第十話 スポーツで活躍する男
俺の名前はU、二十歳。大学生だ。
何万人もの怒号のような大歓声が、スタジアムのコンクリートをびりびりと震わせている。 フィールドの上では、日本を代表するトップアスリートたちが、一瞬の隙を突いて華麗なパスを回し、完璧な放物線を描くシュートを決めていた。観客席の全員が総立ちになり、狂ったように名前を叫んでいる。
俺は、スポーツを観るのも、語るのも大好きだ。 しかし、俺自身は、信じられないほどの運動音痴だった。 体育の授業ではいつもボールを空振りし、自分の足でもつれて転び、周囲の笑いものになる。 だから、俺はいつも「観る側」に回るしかなかった。
「いいよな、あいつらは。何万人の視線を一身に浴びて、あんなに輝けて」
俺は冷めた目でフィールドを見つめ、高いチケット代を払って喉を枯らす周囲の観客に揉まれながら、深い劣等感にため息をついた。 俺だって、一瞬でいいから、あの中心で主役になってみたい。
「俺の知識は一流だ。あとは運動神経さえあれば……」
ぽつりと呟き、奮発して買ったホットドッグに齧りついた。しかし、そこにあるはずのソーセージだけがない。
「あれ……?」
いつの間にか、隣の席に見知らぬ妙な男が座っていた。 男はソーセージをケチャップとマスタードまみれのまま右手に握り、クッチャクッチャと食べている。
「……おい。それ、俺のホットドッグのソーセージだろ!」
”管理者”は気にする様子もなく、ケチャップとマスタードまみれの手で、手元にある奇妙な計器をパチパチと操作した。
「あなたの性質が善か悪かなんてどうでもいいんです。ただ、あなたが不満を持っているのは、このメーターが示している。」
「俺の悩みなんてわかってたまるか!」
「なので、その不満を解消するため、あなたがすべてのスポーツで大活躍し、輝ける世界にご案内いたします!」
「おい、ふざけ──」
言葉が遮られ、スタジアムの夜間照明の眩い光が、視界全体を真っ白に染め上げた。
───
気がつくと、俺は大学のグラウンドに立っていた。
週に一回の、必修科目の体育の授業。種目はサッカーだ。 普段なら、俺はボールが来ないよう、コートの隅で大人しく気配を消しているはずだった。 しかし、テキトーに蹴り出されたお遊びのルーズボールが、偶然にも俺の足元に向かって転がってくる。
(あ、ヤバい。また空振りして笑われる──)
そう思った瞬間。俺の意思とは無関係に、右足が勝手に、寸分の狂いもない極限まで物理的に正しい角度で、一歩を踏み出した。 軸足の位置、膝の角度、上半身のしなり。まるで精密機械のプレス機のように、俺の肉体は「最も効率的で完璧なフォーム」へと強制的に矯正されていた。
ズババァッ!
凄まじい衝撃音がグラウンドに響く。 お遊びの授業には到底ふさわしくない弾丸シュートが、ゴールキーパーの学生のすぐ横をすり抜け、ゴールネットに激しく突き刺さった。
「え……?」
蹴った本人の俺も、周囲のクラスメイトたちも、授業を指導していた教授も、一瞬にして静まり返り、呆然と立ち尽くした。
「……不満の解消?」
俺は心の中で狂喜乱舞した。 それからの授業は、俺のワンマンショーだった。走れば100メートルを9秒台のフォームで駆け抜け、ドリブルをすれば相手の間を踊っているかのように、相手ディフェンダーたちの重心の逆を突き、全員をなぎ倒してゴールを量産した。
俺はついに、主役になったのだ。
───
その日を境に、俺の人生は一変した。
大学の体育の授業での噂は、一瞬で学内に広まった。
「異常な天才がいる」と聞きつけた、全国トップレベルを誇る体育会のサッカー部から助っ人を頼まれ、試合に出場した。相手のディフェンス陣が全員初心者なのかと疑うくらい俺の体はスルスルとゴールに迫る。どこを走るべきか、どのタイミングでボールを蹴るべきか、もともとスポーツの知識はずば抜けていたので、すべての最適な軌道が頭の中に自然と描画され、その通りに身体を動かすだけで、どんな強豪校相手でも圧勝した。
