第11話 最初の一箱
焼き印は、三日で上がってきた。
鉄の柄の先に、小さな字が彫ってある。ヴァイラントの頭文字と、等級の数字。数字は差し替えができるようになっていて、一から五まで組み替えられる。
わたくしはそれを火にかけて、試しの一本に押した。
じ、と鳴って、蝋が焦げた匂いがした。持ち上げると、底に印がついている。
「曲がってるよ」ハンナが言った。
「押し直します」
「押し直せないだろ、そこは」
「では、この一本はうちで使います」
ハンナは笑って、その一本を自分の作業台に立てた。
最初の正式な註文は、その日の午後に来た。
王城の調度方からの書状だった。レーゲン様の名前はどこにも無い。あの方が動いたのかどうかは、書いていない。書かない人だと思う。
——試しとして、一等を三十本。冬至までに納品可能かを問う。
「三十本」ハンナが数を読み上げた。「一箱だね」
「一箱です」
「冬至は」
「二月後です」
王城の大広間の冬至の夜会は、王都でいちばん大きな灯りの仕事だ。使う蝋燭は五百本を超える。三十本というのは、その百分の六だ。試しというのは、そういうことだ。
わたくしは書状を二度読んだ。二度目に気づいた。
「一等、と書いてあります」
「そりゃ王城だからね」
「うちの秋の蝋は、一等が打てます。ただし、九段のうち三段だけです」
三年寝かせた秋の蝋。北の谷の、蕎麦の花が混じったもの。あれだけが一等になる。残りの六段は二等か三等だ。悪くはない。ただ、王城の大広間には出せない。
「三十本なら足りる」
「足ります。今回は」
わたくしは言ってから、少し黙った。三段で作れる一等は、全部で四百本ほどだ。冬至の大広間には足りない。
その三十本を作るのに、六日かかった。
一等の蝋燭は、流す回数が違う。一度に太くすると中に空洞ができるから、薄く流して冷まし、また流して冷ますのを七度繰り返す。七度ぶんの層が重なると、燃え方が均一になる。
トビアスが層を数えた。数は数えられる。六度目と七度目のあいだで、少年はいつも指を一本立ててから下ろした。数え間違いではない。冷ましが足りないという合図だった。
六日目の夜、三十本が並んだ。全部の底に、焼き印を押した。今度は曲がらなかった。
「一箱」ハンナが蓋を閉めながら言った。「三年かかったね」
「六日でございます」
「六日で作れたのは、三年寝かせてあったからだ」
わたくしは蓋の上に手を置いた。
ふと思って、三十本のうちの一本を抜いて、灯してみた。炎が上がる。上がりきって止まる。揺れない。三年前の秋の蝋が、いま、燃えている。
この蝋を買ったとき、父はもう長くなかった。買った蝋がこうして燃えるところを、父は見ていない。見る予定も無かったはずだ。三年後に自分がいないことを、あの人は知っていた。
わたくしは火を消して、その一本を箱に戻した。
三十本のまま納める。抜いた一本を手元に残しておきたい気持ちがあったが、やめた。数が合わないのは、仕事として下手だ。
王城へ納めたのは、その翌日だ。
受け取ったのは調度方の書記で、蓋を開けて数を数えて、判を押した。それだけだった。レーゲン様には会わなかった。
控えを返されて、坂を下りてから気づいた。欄の外に、書記のものではない字が一行ある。
——三年前の秋の分、あと何段。
数を訊く字だ。挨拶ではない。返事を書く欄も無い。
わたくしはその紙を、畳まずに持って帰った。
帰りに、わたくしは初めて、代金の入った袋を工房の帳面の横に置いた。
変化は、その週のうちに現れた。
まず、坂下の靴屋が三本を六本にした。仕立屋が知り合いの仕立屋を連れてきた。宿屋のザイデルは、二階の廊下ぶんもくれと言った。
それから、少し驚くことが起きた。
南半分の卸から買っていた店が、二軒、うちに来たのだ。
