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『劉備の実弟になった古代史研究家、桃園の誓いを四人に変える ~関羽と張飛がいるので、俺は軍師として勝たせます~』  作者: あちゅ和尚


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第11話 督郵を、殴らない

 督郵が安喜へ入るという知らせを受けてから、俺は県廷に残る記録を片端から並べ直した。


 兄上が赴任してから日が浅いため、「盗賊が何割減った」などと大げさな成果を示すつもりはない。そんな数字を作れば、少し突かれただけで崩れる。


 必要なのは、実際に何をしたのかを短い時間で確認できる形にすることだった。


 赴任した日。


 巡回の経路を変えた日。


 街道北西部に集中していた盗難の記録。


 巡回役が不審な荷車を見つけた場所。


 そこから賊の根城を特定し、何人を捕らえ、どの盗品を誰へ返したか。


 さらに、誰がどの命令を出したのかまで木簡を分ける。


 老いた主簿が、机の向こうから俺の手元を眺めていた。


「季衡殿。そこまで揃える必要がございますか?」


「全部読んでもらえるとは思っていません。むしろ逆です」


「逆?」


「督郵が見たいところだけ見ても、何をしたか分かるようにしたいんです」


 記録が百枚あっても、必要なものを探すのに半日かかれば役に立たない。


 前世では研究者として大量の史料を扱っていたし、大学では会議資料も作った。結論と根拠を分け、後から元の記録まで辿れるようにしておくという発想は、二千年近く時代が違っても使える。


「最初にこれを」


 俺は一番薄い木簡の束を取り出した。


「兄上が赴任してから行ったことだけを並べます。その後ろへ、それぞれの元になった記録を付ける」


「なるほど。それなら督郵殿が詳しくお尋ねになった時にも、すぐ出せますな」


「そういうことです」


 主簿は何度か頷いたあと、自分から別の木簡を取り出した。


「では、盗品を返した者の名もまとめておきましょう。受け取った本人と、立ち会った里の者の名も残っております」


「お願いします。それがあれば助かります」


 俺一人で作らなくていい。


 すでに役所の人間が、自分から何を残せばいいか考え始めている。


 安喜で得た一番大きなものは、捕らえた盗賊の数ではなく、もしかするとこちらかもしれない。


 昼を少し過ぎた頃、劉備が部屋へ入ってきた。


「まだやっていたのか」


「だいたい終わった。兄上にも確認してほしい」


「俺にも?」


「兄上の仕事だからな。俺が勝手に書いたものを出すわけにはいかない」


 劉備は俺の向かいへ座り、木簡へ目を通していく。


 途中で何度か質問され、そのたびに該当する記録を出した。


 最後まで読み終えると、兄上は感心したというより、少し呆れたような顔をした。


「俺がやった仕事なのに、こうして並べられると別人の話みたいだな」


「兄上自身が全部覚えておく必要はない。聞かれた時に確かめられればいい」


「季衡」


「何だ?」


「お前、督郵と戦う気だろう」


 俺は少し考えてから答えた。


「戦うというより、余計な理由を与えないようにしたい」


「俺を罷めさせる理由か」


 兄上の声が低くなった。


 そこまでは察していたらしい。


「軍功で官を得た者が整理されるという話は、俺も聞いた」


「そうか」


「だから督郵が来る。そう考えているんだろう?」


「可能性はあると思っている」


 俺が知る歴史では、それが発端の一つとされている。


 ただし、未来を知っているからといって、目の前の督郵が何を考えているかまでは分からない。


「もし本当に上から兄上を罷めろという正式な命令が出ているなら、記録だけで覆せるとは思っていない」


「では、何のために揃えた?」


「兄上に落ち度があったことにさせないためだ」


 劉備の目が止まった。


「罷免そのものを防げなくても、理由は残る。仕事を怠ったのか、盗賊を放置したのか、それとも軍功で任官した者を整理するという上の都合なのか。同じ官を失うにしても、そこは全く違う」


