66話 その頃、帝都では…
スカルネ邸宅、訓練場。
広大な敷地の中では、兵士たちを鍛え上げるために様々な設備が用意されている。
そのうちの一つ、陸上トラックでは、半袖シャツ姿のギャン・G・クックルたち異端者チームと、ベン・キッカたち召還師チームは息も絶え絶えに走っていた。
「あと、十周だ!」
シャインが怒鳴る。木刀を杖代わりに突き立てての仁王立ち。軍に支給された詰め襟がやたらと似合っていた。
「うへぇ! 勘弁してくれやぁ! もう吐きそうやでぇ!!」
汗でビショビショになり、自慢のトサカ頭も乱れてしまったギャンが泣き言を漏らす。
「口答えしたから追加だ! あと十五周! スピードを落とすな!」
ドンッと地面を突き、シャインが再び怒鳴る。
「なんですって!? なんてことしてくれますの!?」
「オイ! マジかよ! テメェ、まじでふざけんなッ!」
「ひどいっす! ギャンは大馬鹿者っす!!」
「……最悪です。存在自体も」
仲間から非難が炸裂し、ギャンは涙目になる。言い返そうにも、そんな体力なんて残っていなかった。
「さあ、無駄口を叩くな! 走れ!」
木刀を振り回し追い立てるシャインに、皆は逃げるようにして走りだす。
「…おー、やってるねぇ」
少し遠くで、柵にもたれかかりながらイクセスがタバコをふかす。その顔は、さも面白い見世物を見ているという感じであった。
「あれじゃ、いくら募集しても弟子が集まるわけねぇな。あの数ヶ月、セリクもよく耐えたもんだぜ」
小柄な少年の姿を思い浮かべ、イクセスは喉の奥で笑う。
「シャインさんは優秀な指導者です。ただ無理をさせてるわけではなく、本人の限界ギリギリを見極めた上での訓練をしています」
マトリックスがそう説明するのに、肩をすくめて「わーってる」と答える。
仮にセリクと戦って負けるとは思ってはいなかったが、それでも苦戦はするだろうとイクセスは考えていた。短期間でかなり成長しているのは間違いない。それには、シャインのこの容赦ない鍛え方が下地にあったからである。非難するつもりなどまったくなかったのだ。
「…あなたはこんなところで油売っていていいんですか?」
「おいおい。元は、俺の下にいた隊の人間だぜ? 様子ぐらい見に来るぜ。そんな無責任じゃねぇよ」
ただ楽しんでいるだけだろうとマトリックスは思ったが、それ以上のことは言わなかった。
マトリックスが正式に軍隊に入ったことが、イクセスにとっては思惑通り進んで良かったのだろう。このところずっと機嫌が良いのだった。
対して、マトリックスの方は不機嫌であった。こうやってイクセスが今までにも増して顔をだすようになったのだから当然である。
「龍王の動きはないんですか?」
「うん? ああ。龍王も魔王も今は様子見ってとこじゃねぇか。砦をぶっ壊し続けて、散々コケにしてくれてたんだがな。ここ数週間はそれもまったくねえ」
「…ルゲイトくんのことです。次はどんな作戦を立てていることやら」
「そうだな。本当に厄介な野郎さ。龍王そのものよりな」
イクセスは苦い顔をして、吸い殻を落として踏みつぶす。
ルゲイトの作戦は見事としかいいようがなかった。情報戦を得意とするイクセスを翻弄し、こちら側が偽の情報に惑わされることも多くあったのだ。それでいてこちらの作戦で流した偽情報はすぐに看破してくるのである。
神告について偽情報を流してはいるが、それすらもすでに見破っているのではとイクセスは睨んでいた。正直なところ、打つ手なしという感じだったのだ。
「まあ、時間さえ稼げれば間違いなくこちらが有利になる」
「セリクくんたちを信じているんですね」
ヘジルを神々の召還師として送り出したということは、ひいては彼らが解決策を見出してくれることを期待しているのだろうと思ってそう言った。
「ハッ。神父様が何を言ってやがる? 俺は神様のことを言ってるんだよ」
「神々を? それは意外ですね。あなたに信仰があったとは」
驚いた顔のマトリックスを見て、イクセスは喉の奥で笑い、手を横に振る。
「信仰? 違うね。俺は神々が、龍王と魔王のどっちも倒したいって考えていることを信じてるんだよ。帝国への脅威さえ除いてくれるなら、それが神でも悪魔でも構わねぇ」