「シュタインさんの倉のほうが安いだろう」わたくしは正直に言った。
「安い」油屋の主人は頷いた。「ただ、あそこは等級つきしか置いてない。うちに要るのは、そこまで良くなくていいんだ。夜通し帳面をつけるだけだから」
「では、三等をお勧めいたします」
「三等ってのは、悪いのか」
「悪くはございません。煤は少し出ます。ただ、値は等級つきの三分の一です」
主人は三等を十本買っていった。
二軒目は、桶屋だった。こちらは事情が違った。
「あんた、三日で辞めた灯り係の話を知ってるか」
「存じております」
「あれの逆をやってるんだよ、うちは。安いのを買って、煙で目をやられて、薬代のほうが高くついてる」
桶屋の主人は、目の下を指で押さえた。
「灯りは道具だと思ってた。桶と同じでな。安いのも高いのも、水は入る」
「入りますね」
「入るが、漏れる時期が違う。桶屋のくせに、灯りでそれを忘れてた」
わたくしは三等を勧めた。主人は二等を買っていった。
その夜、ハンナが帳面を見ながら言った。
「シュタインが怒るね」
「怒るでしょうね」
「潰しに来るかい」
「来ないと思います」
あの方は、中庭でこう仰った。邪魔なものを邪魔だという理由で潰したら、この組合は二十年前に戻る、と。
あの言葉は、わたくしに言ったのではない。役員たちの前で言ったのだ。
オルレンス家から使いが来たのは、そのさらに三日後だった。
使いは書状を持ってきた。差出人は、コンラートではなかった。ベアトリクス・ドゥ・オルレンス。
——当家の灯りにつき、話をしたい。三日後の午後、当家にて。
「呼びつけだね」ハンナが読んで言った。
「呼びつけです」
「行くのかい」
「参ります」
ハンナは書状をわたくしに返した。
「行くって顔じゃないよ」
「行かない理由がございませんので」
断ればよかった。断っても、こちらは困らない。ただ、断ると「意地を張った」ことになる。意地を張ったことになると、話が灯りの話でなくなる。
わたくしは、灯りの話だけをしに行くつもりだった。
◇
コンラート・ドゥ・オルレンスは、その週、二度の夜会を早じまいにした。
一度目は、備えの箱が空になったからだ。六日ぶんという言葉の意味を、彼はそのとき初めて正確に理解した。六日ぶんとは、七日目には何も無いという意味だった。
二度目は、獣脂を使ったからだ。厨房の備えから回した。火は点いた。ただ、三十分で客の何人かが目をこすりはじめた。
夜会そのものは成立している。料理は出た。楽師も来た。誰も文句は言わない。ただ、人が動かなくなった。
彼は回廊の端から広間を見ていて、それに気づいた。
以前、客は広間の奥まで歩いた。壁沿いに並んだ肖像画の前で足を止めて、当家の三代前の当主の話をした。話の種になるからだ。
今は、誰も奥まで行かない。
行かないのではない。行けないのだ。奥が見えないから。灯りが届いていない。
彼は自分でも気づかぬうちに、卓の端まで歩いてみた。燭台のあいだが遠い。以前はもっと詰まっていたはずだ——いや、本数は同じだ。数えた。同じ十二本だ。
同じ本数で、届かない。
彼は燭台の一つに近づいて、炎を見た。小さい。芯が長く伸びて、先が曲がって、そこから煙が上がっている。
切ればいいのだろうか、と思った。それから、どこをどれだけ切るのかを知らないことに気づいた。
鋏はどこにあるのだろう。六年間、この屋敷のどこかに、その鋏はあったはずだった。
一等の蝋燭は、薄く流して冷ますのを七度繰り返します。一度に太く流すと中に空洞ができ、そこまで燃えたところで落ちるからです。層が七つ重なると、燃え方が揃います。急いで作った蝋燭は、必ず途中で違う顔を見せます。
次回、坂を上ります。三日後の午後、当家にて、と書いてありました。
ブックマークをいただけますと、次の箱の蓋がもう少し早く閉まります。




