43章 緋く花咲く湯―――44:15:00
「ふ~、極楽極楽~」「く~ん❤」
温泉が動物OKで良かった。宛らもずくのように、長毛を湯の四方八方へ広げるラフ・コリー。しかもバスタブと違い、ここなら幾らでも犬かき可能だ。早速漕ぎ出し、露天風呂の手前の方にいるセミアと那美の所へ向かう。
「あ、ボビー。凄く気持ち良さそうね」撫で撫で。「にしても、温泉って何でこんな熱いの?茹る~」
「セミアちゃん、もうのぼせたんですか?顔真っ赤ですよ。一回上がって髪でも洗ってきなさい」
「は~い」
バシャッ。巨乳をだら~んと垂れ下げつつ、猫背で建物内の大浴場に引き返していく義妹。所帯から解放されたオバサンじゃないんだからさぁ……これ以上はセクハラになりそうなので止めておく。
生卵が十個入った竹籠を抱え、更に一メートル程奥へ移動する。売店では三十分も温めれば食べ頃だと言っていた。茹り忘れが無いよう、手で一度掻き混ぜる。
「おやつに一個あげようか?」
「まあ、嬉しい」
身体と髪を洗い終えた旧友が、肩まで浸かりながら手を叩いた。その右腕、垂直に残る痛ましい轢痕を指差す。
「事故?」
指摘に老婆の唇から微笑が消え、代わりに深い哀しみが立ち現れた。演技でない証拠に、『万里眼』で透けた魂も悲嘆に染まっている。
「ええ。咄嗟に息子を庇おうとして……自分自身驚いたわ。こんな私にも、人並みの母性があったなんてね。結局は無駄だったけど」
「そんな事無いよ。結果はどうあれ、母親が助けに来て嬉しくない子供なんて……あれ、もしかして死んでなかったりする?」
慰めた後わざとそう言った私に、ベアトリーチェはクスリ。
「YES。『障害』は残ったけれど、他は吃驚する程健康体」
一瞬にして過ぎ行った複雑な感情に、私は盛大な欠伸を漏らした。
「なら尚更結果オーライじゃん。自分を責める必要無いって、普通の人なら言うんだろうけど。ま、その内赦せるといいね」
「ふふ、そう言ってくれるのはクランだけだわ。でもね―――残念ながら、そんな日は終末の遥か先」
溜息。
「年を取って頑固になったんじゃない、グランマ?」
「あなたが漂泊なだけよ」
その後も、他愛も無いお喋りを五分程堪能。そう言えば洗髪がまだだった、とバシャッ!立ち上がった。寒い、ぶるぶる。
「ちょっと持ってて。髪洗ってくるから」
「ええ」
卵を託し、屋内大浴場に向かう。奥には脱衣所への扉。シャワーが五つと、普通の無色透明の湯の浴槽。そしてサウナ室の隣の水風呂では、水を得た魚のようにピンク髪がはしゃいでいた。
「あれ、くーちゃんものぼせちゃった?」クスクス。「なーんか歩き方、腰痛持ちのお婆ちゃんみたい」
「義理でも姉妹って事だよ」
「??ま、具合が悪くないならいいか」
首を傾げたままぶくぶく、冷水に鼻先まで浸かる義妹。額にサファイアの埋まった顔色は、すっかり元の純白に戻っていた。
「その分だとまだ洗ってないんでしょ?横おいで」
「うん」バサァッ!
並んで木の椅子に座り、シャワーで髪を濡らす。掌で泡立てたラベンダーの香りのシャンプーを乗せ、頭皮を解すようにゴシゴシ撫で付ける。
「ん、後ろまで泡が来てないよ。ちょっと動かないで」
腰まである長髪を掴み、シャンプーを付け直してぐしぐし。その後一度洗い流し、コンディショナーもたっぷり滑らせた。
「気持ち良い~。くーちゃん、何かお母さんみたい」
「そう?」
前宇宙の大父神様からは、妹の両親も私と同様“虚無の病”で亡くなったと聞いている。当然、こんな風に本人の口から話されるのは初めてだ。
「病気の前はお母さん、ずっと美容師やってたの。だからシャンプー凄く上手だった。くーちゃんのママは?」
「……覚えてないよ。死んだの、物心付く前だったから。気付いた時にはもう、お兄ちゃんと孤児院に」
「そう……ごめんね、悪い事訊いちゃって」
そんなに悲しそうな表情しなくていいのに。優しい子だ。
「気にしないで。大昔の話だし、別にどうも思ってない。そろそろ流すよ」
ザー……綺麗になった自身の髪を撫で、私のにも指を滑らせる。
「うーん、気持ち私の方が細いかな?アシェリ族って元々体毛が薄いの。でもそれだど、本数が減ったらダイレクトに禿げて見えちゃうね」
「その背丈をわざわざ覗き込む人も相当だよ。あ、那美」
「失礼しますよ」
露天風呂から上がってきた政府員は、そう言って桶で水を二、三度掬い身体に掛けた。あれだけ天災的攻撃力を有しているのに、引き締まった肉体には案外筋肉が付いていなかった。
「もう上がるの?」
「ええ、ラウンジで待っているシーさんと交替します。それよりクラン、ベアトリーチェさんが退屈そうでしたよ?」
髪に含んだ水分を絞りながら嘆息。
「洗い終わったなら早く戻ってあげ」「くーん!」バシャンッ!「わっ!?」「きゃっ!?」
ラフ・コリーの不意打ち冷水ダイブ、その余波を私達三人モロに食らう。一方、周囲の迷惑など本犬は露知らず。余程心地良いのか、尻尾をぶるんぶるん回転させて尚も水飛沫を撒き散らした。
「あはは、ボビーも水の方がいいんだ。気が合うね」
「こら、止めなさい!!―――全く、しょうがありませんね。乾かしてあげますから、一緒に来なさい」
「くーん」
誘いにパシャン!あっさり水風呂を出た四足哺乳類。
「悪いね。確か脱衣所にドライヤーがあった筈だよ。肉球だけしっかり乾燥させて。後は多少生乾きでも、帰る間に蒸発するから」
「分かりました」
ガラガラガラ……一人と一匹を見送り、独壇場へと再突入した義妹を残して、私は友人の待つ露天風呂へと戻った。