あまりに自分勝手な言い分に、マトリックスは眉をひそめた。
ようやく走り終えた面々が、ゴールに辿り着くやいなや、バタバタッとその場に崩れ落ちる。
「…情けない。こんなぐらいで息切れとはな」
後半十五周を同じように走ったはずなのに、シャインにはまだまだ余裕があった。それでも暑そうに首元を緩める。
「ゼェハァ、ゼェハァ…んなこと言ったってよぉ。ハァハァ。青年部隊の訓練より辛いぜ!」
「ハァハァ…。ベン! 口答えしたらまた追加っすぅ!」
痙攣する足を押さえながら、ミシールが泣きそうな顔で言う。ベンはハッと口元を抑えた。
だが、さすがにこれ以上は無理をさせるつもりはないのだろう。シャインは追加で走れとは言わなかった。全員、それにホッと安堵する。
「…俺たちは、召還師だぜ。こんな基礎練はあんま意味ないすよ」
口答えしても平気と知るや、ベンは吐き捨てるようにぼやく。
その時、なぜかマトリックスの居る方を一瞬だけ見やっていたのだが、すぐにシャインに視線を戻した。
「わたくしも同意見ですわ。こんなことを続けては、身体を壊すだけでなくて? 実戦で戦えなければ意味がありませんわ」
サラが続ける。隣でのびているギャンを見て、それを指さした。
「……お前たちは優れた能力を持っている。だからこそ、それに頼ってしまうだろう。いざ能力が使えなかったらどうする? それを想定しての訓練だ。意味はある」
シャインがそう言うと、皆が不満そうに互いの顔を見合わせた。
「ですからね。俺が言いたいのは……その、能力がもっと活用できるような訓練をした方がいいんじゃないないんすかってことですよ」
ベンの言葉に、一理あると思ったのかシャインは少し考え込む。
やがて皆の顔を見て、言うべきかどうかを悩んでいる様子だったが、思い切ったように口を開いた。
「……セリクはそんなことを一度も言わなかったがな」
「へ?」
セリクの名を聞いて、ギャンがバッと身を起こす。
「強大な能力を持っていても、それを使いこなせなければ意味がない。
役立つかどうかは解らなかったとしても、あいつは基礎をおろそかにしたことはなかったぞ」
「せ、せやな…。セリクがサボッてるとこなんて見たこともあらへんわ」
ギャンは頭をかいてばつが悪そうにする。
「むしろ、能力を当てにできないならば、自分自身の剣術が強くあればいいと考えていたぐらいだ。
だから強い。本気でやりあったとすれば、私とて無傷では済まないほどにな…」
皆、気まずそうに顔を見合わせる。この中でシャインと渡り合える自信のある者はいなかったからだ。
「せやな。弱音なんて言ってられへん…。ワイが…いや、ワイらがアイツの後ろをしっかり守らなあかんのや!」
「ギャン…」
ギャンの熱い言葉を聞いて、サラはフッと小さく笑って頷く。
「チェッ。そうやって比べられると、ちっと腹立つけどな」
セリクのことをそこまでよく知らないベンたち召還師三人だったが…ただこのシャインの過酷な訓練に、セリクがついていったのだということだけは理解した。
「セリク…か。確か、俺たちよりも年下だよな」
「そうっす! フェーナちゃんも同じ一四歳っす! 最年少っす!」
「それなら、お兄さんお姉さんになる私たちがここでくじけていたら恥ずかしいですね」
スベアの言葉に、皆がゆっくりと立ち上がる。
「よっしゃ! 負けてられへん! まだまだ気張るでぇ!!」
妙なガッツポーズをとるギャンを見て、シャインはフッと笑う。
「そうか。ならば、まだあと十周ぐらいはいけそうだな!」
その言葉に、皆が固まる。
「…どうした?」
「あの、その…」
「ん?」
「いやぁ、あの、もう走るのだけは…勘弁したってや!」
さっきの威勢はどうしたのかと、シャインは大きくため息をついたのだった……。
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施設には当然ながら、全兵士を満腹にするための大きな給食設備が備えられている。
食堂にまず飛び込んで来たのは、ギャンとミシールだった。
