アリシア
自分の命を蔑ろにするルシエルを前に、怒りを露わにしたレナン。
「死にたがり」なルシエルは、レナンの説教から逃れるように消えてしまう。
そこへ現れたのは、死んだはずのアリシア……?
感覚の「欠如」は大きい。
もしかすると……だからこそ、失って来たのかもしれない。
多くの「大切」である、「何か」を。
そして「アリシア」という、最大の理解者であったのだろう、奥さんも……。
※
「カガリは……アンタの息子同然だろう!? アンタに先立たれたら、カガリが悲しむ!」
「……そういう論争は、好きじゃない」
「は!?」
「それなら、カガリを看取れというのかい? それなら、私は辛くないとでも? 悲しみは生まれないとでも?」
「そうは言ってないだろ!」
最強の魔術士は、実に頑固だった。それはもう、知れたことだったから今更驚くことではない。俺が驚いているのは、あまりにも分からず屋なところだ。
命は「数」じゃない。
そう、俺に教えを説いたのはルシエルのはず。
「何でアンタは、自分の命は数に入れないんだよ! 自分を大事にしろ!」
「私はもう、長くない」
「それこそ、そんな話は聞きたくない!」
「なら、話を終えてキミは休みなさい。私は食料調達へ行く」
ルシエルはゆっくりと立ち上がった。そして、口元を拭う。口の中には血の味が広がっているだろうから、出血していることは気づいているはずだ。
そして、腫れた頬。俺は少しだけ、罪悪感に駆られてルシエルを殴った手に視線を落とした。
こんな風に、直にひとを殴り傷つけたことは、生まれて初めてだった。アクアリームの街でラナンを追い詰めたときには、ガンブレードという武器を使っていた。直接、手で触れた訳ではない。
それでも、俺がラナンを傷つけた事実は変わらないが……。
(ラナンは、俺を許してくれるのだろうか…………)
今更、ラナンのもとへ行ったところで、俺は受け入れられないかもしれない。そんなことを、それこそ「今更」ながらに思った。
俺がふと、考えを逸らしたところで、ルシエルは「勝手」に、転移の魔術でこの場を去った。ルシエルの魔術の構成の展開は、あまりにも速く、消えるのもまた、早い。逃げられると思ったときには、逃げた後なのだ。
「あの野郎!」
俺は、分からず屋に言い聞かせることが中途半端に終わり、苛立ちを覚え、地面を蹴り飛ばした。土煙が上がる。しかし、ご神木からの優しい風にさらわれて、すぐにそれも消えた。
疲れていることは事実だ。俺は、こうなったら仕方がないと、泉のほとりに腰を下ろすと、水を掬ってそれを飲んだ。やや甘みのあるそれは、不思議なことに、疲れを本当に取ってくれる効果があった。
『ルシエルも、幸せものね』
「!?」
『こんにちは』
この聖域には、生命反応は無かったはずだ。俺は、背後から聞こえて来た女の声を警戒し、すぐに立ち上がりはせず、しかし、拳を握り、剣の柄にそっと手をかけた。
『警戒しないで欲しいな』
「誰だよ…………アンタ」
『内緒』
「…………怪しいな。アンタも精霊の仲間か?」
女は、精霊のように透けている訳じゃないが、何故か、「実体」ではないように感じ取れた。白いワンピースを着ている。栗色の癖の強い巻き髪。胸あたりまで伸ばしている。瞳は青く、とても大きくて円い。
声を発しているようだが、空気振動によるものではないような気がする。それが、俺がこの女を「幽霊」や「精霊」だとか、そういう類ではないかと、決めつけた要素だった。
『精霊の仲間…………うん、敵ではないかな』
「…………?」
『どうしたの?』
「アンタ…………」
俺は、女の右耳に光るものを見つけた。
見覚えのある……青いピアスと、緑のピアス。
「まさか、アリシア!?」
『すごい。もう、分かっちゃったの?』
「ま、待って! ルシエルを連れてくる! アイツに教えなきゃ!」
『無駄だよ。ルシエルには、見えない』
「な、何で? 俺には見えるのに?」
俺は、狐につままれた心地になっている。俺とこのひと、アリシアには何の接点もないはずだし、お互いに思い入れもないはずだ。アリシアのことを、ひたすらに請うのはルシエルなのに、そのルシエルには見えないなんて……世界は、やはり「薄情」だと思った。
『諦めたひとには、見えないの』
「? 生きることを?」
『それに限らず。だから、カガリくんも私に会えたわ』
「カガリは、アンタ……アリシアさんを、知っているのか?」
『ふふ、アリシアでいいわよ。レナン』
アリシアは、俺の隣を指さした。そして、優しく微笑む。
『隣。行ってもいいかな?』
