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お前のような冷血女に彼の遺品は触らせない  作者: 秋月 もみじ


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9/12

第9話 託されたバトン

『エルマ。レナート。

 先に謝っておく。こんな手紙を、読ませることになってすまない』


 私は声に出して、その一行を読んだ。

 隣でレナート卿が口を引き結ぶ。


『大げさな備えだったと笑って、この手紙を自分で破れたら一番いい。だから、書くべきか随分迷った。

 だが、言わずに済ませてきたことが、あまりに多い』


 紙の途中に、インクの滲んだ跡があった。

 書いては止まり、また書いたのだろう。


『エルマ。最近の返事が素っ気なかったのは、君に飽きたからではない。

 俺を調べる者が君の勤務先にまで来たと知って、会うのを避けた。親しくないと見せれば君を遠ざけられると思った。

 今は、それだけで守れるはずがなかったと思う。君には事情を知る権利があったのに、俺が勝手に決めた。すまなかった』


 最後の面会延期の手紙を思い出した。

 冷たいと感じたことまで、間違いだったと言わなくてよかったのだ。

 カイル自身が、そのやり方を悔いていた。


『君と話していると、俺が見過ごしていた物に気づく。

 古い花瓶の使い道や、誰かが何度も縫い直した袖のこと。俺は、君の話を聞くのが好きだった。

 返事が短いからといって、会えて嬉しくないとは思っていない。俺も、肝心なことはうまく言えなかった』


 文字が滲んだ。

 私は一度読むのを止め、瞬きをした。


『君を愛している。

 もし帰れたら、こんなところに書くより先に、顔を見て言う。そのときは、もう一度君に婚約を申し込みたい。家同士の約束ではなく、君の返事を聞きたい』


 喉の奥から、小さな息が漏れた。


 愛していたのかと聞かれれば、まだ答えに迷う。

 好きだった。会った日は、帰り道が少し明るかった。次はもっと話せると思っていた。

 その続きを失ったことが、今は何より悲しかった。


 私は読みかけの紙を机へ置いた。


「少しだけ、待ってください」

「ああ」


 レナート卿は急かさなかった。

 夜明け前の詰所で、私たちはしばらく、何もしないで座っていた。


 やがて私は手巾を畳み、紙を持ち直した。


『レナート。お前にも腹を立てられるだろうな。

 正式な報告が一度潰れたあと、誰にも頼れないと思い込んだ。中央憲兵隊へ直接行く方法だってあったのに、確かな証拠を揃えてからと考えて、遅れた。

 もし俺が戻らなかったら、その判断は真似するな。助けを呼んでくれ』


「遅いんだよ、馬鹿」


 レナート卿の声が震えた。


「帰ってきてから、怒らせろよ……」


 彼の右手が、顔を覆った。

 私はしばらく迷ってから、彼の袖口に指を添えた。

 どう慰めればいいか分からない。

 それでも、一人で泣かせたくはなかった。


『二人とも、もし調査を引き継いでくれるなら、無理に二人きりで抱えるな。

 真実を届けてほしい。でも、それで君たちの一生を使い切らないでほしい。

 エルマには、安心して仕事をできる日があってほしい。レナートには、剣を抜かずに笑う日があってほしい。

 俺を忘れなくてもいい。俺のために、先へ進めなくなる必要もない』


 紙の最後へ目を落とす。


『二人のこれからを、俺の遺言で決めることはできない。

 ただ、腹が減ったら食べて、疲れたら眠って、嬉しいことがあったら誰かに話してくれ。

 俺の好きな人たちに、そうして生きていてほしい』


 読み終わった。

 文字の先には、もう何もなかった。


 私たちを結びつける約束も、幸せになるための期限も、書かれていない。

 カイルはただ、私たちに明日があることを願っていた。


「……私、この手紙を読んで、少しほっとしました」


 レナート卿が顔を上げた。


「そう思ったあとで、また悲しくなりました。許してもらいたかったのか、会いたかったのか、自分でもうまく分からなくて」

「両方でも、いいんじゃないか」


 目元を拭った彼が言う。


「俺は、怒っているし、寂しい。あいつが俺たちを心配してくれたことは嬉しい。全部ある」


 私は頷いた。

 どれか一つを選んで、正しい感情として机に並べる必要はなかった。


 窓の外が、薄く明るくなる。

 朝の交代勤務へ向かう兵の声がした。世界は、私たちが手紙を読んでいる間にも動いていた。


「エルマ」


 レナート卿が私の指先を見た。

 まだ、彼の袖を掴んでいた。


「この先も、話をしに行っていいか。事件の確認だけでなく」


 頬が温かくなった。

 さっき握った手の感触が、戻ってくる。


「どんな話を、ですか」

「今日食べたものとか。読みかけの本とか。……思いつくのが、その程度で悪いが」


 私は少し笑った。


「それなら、私にもお話しできることがあります」


 彼の表情が緩んだ。

 まだ恋と呼ぶには、いろいろな気持ちが絡まっている。その名を急いで決めなくても、この人にまた会いたいことだけは、認めてもよかった。


 ノックの音がした。

 朝食の盆とともに、中央憲兵隊の士官が入ってくる。


「王宮へ至急の報告を上げます。長官は夜明け前に帰庁し、今回の件を違法な武器庫襲撃と報告したようです」


 レナート卿が背を伸ばした。


「こちらの報告は」

「法務尚書のもとへ直送します。あなた方にも、原資料の説明をお願いします」


 私はカイルの私信を畳んだ。

 公的な告発文とは別の袋へ入れる。


「この手紙は、証拠の束には綴じません」


 士官は頷いた。

 レナート卿も、何も求めなかった。


 持ち主にもう断りを取れない手紙だからこそ、公開する範囲を慎重に決めたい。

 秘密をすべて暴くことが、私の仕事ではない。


 私は朝食のパンを一切れ取った。

 レナート卿も、湯呑を持ち上げた。


 受け取った願いに応えるために、まずは二人とも、朝食を食べた。


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― 新着の感想 ―
  ただ、腹が減ったら食べて、疲れたら眠って、嬉しいことがあったら誰かに話してくれ この一文で涙決壊しました。なんででしょう。小説のなかの人物ではなく、実際に生きた人の言葉となって深く響きました。
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