「飯や! 飯ッ!!」
「ごはんっす! お腹すいたっす!!」
食事は日替わりのABC三セットから選べ、本日のAはハンバーグ定食、Bはメルシースパゲッティとオニオンスープ、Cはキーマカレーとサラダで、全てにデザートのフルーツとミルクが付く…といった感じである。
豪勢とは言えないが、かなりの量があるので腹は一杯になる。
「なんでここの昼食は肉料理しかないんですの…。たまには魚のソテーかムニエルが食べたいですわ」
スパゲッティーをフォークでクルクルと巻きながら、サラは呟く。
「えー。魚なんてイヤっすよー。肉っす! 肉いいじゃないっすか! 肉こそ最高っす!!」
ガツガツと食べるミシールは、スベアからも半分以上ものハンバーグをもらっていた。上に乗っていたチーズをペロンとめくり、ホクホク顔である。
「はぁ。まあ、お勧めなのはいいですけれども、そんなに食べたら太りますわよ」
サラの指摘に、ミシールはピタッと動きを止めて自分の腹部を見やった。
「そうですね。栄養がお腹じゃなくて……身長か胸にいけばいいんですけれどね」
「スベア! それってどういう意味っすか!?」
怒るミシールに、スベアはクスクスと口元に手を当てて笑う。
「……女連中は仲良くなっていいな」
「せやな」
席の端で、同じカレーをモクモクと食べるギャンとベン。お互いの表情は暗かった。
「…なんで同じのなんだよ」
「そっちこそ、よりによって同じなんや。ワイが初めにカレー頼んだんやで。真似したのはそっちやろ」
「何言ってんだ。俺は献立を見た今朝から、ずっとカレーにしようと思ってたんだ」
「ワイなんて三日前からカレーを選ぼうって思うてたんや!」
「あんだと? 何を今さら……。俺は一週間前だ!」
「ワイは一ヶ月前やぁ!!」
「一ヶ月前はお前ここ来てなかっただろうが!!」
「夢や! 夢んなかで、一ヶ月後にカレーが出るって見たんや!!」
「無理があるぞゴラァ!!」
「そっちかて無理やろクォラ!!」
カレー皿をひっくり返し、胸ぐらを掴み合う二人。女子たちはそれをなだめようと、お互いを引き離そうとした。
「飯ぐらい静かに食えんのか!」
騒ぎを聞きつけたシャインが入口で一喝する。
「せやかて、ベンが…」
「だってよ、コイツが…」
「それだけの元気があるならば、まだ訓練を続けるか? 私が直に相手をしてやってもいいんだぞッ!?」
シャインが刀に手をかけ、ユラリと殺気を撒き散らして入って来る。
剣呑だった二人も、遠巻きに面白そうに見ていたギャラリー勢も、ピタリと息を殺す。
「ここで騒いでは、皆さんに迷惑がかかりますから。食事ぐらいは仲良く食べましょうね」
その後からやってきたマトリックスは、ニコッと笑い、あっけらかんとそんなことを言う。まったく場の空気が読めていなかった。
“シャインが撒き散らす殺気の方が迷惑だ!”とは、誰しもが思ったのだが、口に出して言える勇者はいなかった。
マトリックスは、呆気にとられている食堂のおばちゃんに注文を言い、シャインもマトリックスと同じハンバーグ定食を選ぶ。
そして、ほどなくして配膳された食事を持ち、ギャンたちが座っているところにへとやって来た。
「さてと、いただきます。
おー、この茶色いスープは、道領国のお味噌汁ですか。四角い白いのは確か豆腐というものですよね。浮かんでる黒いのは何かでしょうか? 見たことがありませんね」
マトリックスは嬉しそうに、湯気立つ豆腐とワカメの味噌汁をしげしげと見やる。
「いいですねぇー。私も作ってみたかったのですが、なかなか味噌自体が手に入らなくて…。
和食までラインナップに並ぶとは、やはり食堂はメニューは要チェックです」
「マトリックス様…いえ、マトリックス将軍。よろしければ、私のも」
シャインがスッと自分の分の椀を差し出そうとするのに、マトリックスは首を横に振る。
「いや、いいんですよ。シャインさん。
……ん? あれ。皆さん、どうしました?」
マトリックスとシャインのやり取りを、奇異な眼で皆が見ていたのだ。マトリックスは首を傾げてみせる。
