第十五話 世界で一番論理的な男
俺の名前はD、三十五歳。売れないWebライターだ。
「はい論破。ソースは? それってあなたの感想ですよね?」
深夜の薄暗い部屋で、これに反論できずモニターを睨みつけながら、俺はキーボードを叩き壊さんばかりの勢いでタイピングしていた。
─── ネット上の不毛なマウント合戦。
俺はこれが嫌いだ。そして何より「他人に論破されること」が死ぬほど嫌いだった。 論理的に言い負かされたときの、あの頭に血が上るような屈辱、自分の存在価値そのものを否定されたかのような惨めさ。俺はそれから逃れるために、嫌いなはずなのにいつも夜を徹して屁理屈をこね回し、必死に自分を理論武装していた。
「どいつもこいつも、重箱の隅ばかり突きやがって。俺より論理的な奴が、この世から一人残らず消えちまえばいいんだ」
苛立ちを紛らわそうと、近くのコンビニで買った発泡酒の缶を開けた、まさにその瞬間だった。
「こんばんは。私は管理者です」
”管理者”と名乗る男は、アイスモナカのモナカを剥ぎ取り、その辺に無造作に捨てている。
「おい、それ冷蔵庫にあったやつだろ!」
「あなたの感想ですよね?」
「いやいやいや!ていうかなんでモナカ部分を捨ててるんだよ」
「食感が苦手なんですよ。まぁ本当は苦手じゃないんですが、一度こう言ってみたかったんです」
”管理者”は、モナカ部分をすべて捨て、完全にバニラアイスになった塊を素手に握ったまま、文字とも記号ともつかない数値が踊る奇妙な計器をチェックした。
「あなたの性質が善か悪かなんてどうでもいいんです。ただ、あなたが不満を持っているのは、このメーターが示している。なので、その不満を解消するため、あなたが輝ける世界にご案内いたします!」
「おい、何を──」
言葉が遮られ、視界全体が真っ白に染まった。
───
気がつくと、俺はいつもの自室のベッドにいた。
「夢……か?」
時計を見ると、いつも通り仕事に向かう時間だった。俺は釈然としないまま出社し、ニュースサイトを眺めていた。そこで奇妙な事実に気づく。どのニュース記事も、文章の辻褄が絶望的に合っていないのだ。
『本日、都内でパンダの赤ちゃんが誕生しました。赤ちゃんというのは生まれたばかりの小さいパンダのことです。』
「は? 何だこの文章?」
隣のデスクの同僚に声をかける。「なあ、このニュース、文章がめちゃくちゃじゃないか?」 すると同僚は、ぽかんとした顔で俺を見つめた。
「え? パンダの赤ちゃんだから小さい……すまん、よくわからん。Dくんは難しいことを言うねえ」
俺は全身に鳥肌が立つのを感じた。会話を重ねるうちに確信した。この世界の人間は全員、論理的な思考能力を完全に失っているのだ。技術やマニュアルだけは過去の遺産として残っているため、スマートフォンは動くし、電車も時間通りに走っている。だが、「なぜそうなるのか」という論理を組み立てられる人間は、この世界にはいないのかもしれない。
「……ということは、俺がこの世界で最も知的な存在なのか?」
俺の胸の奥で、強烈な全能感が膨らんでいった。
実際、そこからの生活は無双状態だった。会議で俺が「Aという問題がある。だからBという対策をして、Cという結果を出すべきだ」と、極めて当たり前の三段論法を口にするだけで、上司も役員も「意味がわからない」という顔をしながら、誰も否定できない。
誰と議論をしても100%俺が勝つ。俺を論破できる人間など、この世に一人も存在しない。俺はついに世界の頂点に立ったのだ。
───
しかし、全能感はやがて、耐え難い「退屈」へと変わっていった。
この世界のエンタメが、絶望的に面白くないのだ。
映画を観ても、水戸黄門が印籠を持って歩いている。
小説を読んでも、明らかな証拠を持っていた人物に「お前が犯人だ」と指差して終わる。
お笑いを見ても、基本的にはダジャレのみ。
