第10話 中庭に、二本
組合会館の中庭は、思っていたより狭かった。
石畳で、四方を建物に囲まれている。囲まれているのに屋根が無い。空だけが四角く抜けていて、そこから風が落ちてくる。上から来る風は向きが読めない。壁に当たって、回る。
役員が七人、東側の回廊に椅子を並べて座っていた。灯り師も十人ほど来ている。ヴェッセルさんの顔もあった。目が合ったが、どちらも会釈をしなかった。しないほうがあの方のためだ。
回廊の端に、若い令嬢が一人で立っていた。アンネリーゼ様だ。侍女も連れずに来ていた。
「持ってきたか」
シュタイン様が中庭の真ん中に出てきた。わたくしは布を開いて、二本を石畳の上に置いた。細く白いのが、秋の蝋。太くて色の濃いのが、夏の蝋。
シュタイン様は、両方を持ち上げて重さを見た。それから、芯の先を指で潰した。
「三つ撚りと、平打ちか」
「はい」
「素直だな」
「他に手がございませんので」
シュタイン様は蝋燭を石畳に戻して、こう言った。
「立てる場所は、私が決める」
役員の一人が何か言いかけて、やめた。書いていない条件を足すのは、書いていないから止められない。
「東の隅だ。二本とも」
東側。午後から風が回る場所。わたくしは頭を下げた。
「承知いたしました」
「それから、もう一つ。点けたあと、触れてよいのは一度だけだ。切るのも、寄せるのも、合わせて一度」
ハンナが後ろで息を吸う音がした。わたくしは振り返らずに答えた。
「一度でございますね」
「一度だ」
日没に点けた。
最初の半刻は、何も起きなかった。
細いほうは炎が小さい。石畳から一寸ほどの高さで、静かに立っている。太いほうは炎が横に広がって、回廊の柱まで届いていた。役員の顔が、こちら側からも見えるくらいに。
「よく届くな」役員の一人が言った。
「夏の蝋です」わたくしは答えた。「柔らかいので、よく上がります」
「持つのか」
「持たせます」
役員たちは半刻ごとに立ち上がって、二本を見に来た。近づいて、屈んで、また戻る。誰も何も書き留めない。灯りの審査は、数字で測るものではないからだ。何刻もったか。どこまで届いたか。煤が出たか。三つだけを見る。
「一等の三つ撚りにしては、少し細いな」
役員の一人が、そう言って通り過ぎた。
細い。そのとおりだ。三つ撚りをこれ以上太くすると、風で倒れなくなるかわりに、蝋を食う。三刻という条件が無ければ、もう少し太くしていた。
一刻を過ぎたころ、風が来た。
上から落ちて、東の壁に当たって、下で回った。細いほうの炎が一度傾いて、すぐ戻った。三つ撚りは倒れない。
太いほうが、揺れた。
平打ちの炎は面積がある。面積があるものは風を受ける。炎が横へ流れて、蝋の縁を舐めた。舐められた縁は溶けて、垂れる。垂れれば、そこから炎が偏る。
わたくしは動かなかった。
トビアスが、隣で膝をついていた。石畳に手をついて、炎の高さに耳を寄せている。中庭には二十人近くいる。それでも、あの子は陰に隠れなかった。
二刻を過ぎた。
太いほうの縁が、片側だけ薄くなっていた。あと四半刻もすれば、そこが破れる。破れれば蝋が流れ落ちて、炎は一気に大きくなり、そのあと死ぬ。
わたくしは鋏を握った。まだだ。今切れば、切ったあとに風がもう一度来る。来たときに、もう手が無い。
風が止んだ。
わたくしは鋏を持ち上げた。そのとき、隣で鋏が鳴った。
一回。
トビアスは炎を見ていた。わたくしも見た。
止んだと思った風の名残が、石畳の低いところをまだ流れていた。髪では分からない。炎の根元だけが、わずかに横へ引かれている。
わたくしは鋏を下ろした。
十を数えるあいだ、待った。根元の揺れが止まった。
鋏が、二回鳴った。