さらに、噂は他の競技にも飛び火した。 野球部のリーグ戦でピンチヒッターに立てば、すべての打席で場外ホームラン。陸上部の大会に出れば、世界記録をあっさりと更新。ボクシング部、バスケットボール部、テニス部、ゴルフ部……はては相撲部まで。
大学の枠を超え、俺はあらゆる競技のスタープレイヤーとしてメディアに引っ張りだこになり、プロ制度すら超越していった。 複数のプロスポーツリーグを掛け持ちし、サッカーでは毎試合ハットトリック、野球では投げれば完全試合、打てば全打席ホームラン、ボクシングではすべての試合を一ラウンド五秒のワンパンKO。
世界中のメディアが俺の万能さに熱狂し、カメラのフラッシュが俺のすべてを追いかける。 俺の名前は世界のスポーツ史そのものとなり、富と名声のすべてが手に入った。俺は世界の中心にいた。
───
しかし、俺がプロスポーツを支配し始めて、二年が経った頃。 ある異変が世界中のスポーツ界を襲った。
スタジアムに、客が一人もいないのだ。
「……どうして誰もいないんだ?」
静まり返ったドームのバッターボックスに立ちながら、俺は周囲の空っぽの観客席を見渡した。 チケットは発売されている。しかし、買い求める人間は誰一人としていない。それどころか、スポーツ番組の放映権料は暴落し、テレビ中継すらされなくなっていた。
俺は「どちらが勝つか分からない」という面白さを完全に奪っていたのである。俺がどのスポーツに出場しても、試合開始前から人々は「どうせUがワンパンチで倒すだけ」「どうせUが全部ホームランを打つだけ」と完全に冷めきってしまったのだ。
「もういい。Uが出ているスポーツは、観る価値がない」
世界中のファンが去り、スポンサーは撤退し、チームやプロリーグは次々と経営破産に追い込まれた。
そして、各スポーツ連盟の幹部たちが、冷たい目で俺を見つめていた。
「U、君を我がリーグから『永久追放』処分とする。理由はわかってるね。君が出場すると、誰も試合を観に来ないんだ。スポーツがビジネスとして成立しない。頼むから、もう二度とグラウンドに立たないでくれ」
かつて俺を称賛した世界中の人々から、俺は「すべてのスポーツを退屈な作業にして破壊した悪魔」として激しいバッシングを受け、あらゆる競技、あらゆる公式試合への出場権を剥奪されていた。
俺の肉体には、いまだに世界最高の運動能力が宿っている。
── 世界で一番高く跳べる
── 世界で一番速く走れる
── どんなボールも寸分の狂いもなく標的に命中させられる
だが、俺がその能力を発揮するためのステージは、この世からすべて消失してしまった。
クラブハウスを去る時、すぐ隣にある武道館の周辺が、異常な喧騒に包まれていることに気づいた。入口の看板を見れば、そこでは「全国ちびっこ相撲大会」が行われているようだった。
しかし、そこに群がっているのは、ずらりと並んだ各局のテレビ中継車と、無数に焚かれるカメラのフラッシュだった。かつて俺のハットトリックを絶叫していた有名アナウンサーが、今度はマイクを引きちぎらんばかりの声で叫んでいる。
「のこったのこった! なんとここで、まさかのうっちゃりだ!これぞスポーツ!これぞ予測不能の醍醐味だ!」
液晶モニターには、泥だらけになりながらまわしを掴み合う、小学生たちの拙くも必死な取組が映し出されている。どっちが勝つか本当に分からないその「スポーツ本来の姿」に、解説の元横綱も「これこそが我々の失っていた、勝負の美学だ」と涙ながらに解説していた。
世界で一番強く、世界で一番速く走れる俺の肉体は、いまやメディアが血眼で群がる「本物の熱狂」から、完全に締め出されていた。
俺はただ一人、転がっているボールを寂しく見つめることしかできなかった。
────
管理者は、一切興味のないサッカーのルールブックを投げ捨てながら言う。
「何というすばらしい運動能力だ!」
管理者はメモに書き留めた。
「すべてのスポーツで活躍できる世界 成功」
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