18章 挙動不審なマジシャン―――64:00:00
再度走った緊張を解いたのは、下り方面のドアの開く音だった。
現れた臙脂の燕尾服の男は、見た目三十代後半。肩まで茶髪を伸ばし、俺ほどではないが中々イケる顔立ち。左手のステッキをくるくる回しながら、俺達のいるカウンターへと近付く。
「マスター、酒を一つくれ。出来ればビール」
「済みません、お客様」
ペコッ、きっちりとした角度でお辞儀。
「今はカフェの時間でして、生憎アルコール類は置いておりません。バーは夜十時から翌二時までの営業ですので、是非ディナーの後に御利用下さい」
元弁護士の時とは打って変わった誠実な応対に、ありゃ、そうなのか?ハードボイルドは一転目を丸くした。
「はい。詳しくはチケットに同封されていた、車両案内のパンフレットを御覧下さい」
「パンフ?―――あ、ああ、あれねあれ」
目を泳がせながら手を叩く様子に、マスターは苦笑一つせず手をカウンター下へ。流れるような動作で、俺のズボンのポケットに突っ込まれたのと同じ小冊子を取り出す。
「因みにこちらになります。宜しければどうぞ」
「あ、ああ……済まねえ、助かるよ」
そう礼を言い、ぎこちなくはにかむ。
「実はその、家に忘れてきちまったんだ。しかも最近仕事が忙しくて、殆ど読んでなくてさ」
「何だ、なら俺達と変わらないな。俺はグレイオスト・クオル、レイって呼んでくれ」
真横から伸ばした手に、男は吃驚しつつも応じた。肉体労働者だろうか、結構分厚い掌だな。
「御丁寧にどうも。俺はカーシー・ロイド。これでも一応手品師の端くれだ」
全然違った。
「ほう。あのカードマジックで有名なMr.Rも招待されていたのか。これは楽しみだな」
ターラー氏の歓待振りに、何故かマジシャンは一瞬怯えた表情を浮かべた。しかし成程。それならパンフレットを参照する時間が取れなかったのも頷ける。目の下にクマがある事から、きっと昨日も夜遅くまで営業活動していたのだろう。
「って事は、その内ショーを?」
「さ、さあ……?車掌からはまだ特に何も。でも、折角こんな豪華列車に乗れたんだ。道具は一応持って来ているけど、出来れば旅行中ぐらいは仕事を忘れてのんびりしたいなあ……」
ん?何か、本業の割にすげえ嫌そうだな。マスコミ関係者が乗車している上、株主初めパトロン候補もチラホラ。絶好のアピールチャンスだと思うのだが。それとも既に方々から引っ張りだこで、純粋にバカンスを楽しみたいだけか?
(後でどれ位の有名人か、セミア辺りにでも訊いてみよう)
しかしマジック、なぁ……姉さんみたいに、俺も母さんから一つぐらい習っておけば良かった。
「そんなに多忙なんですか?」
「ええ、特にここ数日は死ぬ程……」
ゲストのげっそりした口調に、シーさんはジェスチャーで椅子へ掛けるよう促す。
「それは御苦労様でした。他にも分からない事がありましたら、何時でも私達スタッフへお尋ね下さい。取り敢えずMr.R。乗車記念に、北斗社オリジナルブレンドコーヒーは如何です?」




