64章 四十七年の追憶―――10:40:00
「―――ふー……もうお腹一杯。あと食べておいて、クラン」
そう言い残し、ネグリジェ姿の老婆はベッドへ。座った姿勢のままパタン、と倒れ込み、深呼吸して目を閉じる。
「はいはい。にしてもこの量、もしかして偽手品師の分がオマケされてる?」
「でしょうね。今夜は最後のディナーだし、材料を残しても仕方ないもの」
「だからって、こんなにバケットだけ食べられないよ」
トレーにミリ単位で残るシチューを吸わせつつ、ぼやいてぱくり。さて、まだ半分近くあるが、頼みのジャムもマーガリンもとうに使い切ってしまった。どう処理してくれよう?
「―――全く、飼い犬の事は言えないね」
ナイフでパンに切れ目を入れ、友人の折詰から齧られたハンバーグを失敬して挟む。ついでに横の千切りキャベツも突っ込み、即席ハンバーガー完成。
ぱく、もぐもぐ。「うん、まあまあだね」
煮込み風の挽肉の塊は柔らかくて、トマトソースとの相性もピッタリ。溢れた肉汁が硬めに焼いたバケットに染み込むのも良い感じだ。
「面白い事してるのね。一口頂戴」
「満腹じゃなかったの、お婆ちゃん?はい」
ぱくっ、むしゃむしゃ。
「あら、美味しいわ。それに……懐かしい」
「?」
「あの子、小さい頃は偏食が多かったの。バケットも咽喉に詰まるのが嫌いで、よくこうしてハンバーガーにしてた」
口周りのソースを拭おうともせず、旧友は遠い目のまま語る。
「本当に……可笑しいわよね。感情の無い、しかもこんな『眼』を持った私が結婚して、まかりなりにも一人の子供を産み育てただなんて……あなたと出会ったあの頃は考えもしなかったわ」
「人生はハプニングの連続だよ、ベアトリーチェ」
「その通りね」
汚れをティッシュで拭き取った彼女は私の両目をじっ、と覗き込む。瞼や目尻に皺が寄っているが、眼力だけは少しも衰えていなかった。
「私の性格、少しは丸くなったかしら?」
「大分。四十七年前はトゲトゲしたオーラが出てて、やたら近寄り難かったもの」
「けれどそんな私に、あなたは声を掛けた」
―――あれ、あなたがやったの?随分派手だね。
ソファに掛け直し、膝の上に座らさせられる。慈母は私を息子の代替に、昔語りを続けた。
「あんなに普通の人生は嫌だったのに、クランのせいよ。折角の提案を蹴って、私を連れて行ってくれなかったから……でも」
ふっ、気の抜けた笑み。
「あなたの言っていた愛着の意味、今は痛い程分かるわ……百パーセント間違っているとこの『眼』が訴えても、私達人は時に過ちを冒さざるを得ない。どうして宇宙の摂理は―――」
右腕を、愛情の証明を上から強く強く掴み、声を絞り出す。
「―――私を心を持たない、ただの機械にしてくれなかったの……!?」
異能を使うまでもない。自身の運命を呪い、彼女は幾晩も幾晩も泣き腫らしたのだろう。それが不合理で、且つ無駄で無意味極まりない行為だと理解していても……。
(でも案外、似たような悩みってあるものだね)
今もこの宇宙、或いは外宇宙を彷徨っているであろうインテリな小天使を夢想する。
(それに、言っちゃ悪いけどベアトリーチェ。あなたの憧れのマシーンだって、偶には魂を持つんだよ)
完璧なスペックの頭脳に、老いゆく肉体を持つ彼女。逆に余りにも不完全な頭脳に、不老の肉体を持つ青年画家。さて、一体どちらが幸せ?
そう自問自答しつつバーガーを咀嚼し、指のソースを綺麗に舐め取った。
「御馳走様―――ねえ、折角だから寝物語に聞かせて。ベアトリーチェの愛した家族の話を」
「ええ。あなたが望むなら夜明けまででも」
快諾して照明を消し、ベッドに潜り込む。
隣に横たわった旧友は、静かに語り出す。異能の女と極平凡な男、そして二人の間に生まれた一人息子の、何処にでもありそうな他愛も無い人生を―――。




