80章 ハッピーエンド―――-0:35:00
「―――そんな事無いって。たった一人で俺と考えたプランを実行するなんて、母さんは本当に凄い人だよ」
にっ。えくぼの浮かんだ顔は子供時代、まだ『魔人眼』に目覚めていなかった頃と全く変わらなかった。
「だから、さ―――もういい加減、自分を責めるなって」「……!!」
そう……あの事故以来、ずっと彼が哀れだった。本来持っていた豊かな感情を失い、無味乾燥な砂漠の世界へ一人放り込まれた息子が―――しかしそれもこれも、私の勝手な思い込みに過ぎなかったのだ。
『眼』を使うまでもない。幸せでないなら、何故この子達はこうまで楽しげに違法改造車へ乗り、作戦成功に肩を叩き合っていられると言うのだ。
―――君は何かにつけて熟考し過ぎなんだよ、ベアト。
心臓発作の直前、夫に掛けられた一言が不意に蘇る。生命の最後の灯火が為せる業だろうか。あの時の彼の目はまるでそう、私達と同じ―――。
(ああ、そうね……全部、あなたの言う通りだったわ……)
伊達に何十年も連れ添ってくれてはいない。一昨々日は乱暴にしてごめんなさい。停車したら真っ先に診るわ。家に着いたらメンテナンスもして、
「おい、二人共。父さんの事、くれっぐれもあの変態の耳には入れるなよ?第二の人生が奴の専属ダッチワイフなんて、余りにも父さんが可哀相過ぎる」
「当たり前です!」
電話口の男性か。そう言えば先程、彼もこの舞台に上がった風な事を聞いた気がする。
早速質問をぶつけると、息子は鼻にくさやでも突っ込まれたような渋面を浮かべた。
「奴なら母さんもバッチリ見てるよ。何を隠そう緋鮮温泉の主人夫婦が、さっき話に出てたスピカの両親。見事な成りすましっぷりだったろ?」
「嘘!?本当に?」
給仕の手付きといいお辞儀といい、まるで本職としか思えなかった。
「にしても奴が男湯を覗くまでは予想出来たが、箒でケツを突ついて落としている最中にパレットが来たのには吃驚したぜ。お陰で予定より早く正体をバラす羽目になっちまった」
何、そのシュールなリアル喜劇。直に見られなかったのが実に残念だ。
「でも、あのオッサンのホトケに対する嗅覚はドーベルマン以上だからなあ……あ、噂をすればメールだ」
パカッ……車内に沈黙が満ちる。
「バレたか。で、何て?」
確信的に尋ねる息子。
「会わせないとキム、お前を労って旅行券をプレゼントするそうだぞ。良かったな」
「風呂覗く気満々じゃねえか!?温泉だって変装がバレる以上に、あいつに裸を見られるのが死んでも御免だから入らなかったんだぞ!!」
「けどお前、死んだら見られるどころか」ドガッ!「ぐはあっ!」
渾身のストレートが炸裂し、頬を押さえて俯く団長。フン!そんな彼に冷酷な一瞥をやる息子。
「あぁ、予想通り興味津々だわ……」
娘さんが頭を抱えかけ、慌てて手を離す。
「い、いえ、大丈夫ですよお母様!旦那様の貞操は必ずお守りしますから!!」
「あら、私は会わせても構わないわよ」
若者達が揃って目を剥き、止めておけと言わんばかりに首をブルブル横へ振る。
「グラシアもお世話になった劇団の皆さんに、一度きちんと御挨拶がしたいでしょうし。ところで街を出たけれど、一体何処へ向かっているの?」
辺りは家並みからすっかり草原へと変わり、遠くの山々はうっすら雪化粧を被っている。予想外の方向から訪れた安息の日は、空恐ろしい程平和な風景だ。
「取り敢えず新居へ寄って、夜は劇団の練習場兼溜まり場の倉庫に案内するよ。パレット達ともそこで合流する予定だ」
「あら、彼女達も呼んだの?」
「協力してもらったからな。今朝、飯の前にパーティーの事を伝えておいた。あいつ内緒のまま連れて来るらしいからグランダの奴、きっと鳩が豆鉄砲食らったような顔だぜ」
逞しいコックがぽかんと口を開けた所を脳裏に描き、女性陣は揃って噴き出した。
「ところでパーティーって、あなたの復活のお祝いの?」
「何言ってるんだよ、母さんの誕生パーティーに決まっているだろ。あ、そうだ」
再度ダッシュボードへ手を入れ、四つ折りに畳んだ紙片を取り出す。そこに印字されていたのは、
「入団試験は無事合格だ―――さて母さん、それを踏まえてどうする?」
団長とミラー越しの女優の熱い視線を浴び、年甲斐も無く照れ臭くなりながら口を開く。
「そうね……親子揃ってこの通り不束者だけど、それでも良ければどうぞ宜しく―――」




