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離縁いたしますので、公爵家の夜は今夜で終わります  作者: 雫石アイナ


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22/22

第22話 冬至

 冬至の日没は、四時二十分だった。


 王城の大広間に、五百本が立っている。

 玉座の周りに一等の三つ撚りが二十本。中央の通路に平打ちが四十八本。東西の壁ぎわに、一尺下げた二等が八十二本。残りは控えの間と回廊と、階段の下だ。


 点火は、日没の四半刻前から始める。

 人夫が十二人。トビアスが順番を指し、ハンナが数を数え、わたくしが玉座周りの二十本を自分で点けた。


 五百本の火が回りきったとき、広間の音が変わった。天井の高い部屋は、灯りが入ると音の響きが変わる。理由は分からない。父もそう言っていた。


「終わりました」


 わたくしは調度方に報告した。白髪の調度方は広間の真ん中まで歩いて、それから、扉のほうまで歩いて、振り返った。


「奥が見えるな」

「壁ぎわを下げましたので」

「二十年ぶりだ」


 王が入られたのは、五時だった。


 わたくしは回廊の端に立っていた。職人の場所だ。広間には入らない。八度この広間に入ったことがあるが、あれは公爵夫人としてで、今夜は違う。


 人が入ってくる。三百人ほどだろうか。最初は中央に固まっていた。そのうち、少しずつ広がりはじめた。


 東の壁ぎわに人が流れていく。壁には古い織物が掛かっていて、いつもは誰も見ない。今夜は、その前で足が止まっている。

 止まった人が、隣の人に何か言っている。織物の由来だろう。話の種になる。話の種になるのは、見えているからだ。


 わたくしは、それをしばらく見ていた。


 灯りの仕事の手応えは、たいてい、こういう形でしか返ってこない。

 誰も「灯りが良い」とは言わない。言うのは織物の話だ。今夜あの織物が話題になったのは、見えたからで、見えたのは壁ぎわを一尺下げたからだが、そこまで遡って考える人はいない。

 それでいい。遡られたら、たぶん落ち着かない。


 脇の回廊を、給仕が何度も通っていく。盆の上の硝子が、通るたびに小さく光った。あれも見えている。以前は見えていなかったはずだ。


 コンラートを見つけたのは、七時を過ぎたころだった。


 中央の通路を、一人で歩いていた。こちらには気づいていない。回廊の端は暗い。職人の場所は、いつも暗いところにある。


 彼は通路の途中で立ち止まって、上を見た。燭台ではなく、その上を。天井のあたりを見ている。


 それから、燭台の炎を見た。しばらく見ていた。


 何を確かめていたのかは、分からない。煤が出ていないことか、炎が揺れないことか、あるいは、この五百本が誰の手から出たのかということか。

 彼は歩き出して、東の壁のほうへ行った。織物の前で足を止めて、そこで誰かに話しかけられていた。


 それだけだった。


 わたくしは、少しだけ意外だった。

 この人が広間の奥まで歩くとは思っていなかった。オルレンス家の広間で、あの人はいつも入口の近くにいた。奥へ行く理由が無かったからだ。行っても、暗くて何も見えなかったからだ。


