ことば。
三人目。
春山勝。
春山の家は千種区の高級住宅街にある。
広げた地図の上に、先輩がふわふわ浮いている。
「何、見ているのですか?」
「地図。土地勘がないからね。覚えておかないと」
最近の先輩は少しずつ口調が変わっている。
あえて言えば、そう、子供っぽい口調。
記憶の欠損は知性の欠損という意味にもなるのだろうか?
僕はとあるSF小説を思い出す。
白痴の青年が天才になる話。
薬を使って、一気に天才を作って、だけどその効果は永遠ではなく。
その青年は再び自分が元に戻っていくことを恐怖する。
はたして、先輩は……。
頭を振って、目の前のことに集中する。
何故、地図を持ってきたのか、それを忘れちゃいけない。
周囲をチェックする。
駅。公園。
残念ながら、人の来ない廃墟なんて場所はない。
松岡と同じ手は使えない。
どこへ。
そして。
どう殺すか。
「これはどこ?」
「千種区。日泰寺とか、覚えてます?」
「お寺?」
覚えていないらしい。
笑顔でごまかされた。
まあいい。
「そ、お寺です。でっかいんですよ。今度一緒に行きましょう」
「えー、お寺嫌い」
あ、幽霊だっけ。
「お祭りだったらいいですか?」
「うーん。お祭りだけなら。浴衣とか着たいな」
先輩は笑う。
僕はお祭りを思い出していた。
ここ、日泰寺の参道では月に一度、縁日が開かれる。
僕たちは二人連れ立って出かけたことがあった。
綿あめやたこ焼きを二人してつついて食べた。
笑いながら。
だけど。
そんな思い出は先輩の中にはない。
もうすでに。
先輩の死から三十二日。
「ま、とりあえず、明日行ってみるか」
僕は眠ることにした。
すると先輩が寄ってきた。
ベッドの、僕の脇に寝そべる。
肩が少し、布団の中に隠れているのが実体じゃないと告げていた。
「ごめんね。馨くん。あたし、馨くんの人生、台無しにしちゃったね」
「いいですよ。先輩」
「ねえ、馨くん。馨くんとあたしは恋人同士だったの?」
先輩は僕を見つめていた。
僕は。
言葉を濁す。
「ごめんね。覚えてなくて」
「いえ。あの、本当のこと言うと」
「何?」
「告白……してなくて……」
「えーっ? そ、そうなの?」
「いや、あのその」
しどろもどろ。
説明できない。
うう。
「じゃあさ」
「はい?」
「告白してください」
暗い部屋の中。
ベッドの上で二人きり。
僕の顔のすぐそばに先輩の顔がある。
「え……あ、あの」
「嫌?」
「え……あ、あの」
壊れたカセットデッキか、僕は。
先輩が笑う。
「あたしには何もできないけど」
笑顔がまぶしい。
この人が、すでにもう命を持たないなんて。
涙があふれる。
「あ、ごめん、いじめちゃった?」
先輩が慌てる。
「いや、違います。違います」
僕は手を伸ばした。
触れられない。
この先、永遠にこの手は先輩に触れることはない。
だけど、僕は手を伸ばした。
そして。
「僕は……、由実先輩のことが……」
先輩が僕を見る。
時間が伸びていく。
永遠と思うような時間の後、僕の口はようやく言葉を発した。
「好きです」
「あたしもだよ。馨くん」




