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お前のような冷血女に彼の遺品は触らせない  作者: 秋月 もみじ


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8/12

第8話 最後の封蝋

 地上の蓋は、夜露で冷たかった。

 肩で押すと、茂みの向こうへ少し開いた。私は這い出し、すぐに腕を伸ばす。


「右手を」


 レナート卿が私の手を掴んだ。

 全部の体重を支えることはできない。それでも、彼が縁へ肘をかけるまで、私は手を離さなかった。


 上がりきった彼と二人で蓋を閉め、外側の保守用掛け金を下ろす。

 長くは持たないだろう。

 土の下から、誰かが扉を叩く音がしていた。


 演習場を見渡すと、南に監視小屋、北に低い林がある。

 略図に載っていた事故通報盤は、梯子の出口から数歩先に立っていた。


「ここで警報を鳴らします」

「我々の居場所も分かるぞ」

「憲兵隊にもです。地下に武装兵がいて、負傷者も出ました。救援を求める理由があります」


 レナート卿が盤の表示を確認した。

 送信先は演習場の警備室と、中央憲兵隊の北方面詰所。別々の回線になっている。


「監察部だけでは止められない。やろう」


 彼が職章を当てて発信者を登録し、私が保護蓋を開けて警報柄を引いた。


 夜空へ、赤い光が立ち上った。

 低い鐘が三度ずつ鳴り、離れた監視小屋でも明かりが点く。

 私は添えられた伝声管へ、七号倉庫の場所、武装集団、魔導槍の不正搬出、そして負傷者がいることを告げた。


「発信者はエルマ・ベルリッツ。レナート・アルヴィスト卿と同行しています。合流地点を、北口から事故通報盤へ変更してください」


 返答を待つ間、私は彼の左肩に清潔な布を当てた。

 浅く見えても、動くたびに血が滲む。


「押さえていてください。もう少しで、手当てを受けられます」


 レナート卿は右手で布を押さえた。


「お前の手も、開いている」


 右手の包帯に赤い点があった。

 夢中で蓋を押したせいだろう。


「では、二人分ですね」


 そう返すと、彼は痛そうな顔のまま、ほんの少し笑った。


 林の方から合図笛が聞こえた。

 屋敷の護衛が一人、もう一人を支えて現れる。待機中に見張りに気づかれたが、追手を引き離してここまで回ってきたという。

 負傷した護衛を座らせ、私たちは小屋の石壁を背にして救援を待った。


 永遠のようだったが、時計で見ると十分ほどだった。


 馬蹄の音とともに、憲兵隊の旗が坂を上がってきた。

 先頭には、王宮で会った当直士官がいた。


「報告を受けて、途中から進路を変えました。歩ける者は、後方の救護馬車へ」


 私は彼に略図を渡した。

 主坑道、荷馬車道、点検通路。外に出ている箱の位置も書き加える。


「長官がいました。運送書類は、倉庫奥の机です」

「その証言は記録します。まず現場を確保する」


 兵が二手に分かれて走り出す。

 私たちは身を隠して去るのではなく、名前と証拠を渡して、その場を引き継いだ。


 ***


 北方面詰所の客室に落ち着いたとき、窓の外はまだ暗かった。

 医官によると、レナート卿の肩は縫合を要する裂傷だった。腕を吊り、しばらく剣は控えるよう念を押される。

 護衛の負傷は足の打撲で済み、私の掌も洗い直して包帯を替えた。


「かすり傷、と言わなくてよかったですね」


 私が湯を差し出すと、彼は気まずそうに受け取った。


「言いかけた」

「聞こえなくて、幸いでした」


 彼の無事を確かめても、胸の奥の震えは収まらない。

 医官が出ていき、扉が閉まったところで、私はようやく尋ねた。


「痛みますか」

「痛む」


 隠さない返事が、少し嬉しかった。

 嬉しいと思った自分に驚き、私は膝の上で手を揃えた。


「私を通すために、あなたがあそこへ残ったから」

「二人で出るためだ。扉を開けたのは、お前だろう」


 レナート卿がこちらを見る。


「引き返す判断は、もっと早くできたかもしれない。そこは俺も検討する。だが、この傷をお前一人の責任にはしない」


 涙が出そうになった。

 無事に帰れた安心と、自分の知らないところでこの人が死んでしまう怖さが、一緒に押し寄せる。


「もう、増やしたくありません」

「何を」

「返事の来ない手紙を、読む仕事を。あなたの分まで」


 言葉にしてしまってから、目を伏せた。

 婚約者を亡くしたばかりの私が、こんなふうに誰かを引き留めてよいのか分からなかった。


 しばらくして、彼の右手が私の前へ差し出された。


「握っていても、いいか」


 私は無傷の左手を、その上へ置いた。


「俺も、お前に返事をしてほしい」


 大きな手が閉じる。

 力任せではない。私が離そうと思えば離せる、その程度の強さだった。


「だから、次も応援を呼ぶ。一人で片付けようとしない。お前にも、そうしてほしい」

「……はい」


 手を繋いでいる間に、湯呑の湯気が薄くなった。

 それ以上の言葉はなくても、離すのが惜しかった。


 扉が叩かれた。

 連絡役が、倉庫確保の第一報を持ってきた。

 地上の一箱と地下の十一箱を押さえ、逃げ遅れた運搬人と兵を拘束したという。長官は搬出路から離脱したらしく、まだ身柄を確保できていない。


「それから、昨夜ご依頼の事故資料です。カイル卿の馬具と蹄鉄は、獣医官の保管庫に残っていました。廃棄を止め、封印を追加したとのことです」


 詰所で最初の事情聴取を受けた際、私は事故に関わる物を一式残してほしいと依頼していた。

 間に合った。

 足りない証拠は、まだ取りに行ける。


「ありがとうございます。朝、再検分を申請します」


 連絡役が出ていくと、レナート卿は鞄を見た。


「安全な場所に着いたな」


 何のことか、すぐに分かった。

 私は保護袋から、小さな赤い封筒を出した。


『エルマとレナートへ。安全な場所で』


 私たちは机に並び、彼の名も確かにそこにあることを、もう一度見た。


 レナート卿が台紙を押さえ、私が箆を封の下へ差し込む。

 赤い封蝋が、静かに外れた。


 今度の手紙には、告発すべき相手の名も、武器の番号もなかった。

 最初に書かれていたのは、謝罪だった。


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