それもそのはずだった。シャインはともかく、将軍であるマトリックスは個室での食事が許されているはずだし、ましてや一般兵と同じ物を食べる必要はないのである。こんなところで食事をするのが、誰にも意外だったのだ。
「リーダー…。もちっと自分の立場考えたほうがええで」
ギャンがそう言うのに、マトリックスは何が言いたいのか察して苦笑した。
「ああ。なんだか、豪華な食事を一人で食べていても味気なくてね。どうにも飽きてしまったんですよ。
私には皆さんとワイワイとこうやって食べたほうが美味しく感じるんです。
アハハ、皆さん、どうか私のことはお気になさらずに食事を続けて下さい」
「…見世物ではないぞ。言われた通りだ。黙って食事を続けろ」
シャインがギロッと周囲を睨み付けると、ロダムの配下の兵士たちも気まずそうな面持ちのまま食事を続ける。
明らかに楽しいはずの食堂の雰囲気は一変していた。通夜のごとく静まり返っている。
「…まるで今でも監獄みたいな感じですこと」
サラはここが元は牢獄だったことを皮肉ってそう言った。
「何か言ったか?」
「いいえ、別になんでもありませんわ」
刀に手をかけたままのシャインを見やり、サラは肩をすくめてみせる。
「……それで、ギャンくん。ベンくん。お二人はどうしていつも、事あるごとにいがみ合っているのですか?」
マトリックスが尋ねると、ギャンとベンはまた互いに睨み合う。
「このアホがワイにちょっかいかけてきよるねん!」「コイツが喰ってかかってきやがるんだ!」
二人同時に、互いを指差す。
「…いまアホって言ったか、ゴラ?」
「言うたけど、なんやクォラ!?」
取っ組み合いが再び始まりそうになるのに、シャインはそれを鍔鳴りで威嚇することで止めた。
「まあ、性格の不一致というものもありますしね。ケンカするのは仕方ないとしても、我々は同じ隊で仲間です。もう少し互いを思いやっても良くないでしょうか?」
ギャンが少し考える仕草をして見せたが、ベンは首を横に振って手刀を切ってみせた。断固、拒否という仕草だ。
「ファテニズム将軍。アンタはそりゃ、神父としてな悩み相談するのは達人かもしれねぇよ。
だけどよ、俺たちは軍人だ! 兵士なんだ! 皆が仲良しこよしのごっこクラブじゃねぇッ!
そんな説教だったら、教会とか学校でやってくれよ!」
「貴様ぁッ!」
マトリックスを侮辱する言葉に、シャインがすぐに反応する。一瞬、怯んだベンだったが、発言を撤回する気はなく、ゴクリと息を呑みつつも首を横に振る。
「…シャインさんは強い。だから、それは認めてる。上官としても不服ねぇ。
だがよ、将軍に意見するだけでこう脅されちゃかなわねぇよ…」
「脅すだとぉ!?」
「シャインさんが将軍なら、俺だって生意気を言わねえよ…」
最後の方は小声で、それでも強い者には従うということを強調する。
「ええっと…それってつまりは、私が弱そうだ、と?」
シャインを止めながら、マトリックスが尋ねる。
すると、ベンはゆっくり頷いた。ミシールとスベアも、少し困ったような顔をしていたが、やがて静かに頷いてみせる。
「…アンタ、異端者かもしれないけど、どう見ても戦闘員には見えねぇし」
「そうっすね。ブラッセル将軍やクロイラー将軍は、アタシらが束になってかかっても倒せないぐらい強いっす。
ロダム将軍も…今はどうかは知らねぇっすけど、昔は“鬼”みたいだって聞いたことがあるっす。見た目も強そうっすしね」
「…なるほど」
「それとそれと、アタシたちの直属の上司だったヘジル隊長だって強かったっす。聖獣二体も扱えるっす! 天才っす! イケメンっす! 眼鏡っす! 身長高いっす!」
「…あ、決して私たちは、ファテニズム将軍を蔑ろにしているつもりはないんです。でも、なんだか将軍というよりも、顧問…とか、先生という感じがして…」
三人の召還師たちが口々にそう言うのに、マトリックスは困ったような顔で頷く。
「あんなぁ、このお人は…」
ギャンが説明しようとするのを、マトリックスは片手で制して止める。
「確かに、弱そうな者の下には付きたくはないですよね。
命をかける仕事です。命を預ける以上、優秀で強い上官の元で戦いたいと言うのは道理でしょう」
