第7話 監察長官の嘲笑
バルツァー長官が片手を上げると、兵たちの足が止まった。
見えるだけでも十数人。主坑道を塞ぐ者のほかに、荷箱の向こうから弩を構えている者がいる。
レナート卿は私を壁へ寄せ、自分はその半歩前に立った。
「不正搬出の疑いで確認に来ました。長官、その箱の封印を見せてください」
「不正? 正式な移送だ。お前たちこそ、軍の倉庫へ侵入している」
長官は机の伝票を裏返した。
「なら、中央憲兵隊の立ち会いに異存はありませんね」
私が言うと、彼の目が動いた。
短い沈黙のあと、薄い笑みが浮かぶ。
「来る前に片付けば、問題はない」
喉が冷えた。
応援の存在は、時間稼ぎにもなる。だが、相手を急がせることにもなる。
私は口を閉じ、倉庫の壁へ目を走らせた。
赤い管が天井へ続いている。魔導兵器の保管庫に備えられる、魔力遮断霧の噴霧装置だ。
古い坑道を再利用する際に取り付けたものらしく、岩壁より管の方が新しい。
圧力計の針は、使用可能を示す位置にある。
その下、腰の高さに防火用の開放弁。
奥には点検通路を示す、小さな白い矢印が見えた。
「レナート。お前だけなら、まだ話ができる」
長官の声に、私は視線を戻した。
「今夜のことを、部下の独断として処理しよう。兵站局の担当を切れば済む。お前は何も知らなかった。その娘の証言さえなければな」
彼が私の鞄を指す。
「持っている資料を置いていけ。公爵家と争いたいわけではない」
「彼女は、どうなる」
「帳簿を盗み、密輸商と取引しようとした。取り調べには協力してもらう」
長官の後ろで、兵が縄を持ち直した。
王宮で私を襲った者たちも、同じ言い訳を与えられていたのだろうか。
「カイルにも、そう言ったのか」
レナート卿の声が、低くなった。
「知らなくていいことを調べるから、あの男は身を滅ぼした」
「それは、どういう意味だ」
「事故の原因は報告書に書いてある。お前も、同じような報告書に名を載せたいか」
レナート卿の肩が動いた。
私は外套の端を、指で一度だけ引いた。
駆け出さないで、と伝わるか分からなかった。
けれど彼の足は、止まったままだった。
「お前は冷静な男だったはずだ。あんな、死人を漁る女一人のために――」
「その呼び方をやめろ」
レナート卿が遮った。
「彼女は、仕事をしている。死んだ人間の物を、好き勝手に処分させないための仕事だ」
「聞いたぞ。お前も同じように罵っていたそうじゃないか」
胸が、小さく縮んだ。
長官は、こちらの痛む場所を知っていた。
「そうだ。俺は彼女を傷つけた」
レナート卿は否定しなかった。
「だから、今ここで黙れば済むとは思っていない。自分の過ちを、貴様が彼女を踏みつける理由にもさせない」
言い終えても、彼は私を振り返らなかった。
褒めてほしいのでも、許してほしいのでもなく、相手に向かって言っていた。
「資料は憲兵隊にも預けてある。俺たちを黙らせても消えない。今なら、自分の足で説明に行ける」
長官の笑みが消えた。
「公爵家が、いつまでお前を守れるか見ものだな」
「今の話に、家名は関係ない」
レナート卿は剣を上げた。
「彼女を売って帰る道は、俺は選ばない」
私は包帯の下で拳を握った。
守られていることへの安堵だけではない。私も、この人をここから帰したかった。
「レナート卿」
唇だけを動かす。
「左の弁を開けます。白い矢印の先へ」
彼の指が、私の外套に一瞬触れた。
聞こえた、という合図だった。
「捕らえろ!」
長官が叫んだ。
私は壁の開放弁に左手をかけ、体重を預けて引いた。
甲高い警笛が鳴り、天井の噴口から白い霧が広がる。
保管中の魔導兵器が異常発熱したとき、魔力を弱めるための防火設備だ。霧が灯火を鈍らせ、箱と箱の間を埋めていく。
「弩を下げろ、味方が見えん!」
兵の声が飛んだ。
その一瞬に、レナート卿が目の前の槍を弾いた。
「こちらへ!」
私は壁沿いに走った。
床に置かれた荷を跨ぎ、点検通路の小扉へ手を伸ばす。
鍵がかかっている。
冷たいものが背を伝った。
焦って右手を動かしかけ、掌に痛みが走る。
「錠を支えてください!」
レナート卿が後ろから扉を押さえた。
私は左手で解錠針を差し込み、古いばねを探った。
単純な保守用の錠なのに、指先が震えて狙ったところへ入らない。
背後で、矢が木箱に刺さった。
「エルマ。俺が見ている。手元を見ていろ」
その声だけを聞いた。
息を吐き、針の角度を変える。
錠が落ちた。
レナート卿が扉を開け、私を先に通す。続いて入ろうとした彼の身体が、不意に揺れた。
左肩の外套を、矢が裂いていた。
「レナート卿!」
「登れる。止まるな」
彼が扉を閉じ、内側の止め棒を落とした。
細い通路の先に、地上へ続く梯子がある。
私は一段目へ足をかけた。
背後から、片手で梯子を掴む音がする。
振り返るなと、彼は言わなかった。
私は何度も振り返った。
そのたびに、彼がそこにいるのを確かめて、次の段へ足を上げた。




