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眠れぬ夜と灰色の朝。  作者: 阿月
26/35

ことば。

 三人目。

 春山勝。


 春山の家は千種区の高級住宅街にある。

 広げた地図の上に、先輩がふわふわ浮いている。

「何、見ているのですか?」

「地図。土地勘がないからね。覚えておかないと」

 最近の先輩は少しずつ口調が変わっている。

 あえて言えば、そう、子供っぽい口調。

 記憶の欠損は知性の欠損という意味にもなるのだろうか?

 僕はとあるSF小説を思い出す。

 白痴の青年が天才になる話。

 薬を使って、一気に天才を作って、だけどその効果は永遠ではなく。

 その青年は再び自分が元に戻っていくことを恐怖する。

 はたして、先輩は……。


 頭を振って、目の前のことに集中する。

 何故、地図を持ってきたのか、それを忘れちゃいけない。

 周囲をチェックする。

 駅。公園。

 残念ながら、人の来ない廃墟なんて場所はない。

 松岡と同じ手は使えない。

 どこへ。

 そして。

 どう殺すか。


「これはどこ?」

「千種区。日泰寺とか、覚えてます?」

「お寺?」

 覚えていないらしい。

 笑顔でごまかされた。

 まあいい。


「そ、お寺です。でっかいんですよ。今度一緒に行きましょう」

「えー、お寺嫌い」

 あ、幽霊だっけ。

「お祭りだったらいいですか?」

「うーん。お祭りだけなら。浴衣とか着たいな」

 先輩は笑う。

 僕はお祭りを思い出していた。

 ここ、日泰寺の参道では月に一度、縁日が開かれる。

 僕たちは二人連れ立って出かけたことがあった。

 綿あめやたこ焼きを二人してつついて食べた。

 笑いながら。


 だけど。

 そんな思い出は先輩の中にはない。

 もうすでに。

 先輩の死から三十二日。

「ま、とりあえず、明日行ってみるか」

 僕は眠ることにした。

 すると先輩が寄ってきた。

 ベッドの、僕の脇に寝そべる。

 肩が少し、布団の中に隠れているのが実体じゃないと告げていた。

「ごめんね。馨くん。あたし、馨くんの人生、台無しにしちゃったね」

「いいですよ。先輩」

「ねえ、馨くん。馨くんとあたしは恋人同士だったの?」

 先輩は僕を見つめていた。

 僕は。

 言葉を濁す。



「ごめんね。覚えてなくて」



「いえ。あの、本当のこと言うと」

「何?」

「告白……してなくて……」

「えーっ? そ、そうなの?」

「いや、あのその」

 しどろもどろ。

 説明できない。

 うう。

「じゃあさ」

「はい?」

「告白してください」


 暗い部屋の中。

 ベッドの上で二人きり。

 僕の顔のすぐそばに先輩の顔がある。

「え……あ、あの」

「嫌?」

「え……あ、あの」

 壊れたカセットデッキか、僕は。

 先輩が笑う。

「あたしには何もできないけど」

 笑顔がまぶしい。

 この人が、すでにもう命を持たないなんて。

 涙があふれる。

「あ、ごめん、いじめちゃった?」

 先輩が慌てる。

「いや、違います。違います」

 僕は手を伸ばした。

 触れられない。

 この先、永遠にこの手は先輩に触れることはない。

 だけど、僕は手を伸ばした。

 そして。

「僕は……、由実先輩のことが……」

 先輩が僕を見る。

 時間が伸びていく。

 永遠と思うような時間の後、僕の口はようやく言葉を発した。


「好きです」

「あたしもだよ。馨くん」

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