22章 緊急停止―――62:50:00
グラスを傾けつつ窺った隣人は、視線に気付いて年甲斐も無くウインクした。試合開始のタイミングは任せる、と言う事らしい。全く、泣けるぐらい素晴らしい御配慮だ。
「ぷはっ!さあさ、やっとお待ちかねの飯だ飯!!」
「ちょっとレイ、下品だよ!私達まで同類と思われるじゃない」
硝子を挟んで数十センチ先の変事を他所に、暢気にそう喋る二人。その様子を微笑みながら見つめた向かい席の衛兵は、グラスが空いていますね、料理の前にもう一杯ドリンクを頼んできましょうか?優等生らしい提案をした。
再度政府員を確認すると、相変わらず腕組みしたまま微動だにせず警戒中。ん?そう言えば、さっきから一向におじさんと栗花落さんの姿が見えない。まさか経費が落ちなくてお弁当とか?
正面では大役を終え、脱力した裁判官が席に着いていた。
「お疲れ様です、ラント。とても素晴らしいスピーチでした」
「ありがとうございます。あぁ、まだドキドキする……うう」
胃の辺りを押さえ、残ったシャンパンを一気飲み。労いに訪れた車掌に水を頼む。
「そうだな……んじゃ、俺赤ワイン。クランも飲むだろ?セミアはどうする?」
「んー。この後もあちこち撮影するし、今日は烏龍茶にしておくよ」
料理が来てもあれだし、そろそろ言うか。にしても三人共、見事に気付いてないな。端で見ている分には面白いから、しばらく放っておきたい気もするんだけど。
「クラン」
「はいはい」
全く、急かすぐらいなら自分でやればいいのに。
私は無言のまま左手にある窓へ目線をやり、対象物を観察。さっきより大分下りて来ている。向こうも気付いて欲しくて焦れているのか?
「?女王様?」
先に異変を察したのは矢張り衛兵だ。一応私を好きなくせに、皇太子殿下は観察力が無さ過ぎる。
「どうかなさい――――あ……!」
「おい、何だよアス。間抜けに大口開けやがって」
硬直する同性をせせら笑う正面で、義妹が首を傾げた。
「何か見えるの?あ、もしかして満天の星空!?なら食事前に一枚撮っておこうっと」
そう暢気に言い、残る二人もほぼ同時に窓の外を振り向いた。
セミアの望み通り、冬の星空はうっとりする程綺麗に瞬いていた。だが、流石に額と眼球から流血した死体との斬新なツーショットはノーセンキューだったようだ。
上下逆転する黄色く濁った目と目が合い、たっぷり十秒後。
「わぁああああああっっっっっ!!!」「きゃあああああっっっっ!!!」
食堂中に、惚れ惚れする程の悲鳴が響き渡った。
「どうなさいました、お客様!!?」
一早くキッチンから駆け込んできたのは、給仕に回っていたパレットさんだ。私とベアトリーチェの間で立ち止まり、客達が指差す窓を確認。へばり付いた惨状に、咄嗟に口元を押さえる。
「……ットー……?嘘、そんな……ぁ」バタッ!「シーさん!?大丈夫ですか!!?しっかりして下さい!」
衛兵に上半身を抱き止められた女性乗務員。だが真っ青な唇を震わせた彼女は、ショックで完全に意識を失っていた。
「ぎゃあっ!!」
「今度はどうしたの?……ああ」
再び窓に目をやると、死体は消えていた。どうやら視線を外した隙に落下したらしい。
「パレット!!」「シー君!?」
狭い通路で身体を捻りながら、コック服を着たラガーマン(だって体形がズバリそうなんだもん)がダダダッ!こちらへ駆け寄って来た。数秒遅れて車掌も後に続く。
到着したコックは膝を折り、介抱するアスから彼女を引き取った。頬を叩き、必死に名前を呼ぶ。
「ちょっと御免ね」
「あ、おいクラン!!?」
私は席を立ち、彼等の脇を通って食堂出口へ。突然のお祭り騒ぎに興奮したのか、這い出したラフ・コリーもちゃっかり付いて来る。とは言え、目的地はすぐそこなんだけどね。
無人の二号車へ到着後、即出入口に歩み寄る。勿論走行中のため、ドアはロックされている。そして脇には、無防備なまま放置された埴輪車掌……はひとまず置いておいて、用があるのは彼の後ろの非常停止スイッチだ。