 今夜は、見える。見えれば、人は歩く。それだけのことだ。


 三刻が過ぎたのは、八時だった。


 一等の三つ撚りは、二十本とも立っていた。中央の平打ちは、四十八本のうち二本が短くなっていたが、炎は落ちていない。

 わたくしは通路を一往復して、二本の芯を切った。触れてよい回数の決まりは、今夜は無い。


 その帰りに、アンネリーゼ様とすれ違った。


 ケラー伯爵家の令嬢として来ておられた。淡い色の衣装で、肩に何も落ちていなかった。

 令嬢はわたくしを見て、頭を下げた。わたくしも下げた。それだけで、どちらも足を止めなかった。止めれば、この方が公爵家の話をされる。今夜はその夜ではない。


 夜会が終わったのは、十時だった。


 人が引けたあと、消して回るのも仕事だ。

 五百本を、三人で消した。消すのは点けるより時間がかかる。芯を潰して、蝋を落として、燭台を拭く。拭かないと明日の朝に固まる。


 トビアスは人夫たちに混じって、壁ぎわの列をやっていた。

 指図をしている。声は出していない。鋏を鳴らして、指で示している。人夫たちがそれで動いていた。今朝までは、この子は箱の陰にいた。


「明日は、遅く来ていいよ」ハンナが人夫の頭に言っていた。「うちの子も遅く来る」


 うちの子、と言った。


 頭が脚立を畳みながら、こちらへ来た。


「ヴァイラントさん」

「はい」

「今朝の箱の件、蔵方に言っておきました。石の上に直に置くなと」

「ありがとうございます」

「二十年、置いてました」頭は帽子を取った。「誰も鳴らなかったんじゃない。誰も聞いてなかっただけだ」


 わたくしは頷いた。鳴っていたのだ。ずっと。聞く者がいなかっただけで。


 最後の一本は、玉座の脇の一等だった。わたくしはそれを消さずに、しばらく立っていた。


 三月前、わたくしは公爵家の支度部屋で十二本の芯を切って、鋏を置いて、離縁を申し出た。あのとき、この家の夜は今夜で終わる、と思っていた。


 終わったのは、あの家の夜だ。

 棚に置いてきた六日分は、六日で尽きた。尽きたあと、あの家は一年半、灯りの無い夜を過ごすことになる。それは、わたくしがしたことではない。三年寝かせなければ良い灯りにならないという、ただそれだけのことがしたことだ。

 わたくしは一度も、お断りしなかった。


 夜そのものは、毎日来る。

 来るたびに、誰かがどこかで灯りを点けている。点ける人には名前があって、名前は、たいてい誰の帳面にも載らない。


 わたくしは、自分の名前の載った帳面を一冊持っている。それでもう十分だ。


 芯を潰した。


 広間が暗くなった。天井が見えなくなって、壁が遠くなって、床の石だけが扉の外の灯りで薄く光っていた。


 帰り際、回廊でレーゲン様に会った。


「終わりましたね」

「終わりました」

「調度方が、来年も同じ組み方でと申しております」

「壁ぎわを下げたままで」

「下げたままで」


 レーゲン様は、そこで少し笑った。


「二十年、誰も下げなかったのです。誰も、下げてよいと言われなかったので」


 それから、真顔に戻った。


「白蝋の話を、しましょうか」

「伺います」

「今夜ではありません。冬至が終わったばかりです」

「明日でも」

「明日でもありません」


 レーゲン様は帽子を取った。


「あれは、三十年前に王家が廃した等級です。廃した理由は、記録に残っておりません。残っていないというのは、残さなかったという意味です」


 わたくしは、それだけを聞いた。


「わたしの家が三代、燭台方を継げなかったのも、たぶん同じ理由です」


 王城の門を出ると、風が冷たかった。冬至の夜がいちばん長い。ここから毎日、少しずつ夜が短くなる。


 荷車の上で、トビアスが眠っていた。ハンナが自分の外套を掛けてやっていた。


 坂を下りると、工房の看板が見えた。塗りは剥げたままだ。彫りは深いので、暗くても読める。三年前の秋に父が買った蝋は、まだ六段ぶん残っている。


 明日から、また流す。

 冬至の夜がいちばん長く、ここから毎日少しずつ短くなります。灯りの仕事がいちばん忙しいのは、その一日です。


 ここまでお読みくださって、ありがとうございました。

 離縁を申し出た夜から、王城の大広間に五百本を立てるまでの三月ぶんを、第一部として一区切りといたします。三年寝かせた蝋は、まだ六段ぶん残っております。


 白蝋という等級と、燭台方を三代継げなかった家のことは、まだ何も申し上げておりません。

 いずれ、蔵の残りを流す日が参りましたら。

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