マトリックスの言葉に、三人は「そうだ」と言い合う。
優れた教師が、優れた指導者になるとは限らないのだ。今まで軍人をしてきた三人は、それを嫌というほど学んできたのである。
「俺たちを鍛えるのも、シャインさんじゃないか。アンタは遠くから見ているだけだ。そんな人に偉そうに言われても、“はい、そうですか”って、素直に納得できるわけねぇすよ」
「ふーむ、そうですか…」
ベンが遠くから睨んでいることには、マトリックスも気づいていた。
「安心しろ、三人とも! 軍隊なんて生温いと感じさせる方法で、これから私が導いてやろう!
白いものでも黒いと言えるように! マトリックス様こそ絶対であるとしか言えぬようになぁッ!」
怒りが沸点に達していたシャインは、仁王のような形相をしていた。その背に火山が噴火している幻影すら見えてくる。
ヒイッと情けない声をあげ、召還師三人は椅子から落ちて床に尻餅をつき、ギャンやサラ、そして食堂にいた兵士たちはサッと顔をそらした。
「いやいや、シャインさん。まったく彼らの話を理解してないじゃないですか…。そんなことをしたら意味がありませんよ」
マトリックスがそう言うと、シャインは気まずそうに刀にかけていた手を外す。
途端、周囲に満ちていた殺気が消えたので、誰もが命がまだあることに感謝した。
「しかし、このままでは示しが付かないのではありませんか…」
「まあ、要は私が戦ってみせればいいだけのことでしょう? ねえ?」
「え? ああ。まあ、そうだな」
マトリックスから軽く問いかけられ、ベンは思わず頷いて返事をしてしまう。
まさか戦えるとは思っていなかったので、ベンは少し驚いているのだった。
対して、シャイン、ギャンとサラは真っ青な顔になっていた。
「そうっすね。異端者ってどういうものか、アタシらよく知らないっすし。ギャンは火を吹いて、サラは髪から雷だすってのは見たっすけれど…」
訓練の最中、異端者の力は少し見ている。だが、際立って強いとは感じておらず、聖獣を扱えるミシールからすれば、幾らでも対抗手段がありそうに見えたのだ。
それはベンも同じで、例え炎を扱えるといっても、ギャンに遅れをとることなどまずないと考えていた。
「二人とも…そんな勝手な。私の聖獣は戦闘用じゃないのに……」
スベアはそんなことを言いつつも、その眼は興味津々といった感じであった。
ハルフゥは補助がメインだったのだが、聖獣が戦えない代わりに、しっかりと身を守れるよう、スベア自身が高い戦闘能力を有している。ナイフ術や格闘術はそれなりに修めているので、そこらへんの男に負けることなどありえないのだ。
「じゃあ、決まりですね。お昼を食べて少し休んだら、私と模擬戦といきましょうか♪」
嬉しそうにそう言い、マトリックスは味噌汁を口に付けてすすった。
「…あかん。死んだで」
「…医療班に連絡しておいた方がいいかしら」
「…私の特訓のがまだ天国だったな」
元DBの面々が暗い顔をしているのに、召還師三人は不思議そうな顔をした……。
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食堂のやりとりから、およそ二時間後……
穏やかな昼下がりを迎えるはずだったスカルネ邸宅は、謎の大寒波に見舞われることとなる。
陸上トラック、攻城櫓、兵舎といったすべての物に、凍てつく雹が容赦なく降り注いだのだった。
「寒いっす!! 死ぬっすぅ!! ケット・シーが冬眠してるっすぅ!!」
「ああ、私のハルフゥが…氷海…いえ、“氷空”にと沈んでいく…」
「なんだ! イエティ! 動け! お前、寒さには強いはずだろ!! 雪の国から来たんだろう!?」
三人の召還者と、氷でガッチガッチに固められた三体の聖獣。
それに相対するのは、吹雪をまとい、蒼い双眼を見開いた、温厚“だった”上官である。
「ヒッハハハハッ! 誰が弱そうだって!? この俺がかぁ!? このファック野郎どもが!!」
ピキピキと、氷の槍を幾つも作りだしながら高笑いを上げる。
「クソどもが、聞けや! いいかぁ! テメェらの後ろの穴に、一本ずつこれをブッ刺してやっからよ!
