第21話 聞こえます
王城の大広間は、天井が高すぎた。
図面では分かっていたつもりだった。実際に立ってみると、上のほうが暗くて端が見えない。この広間の灯りを組むというのは、見えない天井を相手にすることだ。
前日の朝から、配置に入った。王城が出した人夫が十二人。脚立が六つ。わたくしは図面を持って、東の壁から順に指示を出した。
「この列、燭台を一尺下げてください」
「一尺、でございますか」
「はい。人の肩より低く」
「低いと、みっともなくはございませんか」
人夫の頭は、四十がらみの実直そうな男だった。悪気で言ったのではない。二十年、高く吊ってきたのだ。
「一本だけ下げて、見てください」
下げてもらった。火を入れた。壁の下半分が明るくなった。上のほうは変わらない。もともと誰も見ていない場所だ。
「……広く見えますな」
「壁が近くなりますので」
頭は頷いて、それから十二人に「全部下げろ」と怒鳴った。トビアスは、わたくしの後ろに立っていた。
連れてきた。工房に置いてきてもよかったが、あの子は芯の音が分かる。八十二本の二等は南門の工房のもので、届いたばかりだ。乾き具合を確かめられるのは、この子しかいない。
人夫たちは、最初のうち少年を見ていた。子どもが混じっているからだ。そのうち誰も見なくなった。仕事が始まると、人は手元しか見ない。トビアスは箱の前にしゃがんで、一本ずつ持ち上げては、耳のそばで軽く振っていた。
昼を過ぎて、中央の通路にかかった。平打ちの四十八本。これがこの広間の要になる。玉座から扉まで、六十歩の通路を照らす。
「こちらの箱を」わたくしは言った。「上から順に、番号どおりに」
人夫が箱を運んできて、蓋を開けた。トビアスが箱に寄って、耳を近づけた。それから、こちらを見た。鋏を、一回鳴らした。
まだ、という意味だ。
「頭」わたくしは呼んだ。「この箱を、下げてください」
「これは王城の備えでございますが」
「湿っております」
「二日前に蔵から出したものです。乾いております」
頭は箱から一本取って、指で撚りを確かめた。
「乾いておりますよ」
わたくしも触った。乾いている。指の腹では分からない。
トビアスがもう一度、鋏を鳴らした。一回。周りは騒がしかった。脚立を動かす音、金具を打つ音、十二人の声。鋏の音は、わたくしにしか届かない。
「一本、燃やしてみます」わたくしは言った。
「四十八本ぶんの時間はございませんよ」
頭が言った。悪意ではない。前日の午後だ。明日の日没に王が入る。
「一本で結構です」
わたくしは芯だけを切って、火を点けた。小さな炎が上がった。静かに縮んでいく。音はしない。
「乾いております」頭が言った。
わたくしは、もう一本切った。今度は箱の底のほうから。火を点けた。ぱち、と鳴った。周りの音に紛れて、頭には聞こえなかった。頭は既に背中を向けていた。
その背中に向かって、声がした。
「……聞こえます」
わたくしは振り返った。トビアスが立っていた。両手を前掛けの下で握って、顎を引いて、それでも顔は上げていた。
「聞こえます。下の段が」
頭が足を止めた。振り返って、少年を見た。
「なんだって」
「下の段が、鳴ります。上の段は、鳴りません」
声は小さかった。震えてもいた。それでも、二度言った。頭は箱の前に戻ってきた。底のほうから一本抜いて、自分で火を点けた。
ぱち、と鳴った。もう一度。ぱち。
「……下だけか」
頭は箱をひっくり返して、底を見た。木の底に、黒い染みがあった。
「蔵で、下に置いた箱だな。石の上だ。石は湿気を吸う」
頭は十二人を呼んだ。
「箱の底の段、全部出せ。上二段だけ使う。足りない分は、隣の蔵から持ってこい」
人夫たちが動き出した。トビアスは、まだ同じ場所に立っていた。わたくしは隣に立って、何も言わなかった。言うと、この子が今やったことが小さくなる。
結局、底の段は三十六本あった。残りは十二本。中央の通路には足りない。隣の蔵から出したものを、トビアスが一本ずつ確かめて、鋏を二回鳴らしていった。
全部が揃ったのは、日が落ちてからだった。工房へ戻る荷車の上で、トビアスが口を開いた。
「前の工房で」
わたくしは前を向いたまま聞いた。顔を見ると、たぶん止まる。
「箱が濡れていました。言いました」
「言ったのですね」
「はい。親方は、使えと言いました」
少年は膝の上で手を握っていた。
「その晩、火が出ました」
「……はい」
「わたしが言ったから、みんな箱を見ました。見ているあいだに、竈のほうが」
荷車が石畳で跳ねた。
「親方が言いました。お前が余計なことを言ったからだ、と」
わたくしは手綱を握り直した。
「余計ではありません」
少年は答えなかった。
「あなたが言わなくても、火は出ました。竈の火は、箱とは関係ございません」
「……はい」
「今日も、余計ではありませんでした」
しばらく、車輪の音だけがしていた。
「明日、来てくれますか」
少年は頷いた。それから、小さな声で言った。
「行きます」
工房に着くと、ハンナが戸口で待っていた。何か言いかけて、トビアスの顔を見て、やめた。かわりに、湯を三つ用意した。
その夜、レーゲン様が工房へいらした。明日の段取りの確認だ。話が終わってから、わたくしは一つだけ訊いた。
「三十二年前の目録に、レーゲンという署名がございました」
「祖父です」
「白蝋という等級を、ご存じですか」
レーゲン様は、しばらく黙っていた。
「あります。三十年前に廃されました」
「なぜ廃されたのですか」
「それは」
レーゲン様は帽子を取って、また被った。
「冬至が終わってからにしましょう」
「よろしいのですか」
「明日、五百本を立てる方に、余計なことを考えさせるわけにはいきません」
それもそうだ。戸口で、レーゲン様は言った。
「わたしの家は、三代、燭台方を継げませんでした。継いだのはわたしが初めてです」
「なぜ」
「それも、冬至のあとで」
◇
その夜、コンラート・ドゥ・オルレンスは書斎で一本の蝋燭を灯した。
焼き印の無い、細くて白い一本だ。紙に巻いて紐で結んであったものを、彼は三日、抽斗に入れたまま出さなかった。
火を移す。炎が上がりきって、そこで止まる。揺れない。彼は書き物机に向かった。手紙を書いた。領地の管理人へ二通、法官へ一通。それから、家令を呼んで、屋敷の帳簿を持ってこさせた。
二十二年ぶんの帳簿の、最後の頁を開く。新しい欄を書き足した。
——灯明
金額の欄は空けた。何を書けばいいのか分からなかったからだ。蝋の仕入れが年に金貨十二枚。それは分かる。分からないのは、その先だ。彼は羽根ペンを置いて、しばらく空欄を見ていた。
それから、欄の下に小さく書いた。
——毎晩、二刻。六年。
書いてから、消そうとした。消さなかった。
顔を上げると、炎はまだ立っていた。時計を見る。三刻を過ぎている。三刻を過ぎても、この一本は落ちない。落ちないように作ってあるからだ。
彼はそこで、初めて自分が何を失ったかを正確に数えた。数えられるようになったのは、失ってからだった。
石の床に直接置いた箱は、下の段だけが湿ります。手で触っても分かりません。火を点けると、一度だけ小さく鳴ります。その音を聞き分けられる人は多くありませんし、聞こえても言える人は、もっと多くありません。
次回、冬至です。王城の大広間に五百本が立ちます。
ブックマークをいただけますと、明日の日没が半刻ぶん遅くなります。