わたくしは中庭を横切って、太いほうの前に膝をついた。芯を三分の一だけ切る。それから、垂れかけた縁を指の腹で内側へ押し込んだ。押し込むと、そこがまた壁になる。
触れたのは一度。切るのと寄せるのを、一つの動作でやった。
立ち上がって、下がった。
炎が、真っ直ぐに戻った。
三刻が過ぎたとき、二本とも立っていた。
細いほうは半分以上残っていた。太いほうは三分の一まで減っていたが、炎は最後まで柱に届いていた。
役員が立ち上がって、順に見に来た。誰も何も言わなかった。言うことがないのだと思う。二本とも、課題どおりだった。
シュタイン様は最後に来た。太いほうの、押し込んだ縁を見ていた。指の跡が残っている。
「一度で両方やったな」
「はい」
「小賢しい」
「他に手がございませんので」
シュタイン様は、ふん、と鼻を鳴らした。それから、細いほうを持ち上げて、底を見た。底には型の跡がある。型の跡には、蝋の年が出る。
「この蝋は」
「三年前の秋でございます」
「北の谷か」
「はい」
「……買ったのは、親父さんか」
わたくしは、はい、と答えた。
シュタイン様は、しばらく蝋燭の底を見ていた。それから、それを石畳に戻した。
「不作の年に、あそこまで人をやった同業は、王都で一人だけだ」
「存じませんでした」
「知らんだろうな。あの人は言わん」
シュタイン様は回廊のほうを向いて、書記を呼んだ。
「帳面を持ってこい」
帳面は、あの三冊目だった。後見の順番が書いてある帳面。シュタイン様はそれを開いて、日付を書き、その下に自分の名前を書いた。
「組合長保証。一名で足りる」
役員のあいだから、小さくどよめきが起きた。二十年で三人が落ちた道だ。通ったのは初めてだった。
「明日から登録だ。等級の焼き印は、三日で彫らせる」
「ありがとうございます」
「礼はいらん」
シュタイン様は帳面を閉じて、こちらを見ずに言った。
「私はあんたの蔵が邪魔だ。それは変わらん。ただ、邪魔なものを邪魔だという理由で潰したら、この組合は二十年前に戻る」
わたくしは頭を下げた。この方は、たぶん一度も嘘をつかなかった。
帰り際、回廊の端でアンネリーゼ様が待っていた。
令嬢は、何も言わなかった。手帳を胸に抱えて、ただ深く頭を下げた。それから、来たときと同じように一人で帰っていった。
工房に戻ったのは、夜半だった。ハンナが酒を出した。トビアスには蜂蜜の湯を作った。
「あの子が鳴らしたね」ハンナが言った。「人の前で」
「鳴らしました」
「一回だったろ。あれが二回だったら、切ってた」
「切っておりました」
トビアスは湯の椀を両手で持って、湯気を見ていた。褒めても俯くだけなので、わたくしは何も言わないことにした。かわりに、椀にもう一杯足した。
翌朝、組合の書記が来た。
登録の写しを持ってきたのだ。紙の上のほうに、工房の名がある。その下に、初めてわたくしの名前が書いてあった。
リーゼ・ヴァイラント。登録灯り師。
六年ぶんの夜は、父の名で数えられていた。これからは違う。
「それから、もう一件ございまして」
書記が、帽子を手の中で回した。
「本日の朝いちばんに、オルレンス公爵家から組合へ問い合わせがございました」
「何と」
「『ヴァイラント工房の蝋燭を、まとめて買い取りたい』と」
風は、髪では分かりません。炎の根元がわずかに引かれるので、そこを見ます。止んだと思ってから十数えるのは、上から落ちる風が壁で回って戻ってくるまでの時間だからです。
次回、買い取りの話が来ます。断るつもりはありません。断らなくても、届かないからです。
ブックマークをいただけますと、焼き印を彫る職人の手が一日早くなります。