そんで、この俺に二度と逆らえねぇようにしてやるぜぇッ!!」
ゲラゲラと笑うマトリックスを見て、三人が青白い顔になったのは寒いだけだからではなかった。
「じょ、冗談じゃねぇ…。なんだ、あのイカれ神父は?!」
「そんなことされたらヘジル隊長のお嫁にいけないっす!!」
「そういう問題!? っていうか、聖獣を封じられたら…この状況じゃ、私たち為す術ないんですけれど!」
格闘術に自信があっても、近づけなければ意味がない。近づいた瞬間に、氷漬けにされるのは目に見えていたからだ。
「ウオォーッ! さっさと、かかってきやがれ!!
この弱そうな将軍をブッ倒したいんだろうがァ!? ああーん!?」
容赦なく上空から氷の刃を投げつけられ、三人はひたすら逃げ惑うしかない。
三人の周囲を覆うかのように、螺旋状に氷のレールを生み出し、マトリックスはその上をアイススケートでもするかのように滑って移動していた。氷は攻撃だけでなく、高速移動の手段にもなっていたのだ。
圧倒的な力量差によって、追い詰められた召還師たちは、ただ単に攻撃を避けるだけで精一杯だった。
散々に追いかけ回された挙げ句、徐々に足から凍らされていく…そんな蛇の生殺しのような一方的な戦いが延々と続く。
それは、いつ終わるとも知れない悪夢のような時間だった……。
「ヒッハハハ!! いいか、俺の目の前でケンカするんじゃねぇぞ、ガキどもが! 皆、仲良くしやがれ!! じゃねぇと、また凍らすかんなッ!!」
乱暴な口調とは裏腹に、そんな教訓めいたことを言ってマトリックスは笑い続ける。
ただ、それらの言葉が完全に凍り付いた三人に聞こえていたかは定かではなかったのだが……。
防寒着をまとい、そんな光景をみやっていたギャンは鼻水を垂らせながらガチガチと震える。
「……ワイ。ベンともうちょっと仲良うするわ」
恐怖を浮かべて凍り付いたベンに、ギャンは深く同情する。初めて友情らしき感情が芽生えたのであった。…というよりは、似た境遇にいるからこそ得られる共感だったのかも知れない。
「そうですわね。それがいいですわ…」
「まあ、あの三人もこれで少しは考えを改めるだろう…。
マトリックス様はお前たちを放置しているわけではない。実戦形式で教えたら“死人がでる”から、直接には指導していないだけのことだ…」
シャインの言葉に、ギャンもサラもすでに承知していると頷いたのである……。
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それから、マトリックスが食堂に現れた際には、なぜか多くの味噌汁が献上されるという事案がしばらく発生した。
また今まで、“コネで成り上がった将軍”などという陰口がピタリと止み、廊下でファテニズム将軍と出会ったら、間髪いれずに敬礼しなければならないという暗黙のルールが兵士たちの間に浸透する。
逆らおうものならば、氷の彫像として帝国城の屋上で晒されることとなる…などという、まことしやかな噂まで軍部全体に粛々と拡がっていた。
当のマトリックスは、キョトンとした顔で、「なんでしょうね?」と尋ねたのだが、部下の召還師三人は強張った笑みで、「さあ?」と答えることしか出来なかったという……。