両手で恭しく車掌を持ち上げ、横に数十センチ移動願う。そうしてから頑丈そうな硝子のカバーに腕を伸ばしかけ、止めた。
「ちょっとクラン!?責任者の私に断りも無く、勝手に飛び出して行かないで下さい!!」
そう叫ぶなり、那美は驚異的破壊力を伴う回し蹴りで硝子を一撃粉砕した。バラバラバラッ!床に落ちる破片。
「御苦労様。やっぱり那美は頼りになるね」
「褒めるぐらいなら一言……とにかく一旦停めますよ!何かに掴まっていて下さい!!」
そう命じた鬼女が拳をボタンに叩き付けた、次の瞬間。甲高いブレーキと共に、時速四十キロの慣性が全身に掛かった。私は握った手摺りに全体重を預け、ボビーは床に這い蹲る。
一分程経ったのだろうか。爪先だけで衝撃に耐え切った政府員が、手動に切り替わったドアを力づくでこじ開ける。
ごごごご……外灯一つ無い夜の闇と冷気が押し寄せ、反射的にブルッ、二人と一匹の身が震えた。
「見事に真っ暗ですね……遺体を捜すなら明かりを借りてこないと」
「本気で?」
「当たり前でしょう。と言うか、放っておくつもりなら何故停車させようとしていたんです?」ご尤も。
ドヤドヤドヤ!那美に遅れ、ようやく仲間達と車両関係者もこちらへ移動してきた。
「おい、我輩の運転を止めおったのは貴様等か!?」なぬ?
「来るのが遅過ぎますよ先生!車掌、懐中電灯を貸して下さい。墜落した遺体を捜索してきます。クラン、遺体の人相は?」
「倒れる前に確か、パレットさんが『オットー』とか言ってたよ。車掌さん達なら知っているんじゃない?」
仰天する責任者に、確か遅刻した副車掌の名だったな、珍しくおじさんが仕事した。
「え、ええ……会社からも何度も家に電話しているそうですが、一向に出ないと。しかし、まさか亡くなっていたとは……!?」
「ちょっと待つんだ、宝君。彼の母親が二号室の乗客なんだ。しかも、現在も食堂で待機している」
先輩の指摘に、腕組みで思案する事十数秒。
「……事実関係がハッキリするまで、彼女含め一般の乗客達には事情を伏せておきましょう。車掌は私達が出発後、直ちに彼等を各部屋まで誘導しておいて下さい。今夜は自室から出ないように、とも。コックの彼は介抱を?」
「はい。今、イスラさんが診察中です」
はきはきした衛兵の返答に、大事が無いといいのですが……、上司を完全に差し置いて仕切り人は低く呟いた。
「分かりました。取り敢えず、パレット・シーの事は二人に任せましょう。私達は急ぎ線路を辿り、墜落したオットー・ビア氏を発見しないと」
「我輩は行かんぞ!こ奴を殺人者がいるかもしれん車内に一人残せるか!?」
そう言って隣の女中の肩を掴む姿は、本気で捜査官の面汚しだ。いい加減その態度には慣れているのだろう、那美は小さく嘆息した。
「あぁ、言うと思いました。大丈夫ですよ、栗花落さん。先生なんか連れて行っても、転ぶか野犬と喧嘩を始めるのが関の山です。今回に限っては運転もやってもらっていますし、最初から人数に入れていません」
成程。道理で先程、運転手の筈の車掌が挨拶に出て来られた訳だ。でも、おじさんにしては意外な特技だな。何時習ったんだろう?
「はい。では旦那様は電話をお借りして、政府館の方へ連絡しては如何ですか?確か停車中は通話可能なのですよね、車掌さん?」
「え、ええ。ですがそれは、オットー君の安否を確認してからでも遅くないでしょう。幾ら不真面目な同僚とは言え、生死不明は流石に不安です」
今の彼には、これでも精一杯の嘘なのだろう。全く、酷い事をするものだ。
「確かに二度手間だな。そう言う訳だ小娘、とっとと行ってこい」
「待った。那美、俺も一緒に捜しに行く」
皇太子に続き、律儀な衛兵も手を挙げる。
「僕も行きます。女性一人で夜の、それも道無き道を歩くのは危険です」
「アス君……だったら本官も付いて行こう。四人ならそうそう見落としはしない筈だ」
奇特な志願者達に、政府員は深く一度頷いた。
「ありがとうございます、皆さん。では、準備が出来次第出発しますよ!」




