第13話 お断りは、いたしません
返事は二日後に来た。
——二千百本、すべて買い取る。一等四百本を含む。値は組合相場の三倍。納期は一月以内。
ハンナが書状を読み上げて、鼻から息を吐いた。
「一等も込みだ」
「込みですね」
「王城はどうする」
「納められません」
わたくしは書状を作業台に置いた。
「断らないのかい」
「断りません。契約がございます」
ハンナは何か言いかけて、やめた。かわりに鍋を火にかけた。この人は考えるとき、必ず何かを温める。
その日の午前は、註文の蝋燭を流して過ごした。宿屋のザイデルの二階ぶん。桶屋の二等。仕立屋の三等が二十本。手が動いているあいだ、頭は別のことを考えていた。
王城に納められないと、どうなるか。
冬至の大広間は、届く灯りが立たない。立たなければ、奥まで見えない。見えない広間で夜会をやると、人は中央に固まる。固まった広間は狭く見える。王城の大広間が狭く見えるというのは、たぶん、あってはならないことなのだろう。
そのとき、調度方は「ヴァイラントが納めなかった」と書く。書かれた工房に、次の年の話は来ない。
それでも、契約は契約だ。父が結んで、父が解かずに死んだ契約。あの人はわたくしを縛るつもりで残したわけではないだろう。だが残っているものは残っている。
昼を過ぎて、わたくしは机に向かい、見積を書いた。
一等四百本。二等六百本。三等千百本。数を書き、単価を書き、組合相場の三倍を掛けた。最後の行に合計を書いて、わたくしは筆を止めた。
二度、数え直した。数字は変わらなかった。
「ハンナ」
「なんだい」
「オルレンス家の、一年ぶんの灯りの費用はいくらだと思いますか」
「知らないよ。あんたがやってたんだから」
「ゼロでございます」
ハンナが振り返った。
「六年ぶん、帳簿に一行も無いのです。わたくしが作っておりましたので、蝋の仕入れの分しか出ておりません」
「仕入れの分は」
「年に、金貨で十二枚ほど」
「で、この見積は」
わたくしは紙を裏返して見せた。金貨で、四百八十枚。ハンナは、しばらくその数字を見ていた。
「四十年ぶんだね」
「四十年ぶんでございます」
三倍と仰ったのは、義母だ。言い値で結構と仰ったのも、義母だ。あのとき義母は、灯りの値段を知らなかった。知らないというより、知る機会が無かった。六年、そこには何の数字も立っていなかったからだ。
「値切ってくるよ」ハンナが言った。
「そうでしょうね」
「値切らせるのかい」
「値切っていただいて構いません。ただ、値切ったぶんは本数が減ります」
わたくしは見積の下に、もう一行だけ書き足した。
——ご予算に応じ、本数を調整いたします。
使いが見積を持ち帰って、翌日の夕方、義母がじきじきにいらした。
工房の戸口に馬車が停まって、義母は降りずに、中から使いを寄越した。中へは入らない。前掛けの匂いのする場所へは、この方は最後まで入らないだろうと思った。わたくしは道に出た。
「この額は何ですか」
馬車の窓越しに、義母は見積を突き出した。
「ご指定の値でございます。組合相場の三倍と伺いました」
「相場を三倍にしろとは申しました。四十年ぶんを出せとは申しておりません」
「四十年ぶんではございません。一年半ぶんでございます」
「当家はこれまで、金貨十二枚でやってきました」
「はい。そのとおりでございます」
わたくしは道の上で頭を下げた。
「これまでは、蝋の仕入れの分だけをお出しでした。作る手間の分は、出ておりませんでした」
「出す必要が無かったのです」
「ございませんでした。わたくしが妻でしたので」
義母は、口を閉じた。
その一言は、責めるつもりで言ったのではない。事実として、そうだ。妻の手は帳簿に載らない。載せる決まりが無いからだ。ただ、妻でなくなると、同じ手には値段がつく。
「本数を減らします」義母が言った。「一等の四百本だけで結構です」
「承知いたしました」
「金貨で、いくらです」
「百六十枚でございます」
義母は目を閉じた。
「……百二十枚まで」
「では、三百本でございます」
「四百本と申しました」
「四百本ですと、百六十枚でございます」
わたくしは値切らなかった。値切らないというのは、こちらから譲らないという意味ではない。数字を動かさないという意味だ。動かせば、次はもっと動かされる。
「三百本で結構です」
義母はそう言って、窓を閉めかけた。それから、もう一度開けた。
「あなた、当家を困らせて楽しいのですか」
「楽しくはございません」
「ではなぜ、こんな真似を」
「お断りしておりません」
わたくしは馬車の脇に立っていた。
「お求めのものは、お求めのぶんだけお納めいたします。値もご指定に従いました。本数もご希望どおり減らしました。わたくしは、一度もお断りしておりません」
義母は、しばらくわたくしを見ていた。
「屁理屈です」
「屁理屈でございましたら、どこかにお断りした箇所がございます。お示しくださいませ」
示せなかった。馬車が坂を上っていったあと、ハンナが戸口から出てきた。
「三百本」
「三百本です」
「一等の残りは百本だね。冬至の大広間には、まるで足りない」
「足りません」
王城の大広間には、届く灯りが百五十本要る。三十本は納めた。残りは百二十本。手元に残るのは百本だ。二十本、足りない。
「どうするんだい」
「二等で作れないか、試します」
「二等じゃ届かないよ」
「平打ちの芯なら、少し届きます。煤が出ますが、煤は蝋を澄ませれば減ります」
「澄ませるってのは、寝かせるってことだろ」
「はい」
結局、そこへ戻る。
その夜、蔵に下りて、六段のうちの一つを開けた。二年半のものだ。父が最後に買った夏の蝋。角がまだ残っている。半年、足りない。
わたくしは段の前にしゃがんで、しばらく動かなかった。半年は、待てば来る。冬至は、待ってくれない。
トビアスが階段を下りてきた。手に灯りを持っている。段のあいだをゆっくり歩いて、二年半の蝋の前で止まった。塊に耳を近づける。それから、指の背で軽く叩いた。
こつ、と鳴った。
少年は首を横に振った。それから、三年もののほうへ行って、同じように叩いた。こつ。今度は、音が少し低かった。
「違うのですか」
少年は頷いた。わたくしも叩いてみた。二度、三度。同じに聞こえた。何度やっても同じに聞こえた。
「わたくしには分かりません」
トビアスは、少し困った顔をした。それから鋏を出して、一回だけ鳴らした。まだ、という意味だ。二年半の蝋は、まだ。半年待てば、二回になる。
翌朝、組合の書記が三度目に来た。今度は、封筒を二つ持っていた。
「一つは、オルレンス家からの正式な発注書でございます。三百本」
「もう一つは」
「……申し上げにくいのですが」
書記は帽子を取った。
「オルレンス家より、組合に照会がございました。『ヴァイラント工房の蔵にある蜜蝋は、誰の所有か』と」
妻の手は帳簿に載りません。載せる欄が無いからです。ところが妻でなくなった途端、同じ手に値段がつきます。値段がついてはじめて、それが四十年ぶんだったと分かることがあります。
次回、蔵の蝋は誰のものか、という話になります。答えは、三年前の帳面に書いてあります。
ブックマークをいただけますと、蔵の段の埃がひと拭きぶん落ちます。




