17章 喫茶兼酒場にて―――64:10:00
まだ日没には少し早い、午後四時半。録音されたピアノの調べをバックに、二号車は午後のゆったりとした雰囲気に包まれていた。
俺がいるのはこのカフェバーのマスター、パレット・シー女性乗務員を目の前にしたカウンター席の隅だ。常時小刻みに揺れてはいるが、流石は豪華列車。中々の座り心地だ。
他の客が来ない事もあり、もう彼是一時間近く彼女相手にダベっていた。
「お友達、遅いわね」
「あいつなら多分、晩飯までもうずっと向こうさ」
三十分前まで、隣席には同じく暇を持て余した衛兵がいた。しかし三号車から現れた取材組に知人の同乗を告げられた途端、あっさりそっちへ挨拶に行ってしまった。一方、二人は車内撮影とシーさんへのインタヴュー後、一号車方面へ行ってまだ戻って来ていない。
同じ裁判(しかも片方は加害者)を経験したせいもあって、どうもあいつ等は気が合うらしい。俺の持って来たトランプも借りていくと言っていたし、今頃はイスラも交え三人で優雅にバカラでも楽しんでいる事だろう。ケッ!
「―――隣、宜しいか?」「!」突然そう声を掛けられ、驚きつつ背後を振り返る。
そこにいたのは上等そうな茶色のスーツを着た、五十代後半の男だ。悟ったような柔和な面構えに、綺麗に伸ばした白髪混じりの顎と鼻下の鬚が良く似合っている。
「あ、ああどうぞ」
姿勢を戻すと、カフェの主が酷く動揺した様子で初老を見ていた。が、俺の視線に気付き、慌てて表情を戻す。
「よ、ようこそいらっしゃいました、ターラー弁護士。お好きな飲み物を仰って下さい」
微かに震える声に、男はハッハッと笑う。
「元だよ、シー君。先月事務所を後輩に引き継いで引退した……そう剣呑な態度になる気持ちも分かるが、これでもれっきとした招待客だ。エスプレッソを一つ頼む」
コポコポコポ……漆黒の液体が淹れられる間、車内にそれまでとは一変して重い沈黙が降りる。
カタン。「―――一体、どの口で仰るつもりですか」「済まん。ありがとう」
引退弁護士は乾いた笑いを浮かべ、湯気の立ち昇るカップに口を付ける。
「グランダ君はディナーの仕込み中か?一度挨拶したいのだが」
「止めて下さい、殴られますよ。彼、私より頭に血が昇りやすい人ですから」
厳しい表情を一層強め、細い両腕を組んで対峙する。
「ああ、君等が私を恨むのは重々分かる。だが、あれはれっきとした事故だったんだ。こうして北斗社が私をゲストとして呼んだのが、その何よりの証拠だと思わんかね?」
「単に『元』顧問弁護士だからでしょう―――あ、済みませんレイさん。コーヒーのお代わりは如何ですか?」
首肯した俺は二人を交互に見、窓際行くよ、何か話の邪魔みたいだし、言って席を立とうとした。止めたのは元弁護士だ。
「ほら。客の前だ、暗い話はもう仕舞いにしよう。それにまだ三日もあるんだ。お互い列車の旅を楽しもうじゃないか」
「………」
「レイ君と言ったね。君も抽選で幸運を引き当てた―――何だ。あの桃色の髪の、やたら背の高いお嬢さんの連れか」
「セミアを知って……るよな、そりゃ」
あれだけ目立つ外見だ。一発で覚えない方がどうかしてる。
「あいつの取材に付き合ってくれたのか?」
「ああ、部屋を出た所で五分程インタヴューを。格好こそ奇抜だが、とても礼儀正しい娘さんだね」
「ありがとよ。ところであんた、何号室だ?」
「三号車の十一号室。北斗社からは最初スイートを用意すると言われたんだが、妻が実家の急用で来られなくなってしまってな。一人で豪華な部屋を占領するのも気が引けたので、ツインに替えて欲しいと頼んだんだ」
へえ、物好きなオッサン。
するとカフェマスターは明らかに軽蔑の眼差しをし、二杯目のブレンドコーヒーを俺の前へと置いた。
カタン。「流石は仏と呼ばれた伝説の弁護士様。私達庶民とは感覚が違うんですね」皮肉気に唇を歪め、「―――尤も、仏は仏でも、あなたは作る方がお得意なようですけど」
おいおい、蒸し返すのかよ。顔は優しそうなのに、随分過激な人だな。それともよっぽど腹に据えかねる事をされたのか……この先何も起こらなきゃいいが。




