こちらのほうが」
少年は頷いて、束から一本引き抜いた。作業台の端で火を点ける。芯だけを燃やすのだ。小さな炎が上がって、そのまま静かに縮んでいった。音はしなかった。
次に、わたくしの選んだほうを点けた。ぱち、と鳴った。一度だけ。それから、細い煙が上がった。
「……湿っています」
「聞こえたのかい」ハンナが後ろから覗き込んだ。「わたしには同じに聞こえたけどね」
「一度だけ鳴りました」
「そりゃ聞こえたよ。あの子は、鳴る前に分かってた」
トビアスは自分の耳を指さして、それから束を指さした。束を持ち上げて、揺すってみせる。麻の擦れる音がする。それだけだ。少なくとも、わたくしには。
「触らずに、音で」
少年は頷いた。
わたくしは束をもう一度見た。見ただけでは分からない。触れば分かる。この子は、触る前に分かる。
「あなたが選んで」
トビアスは、少し驚いた顔をした。それから、吊るした束のあいだをゆっくり歩いた。一つ一つを軽く揺らして、耳を寄せて、通り過ぎる。
最後に二つ、選んだ。三つ撚りの束と、平打ちの束。
鋏を二回、鳴らした。
その夜は、二人で流した。ハンナは鍋を見て、トビアスが冷めた順に並べ、わたくしが芯を吊った。夏の蝋のほうは三度失敗した。
一度目は、流す温度が高すぎた。型から抜いたときに腰がなく、指の跡が残った。二度目は冷ましが速すぎて、真ん中に細い空洞ができた。空洞のある蝋燭は、そこまで燃えたところで一気に落ちる。三度目は芯が寄った。吊るときに、ほんのわずか傾いていたのだろう。傾いた芯は片側だけを溶かして、蝋燭の横に穴を開ける。
「もう夜半だよ」ハンナが言った。
「あと一本ぶんの蝋はあります」
「あと一本ぶんしか無い、の間違いだろ」
四度目は、トビアスが型を押さえた。
わたくしが流し、少年が両手で型を支え、ハンナが数を数える。冷ますあいだ、誰も口をきかなかった。
抜けた。真っ直ぐだった。
仕上がったのは、夜明けの少し前だった。
二本を作業台に並べて、わたくしはしばらく座っていた。片方は細く白い。片方は太くて色が濃い。並べて置くと、同じ工房のものに見えない。
「今夜、あの子も連れていくのかい」
ハンナが訊いた。わたくしは答えられなかった。
中庭には人が来る。組合の役員が並び、他の灯り師も見に来るだろう。落ちた三人の話を知っている人たちだ。
トビアスは、客の前では一言も話さない。
工房の中では鋏を鳴らす。ハンナの前でも鳴らす。わたくしの前でも鳴らす。だが、戸の外から人が入ってきた瞬間、あの子は作業台の陰に入って出てこない。
「連れていって、何かあったら」
「何かって何だい」
「分かりません」
ハンナは前掛けで手を拭いた。
「訊いてみな。あの子は口はきかないが、耳は聞こえてる」
わたくしは作業台の陰へ行った。トビアスは膝を抱えて座っていて、二本の蝋燭のほうを見ていた。
「今夜、来てくれますか」
少年は動かなかった。わたくしは続けた。
「話さなくて構いません。人に何か訊かれても、答えなくて構いません。わたくしが全部答えます」
少年は膝から顔を上げた。
「ただ、炎の音だけ聞いていてほしいのです。悪いほうが鳴ったら、教えてください」
「どうやって」わたくしは自分で言ってから、思いついた。「——鋏で。一回なら『まだ』。二回なら『良い』。それでいいですか」
トビアスは、しばらく考えていた。それから、前掛けの下から自分の鋏を出して、二回鳴らした。
芯は撚り方で性格が変わります。強く撚った三つ撚りは炎が小さく長持ちし、撚らずに編んだ平打ちは炎が横に広がって遠くまで届きます。だから灯り師が最初に覚えるのは蝋の扱いではなく、麻の撚り方です。
次回、審査の朝に、思いがけない客が坂を下りてきます。
ブックマークをいただけますと、今夜の風がひと目盛りだけ弱くなります。