因果関係や伏線という概念が存在しないため、すべてのコンテンツから知性が抜け落ちている。
「だったら、俺が本物の『伏線回収』ってやつを教えてやるよ」
しかし、元は平凡な俺。昔小学校の図書室で見た推理小説のトリックをパクる。
ドアの内側のかんぬきに氷を置いておき、氷が溶けるとかんぬきが下り、密室ができるトリックだ。さらに俺は覚えている限りの図書室で見たトリックを文章化し、それはちょうど文庫本1冊ほどの文章になった。
これをネットの小説投稿サイトにアップした。
反応は一瞬だった。 スマホの通知が、摩擦で発火しそうな勢いで鳴り響く。 アニメ化だの映画化だの、意味の分からない文字列のメールが津波のように押し寄せ、俺の銀行口座の残高は、瞬きをするたびに桁が増えていった。
「自分が世界で最も論理的だと、こんな世界が待っているのか!ワハハハハ!」
───
ところが、論理的思考ができない人間たちにとって、Dの発言が意味不明な恐怖として受け取られる
「氷でかんぬきが下りるまでの時間を稼いだのか……信じられない!」
「こちらは床下に隠し通路を掘っていたのか……おそろしい!」
「これは物理学の法則を完全にハッキングした、悪魔の超論理だ!」
世界中のギリギリアウトな知識人が、パクりトリックを「人類史上最も洗練された殺人の方程式」として恐怖する。
各国の首脳が秘密裏に連携し、ある幼稚な決断を下す。
「Dの頭脳はこわい!危険人物とすることにする!」
ある朝、俺の部屋のドアが激しく蹴り破られた。突入してきた完全武装の特殊部隊に、俺は床に組み伏せられた。
「D! えっと……その……あれだ!あれで逮捕する!」
「待て! これはただの創作だ! 現実の犯罪とは関係ない!」
俺は必死に叫んだ。だが、彼らななぜか必死に耳を塞いでいる。
───
俺は、窓のないコンクリートの地下牢に監禁された。
捜査官が冷たい目で俺を睨む。
「容疑を認めろ、D」
俺は反論した。
「容疑を認めるも何も、俺は誰も殺していない! 証拠はあるのか! 被害者すら存在しないだろ!」
その瞬間、捜査官は頭を抱えて悲鳴を上げ、椅子ごと転げ落ちた。
「ひ、ひぃぃぃ! 『誰も殺していないから無罪』だと!? 理解できない悪魔のような理屈だ!」
刑務所はパニックに包まれ、誰も、俺と対話しようとしなくなった。会話をすれば確実に論破されるとついに学習したのだ。
ようやく一人の男がやってきた
「わ…わ、私は国選弁護人です。あなたの担当とのことです!」
「ありがとうございます。これでようやく私も弁解ができるんですね」
しかし、尋問室の小さな小窓から覗き込んできた弁護士は、俺と目を合わせた瞬間にガタガタと震えだし、壊滅的な「弁護」を口にした。
「先ほど私のよく当たると有名なコイン占いが、あなたを無罪を告げています!」
俺の脳の血管がブチ切れ、長年のレスバ魂が反射的に叫んでいた。
「因果関係を説明しろバカ! 引っ込んでろ!」
「ひぃぃぃ! 弁護側まで論破された!」
弁護士は秒で逃げ去り、二度と代わりは現れなかった。
鉄扉の向こうで、冷徹で事務的な有罪判決の手続きが進んでいく音が聞こえる。
誰も俺と会話ができない。誰も俺の言い分を聞いてくれない。最後のチャンスの弁護士でさえも、身に染み付いたレスバ経験がつい相手を論破したがってしまう。
「誰か……! 誰か俺を弁護してくれええええええ!!」
俺の絶叫は、厚い鉄扉の向こう側には、ついに何一つ届かなかった。
────
管理者は、新型メーターの数値をチェックする。
旧型は不満が解消されたのかを重視していたが、新型はそれに世界への影響度のパラメーターを追加したのだ。ただし、単純な加点方式ではない。
「よしよし。これで実験の精度が上がるに違いない。
管理者メモ:論破されない世界 成功度S
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