「え、あ、あぁ…………どうぞ」
『ありがとう』
歩いている。とても、幽霊には見えない。でも、「生命反応」は感じられない。血が通っている人間とは思えないほど、白い……となると、やはり幽霊説が濃厚かもしれない。
幽霊などの存在は、別に、もともと否定はしてこなかった。居るというのなら、居るんじゃないかと、思っていた。
「ルシエルの話……聞いていたか?」
『ルシエルのことは、いつでも見守っているから。ちゃんと、聞いているよ』
「アイツは……きっと、魔術や戦い方を俺に教え込んだら、消えると思うんだ」
『…………どうかな』
「アイツは、死にたがっている。きっと、病のせいだ。身体が辛くて、思考もおかしくなっちまったんだ」
『ルシエルは……絶望してしまっているから。もう、ずっと昔に』
俺は、隣に座るアリシアの横顔を、ちらりと流し見した。誰かに似ている。そんな気がする。
俺の視線に気づいたアリシアは、俺と視線を合わせると、また、微笑んだ。その微笑みに、思わず見とれてしまい、顔が赤くなったのを自覚すると、俺はすぐに視線を外した。
『ルシエルはね、色々なものを背負い過ぎてしまったの』
「色々、聞いた。アスグレイ一族統領の話も、先導者の話も」
『うん』
「だけど、可哀相だとか……哀れだとは思わない。それは、結局のところ選択したからだろう? アイツが、まったく望まなかった訳じゃないだろう?」
『レナンは手厳しいね。ルシエルの、苦手なタイプだわ』
「だけど、そうだろう?」
『そうね……逃げようと思えば、きっと、逃げられたと思う。ルシエルには、それだけの逸脱した力があるから』
俺は、自分の論に同意してくれたアリシアの言葉に、ちょっとだけ勇気づけられた。それで、嬉しくなって、そのまま話を続けようとした。
だが、アリシアはやはりルシエルの「妻」なのだろうか。それとも、アリシアはもっと広い世界と、何かを知っているのだろうか。俺とは別の見解も示してきた。
『だけどね、ルシエルは逃げられなかったと思うの、結局のところは……どうにもならなかった運命なの。ルシエルが逃げてしまったら、世界は崩壊していた。それを、あの優しいルシエルが、選べるはずが無いわ』
「世界の崩壊?」
アリシアは、こくりと頷いた。とても、寂しそうな目をしながら、ご神木の方に視線を向ける。何故か、今はあのご神木から風が吹いていない。
『…………いけない』
「え?」
『レナン! お願い、ルシエルを助けて!』
「え、いや、急に何だよ……どうした?」
アリシアは、ご神木とは逆の方向を指さした。そこに、まるでこの聖域の出入り口があると、教えてくれているように。
この、聖域は選ばれたものにしか見えず、そして、その出入り口は封鎖されているとルシエルから聞いていた。この村の統領となったルシエルが、その出入りを出来ないはずが無く、ルシエルだけは自由に行き来していた。だから、食料調達もずっとルシエルがこなしていた。
でも、今こうしてアリシアが指をさしている間は、そこに空間の歪みが生まれた。
『私が道を拓くから。今なら、あなたも此処を突破できる』
「ルシエルに、何かあったのか!?」
『ルシエルは……無理をしすぎなの。お願い、ルシエルを救ってあげて。あのひとを、死なせないで……レナン』
「死にたがりを生かせって?」
『お願い』
「…………まったく」
俺は立ち上がると、一度だけ、アリシアの顔をしっかりと見た。
(あぁ、そうか……)
俺は、アリシアの顔が誰かとだぶって見えていたことに、気づいた。
(このひと、ラナンに似ている)
そう思ってから、一度頷き、俺はその空間の歪みが消えないうちに、走った。
「約束する。アンタを悲しませたくないからな……誰かさんに似ているんだ、アンタ。俺は、その誰かさんを、失望させてしまった。だから、その誰かさんに謝りに行く前の試練だと思って、俺はアンタと約束する」
アリシアは、何も言わずにただ、満足そうな笑みを浮かべた。
「ルシエルを、連れ戻す。そして、生かす!」
俺の言葉を最後まで聞いてくれていたのかどうかは、分からない。
俺が、空間を突き抜けると同時に、歪みは消えて、確かに聖域の場所は分からなくなってしまった。俺だけではもう、帰ることは出来ない。
もっとも、ひとりで帰っても仕方がないとも思えた。約束したんだ。アリシアと……ルシエルを、連れ戻すと。
(ルシエル、死ぬなよ……!)
俺は、不思議と迷わなかった。ルシエルがどちらへ行ったのか。見ていたかのように、核心めいたものを持って、見たことも無い景色の森の中を一直線に走った。




