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第十七話 流されたくない女

私の名前はI、二十六歳。広告代理店でプランナーをしている。 自分で言うのもなんだが、私の発想や意見は、驚くほど「普通」だ。


「……というわけで、新商品のプロモーションには、SNSでのインフルエンサー起用が効果的かと……」


会議室に、生温い沈黙が流れた。 参加者全員が、気まずそうに苦笑いを浮かべ、私の企画書から静かに目を逸らす。


「あ、うん。Iさん、ありがとう。……じゃあ、次の案件に移ろうか」


なかったことにされた。 否定すらされない。ただ、水のようにサラサラとスルーされる。 プライベートでも同じだ。友人と遊びに出かけ、「この後どうする?」と聞かれて一生懸命考えた「駅前のカフェでパフェでも食べない?」という提案は、聞こえなかったかのように無視され、別の誰かの「カラオケ行こ!」にかき消される。


つまらなくてもいい。的外れでもいい。 お願いだから、一回くらい、私の意見をまともに受け止めて、検討してよ。


───


お酒は強くないが、今日は飲みたい気分だった。家の近くのコンビニでおつまみ兼夕食を買い、アパートに向かって歩いているとふいに声を掛けられた。


「こんばんは。私は管理者です」


いつの間にか、真横に妙な男が歩いていた。 男はコンビニの袋から、缶入りの「サバの味噌煮」を取り出した。プルトップを開けると、中に入っているタレの水分が嫌だったのか、おもむろに素手でサバの塊を掴み出した。 そのまま手の中でサバを軽くギュッと絞り、シャツやズボンに味噌ダレがボタボタと滴り落ちるのもお構いなしに、水分を切ってから直接口へ放り込む。


「……ちょっと。何それ、汚い。おはし使わないの???」


私が眉をひそめても、”管理者”はサバを咀嚼しながら、脂とタレで茶色く光る指先で、手元にある奇妙な計器をパチパチと操作した。


「あなたの性質が善か悪かなんてどうでもいいんです。ただ、あなたが不満を持っているのは、このメーターが示している」


「私の話、聞いてる?」


「なので、その不満を解消するため、あなたの発言がすべて重視され、みんなが鵜呑みにしてくれる世界にご案内いたします!」


「ちょ、私の意見は──」


視界が、真っ白に染まった。


───


気がつくと、私はいつもの会社のオフィスにいた。


「夢……? 」


困惑していると、同じ部署の女性グループに声をかけられた。あからさまな仲間外れにはできないからと、一応形だけで私を誘ってくれるいつもの面々だ。


「お昼、何行くー?」


「Iは何食べたい?」


いつもなら私の回答は適当にスルーされる。私は、転移直前に見たあの光景の残像から、投げやりに口にした。


「……サバの味噌煮」


「えっ!? なにそれ、超食べたい!」

「サバ! その発想はなかった、天才!」


全員の目が、見たこともない熱量で輝いていた。その日のランチは、全員が並んでサバの味噌煮定食を食べた。


私の意見が、通った。 信じられない万能感が、胸の奥で炭酸のように弾けた。


数日後。私は会社にある無記名の意見箱に、軽い気持ちで「男性社員が掃除をしてくれない」と書いたメモを投書した。 すると翌日、ちょうど会社が企画していたジェンダー系のプレスリリースのタイミングと重なったこともあり、役員会まで巻き込む大騒動に発展した。


「全社を挙げて、業務分担の徹底的な見直しを行う!」


私の、無記名の、たった一枚の紙切れが、巨大な会社組織を物理的に動かしたのだ。


私は確信した。あの男の言葉は本当だった。私の意見は、もうスルーされない。 試しに、数年間放置していたSNSのアカウントに、地域のゴミ捨てマナーについて短い投稿をしてみた。


『ゴミを決まった時間に、正しく分別して出さない人ってどうなの?』


極めて普通の、どこにでもある退屈な呟き。 しかし、投稿した瞬間にスマホの通知が物理的に爆発した。


「これこれ!こういうことなんだよ!」

「誰も言えなかった真実を、よくぞ言ってくれた!」


大絶賛のコメントが数万件殺到し、翌日からメディアはこぞって「日本のゴミ捨てマナー」の大特集を組み始めた。テレビ画面には「ゴミ捨てマナー講師・I氏の発言が……」と私の名前が躍っていた。


私の言葉が、社会のルールになっていく。


調子に乗った私は、日々の何気ない感想を投稿し続けた。


「近所のこのパン屋さん、素朴で好きだな」


翌日、アパートの窓から外を見て息が止まった。そのパン屋の前に、数万人を超える群衆が押し寄せていたのだ。近隣は大混乱に陥り、パン屋は近所迷惑を理由にその日のうちに実質的な営業停止へと追い込まれた。


「この枕、ちょっと高さが合わないのかなー」


そう呟いた翌日には、全国の寝具メーカーから「我が社の試供品をお試しください!」と、数台の大型トラックで大量の枕がアパートに直接送りつけられ、部屋は天井まで物理的な枕の山で埋め尽くされた。


私の言葉は、物理的な質量と影響力を持って、世界を書き換えていく。


やがて、私のSNSのコメント欄は、思想や社会問題を解決してほしいと願う「信者」たちで溢れかえった。


「次はデフレ問題にメスを入れてください!」

「いや、現代の教育制度について御神託を!」

「人はなぜ生まれてきたのですか?」


恐怖を感じた私は、スマートフォンの画面に向かって、必死に返信を打ち込んだ。


「やめてください。私はただの普通の人間です」


しかし、返ってきたリプライはさらに熱狂を増していた。


「信じられない! 今は人間の姿をして身分を隠しているのですか!?」

「神が、我々の前に生身の肉体を持って現れた……!」


「違う! そういう意味じゃない! 私はただのIです!」


「申し訳ありません。意味を探ろうとする我々の愚考でした。次の尊き御神託をお待ちしております」


誰も、私の生身の言葉を聞いていなかった。 彼らは私の言葉を鵜呑みにし、勝手に深読みし、肥大化させた「神の教え」として勝手に平伏しているだけだった。


「もうやめて! 言葉の裏の深い意味なんて、最初から何一つないの! もっと、もっと軽く、普通の言葉として受け止めてよ!!」


私が喉を張り裂けんばかりに叫んだ、その瞬間。 周囲にいた人々は、ハッと息を呑み、そして一斉にその場に平伏した。


「沈黙こそが、至高の教え……」


彼らは、静かに口を閉じた。 そして、二度と私に言葉を投げかけることはなかった。


私の周囲から、すべての「会話」が消失した。 街を歩いても、誰一人として私に話しかけない。私が「おはよう」と声をかけても、人々はただ無言で深く、静かに平伏するだけだった。


私の言葉は100%重視され、拡大解釈され、そして生身の人間としての意思疎通は、永久に不可能な奈落へと沈んでいった。


───


管理者は、実験に与えた変数が効果的だったかのように言う。


「やっぱり、自分の発言が注目されて、話題の中心になれる世界っていいよね!」


管理者は満足そうに、メモを書き留めた。


「発言に注目して拡大解釈してくれる世界 大成功S」

お読みいただきありがとうございました!

今のところ大きな反響はありませんが、少しでも面白いと思っていただけましたら、下部の「リアクション」や「評価☆☆☆☆☆」、「ブックマーク登録」をしていただけると、執筆の大きな励みになります!


ネタがあれば、毎日22時に更新する予定です。次回もよろしくお願いします!

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