「次に仕える時にも響くということか」


「それもある。それに、本当に残せる可能性があるなら、最初から諦める理由もない」


 劉備はしばらく黙っていた。


 やがて木簡の束を整える。


「分かった。お前のやり方でやろう」


「兄上のやり方でもある」


「細かいところは全部お前だろう」


「最後に決めたのは兄上だ」


 劉備が小さく笑った。


「そこだけは譲らないな」


        ◇


 督郵が安喜へ入ったのは、その翌日の午後だった。


 供回りを連れた一行は県廷へ直接来ず、まず伝舍へ入った。


 県の長官をはじめ、役人たちが挨拶へ向かう。


 兄上も当然、その列に加わった。


 俺たち兄弟まで揃って押しかける必要はないため、俺は県廷に残った。関羽も一緒で、張飛には外で待ってもらっている。


 ところが、思っていたより早く劉備が戻ってきた。


 足取りだけで機嫌が悪いことが分かる。


「会えなかった」


 部屋へ入るなり、劉備が言った。


「督郵に?」


「ああ。挨拶に行ったが、俺だけ入れなかった。用があるなら後で呼ぶと言われた」


 史書で読んだ流れが、嫌になるほど重なる。


「県の長官は?」


「会っている」


「兄上だけ?」


「俺以外にも何人か待たされた者はいる。ただ、向こうは俺が誰なのか分かっていた」


 劉備が机へ手を置いた。


 普段、感情を表へ出しにくい兄上だが、指に力が入っている。


「軍功で得た官だからか」


「まだ分からない」


 俺はすぐに結論を出さなかった。


 ここで「歴史どおりだ」と決めつける方が危ない。


「今日、もう一度会いに行くのか?」


「そのつもりだ」


「なら、口頭だけじゃなく、これも持っていこう」


 昨日まとめた木簡の束を示す。


「会えなくても、督郵の随員へ渡してもらう。ただし誰に渡したか、いつ渡したかは主簿に残してもらいたい」


 劉備が俺を見る。


「そこまでやるのか」


「会わせてもらえなかった、記録も渡していない、では後から何も言えない。少なくとも、こちらが仕事を見せようとしたことは残したい」


「分かった」


 今度は俺も同行した。


        ◇


 伝舍の門前で名を告げると、しばらく待たされたあと、督郵の属吏が出てきた。


「督郵殿はご気分が優れず、本日は人と会われぬ」


 劉備の表情がわずかに強張った。


 これも知っている。


 俺が知る記録にも、督郵が病を理由に面会を断ったという話がある。


「承知しました」


 俺が兄上より先に答えた。


「それでは、この記録だけでもお渡しいただけますか。安喜尉・劉備が赴任後に行った職務についてまとめたものです」


 属吏は木簡の束を見て、露骨に嫌そうな顔をした。


「必要なら督郵殿から求められる」


「もちろんです。ただ、巡察で来られたと伺いましたので、先にお預けしておいた方がよいかと思いまして」


「今日は受け取れぬ」


 断られた。


 想定の範囲内だ。


「では、お名前を伺っても?」


「何のためだ」


「本日、安喜尉が職務記録を持参したが、督郵殿が病で面会できず、記録も預かれなかったと県廷へ戻って残します。応対していただいた方の名も書いておこうと思いまして」


 属吏の顔が変わった。


「脅しているのか?」


「まさか。事実を残すだけです」


 後ろで劉備が黙っている。


 関羽も表情を変えない。


 少し離れた場所には張飛がいるが、今回は最初から「何があっても前へ出ないでくれ」と頼んである。


 ここで張飛が出てきたら、記録以前の問題になる。


「待っていろ」


 属吏が中へ戻った。


 しばらくすると別の男が現れた。


 今度は先ほどより身なりがいい。


「その記録を預かる」


「ありがとうございます」


「名前など書く必要はない」


「受け取っていただけたことだけ残します」


 男の眉が動いたが、それ以上は何も言わなかった。


 帰り道、劉備が俺に訊いた。


「季衡」


「何だ?」


「お前、怒っていないのか」


「腹は立ってる」


「そうは見えなかった」


「怒って入れるなら、兄上より先に扉を蹴ってる」


 劉備の口元が少し緩んだ。


「そこまではするな」


「兄上にも同じことを言うつもりだった」


「俺がやると思っているのか?」


 知っている。


 とは言えない。


「兄上は普段は我慢する。その分、限界を越えた時が怖い」


 劉備は何も答えなかった。


 否定もしなかった。


        ◇


 呼び出しが来たのは翌朝だった。


 督郵は伝舍の一室で俺たちを待っていた。


 四十代ほどに見える男で、昨日病だと言っていた割には顔色が悪いようには見えない。


 劉備だけが前へ進み、俺は少し後ろへ控えた。関羽と張飛は外で待たせている。


 督郵は挨拶もそこそこに木簡を示した。


「これを作ったのは誰だ」


「弟がまとめ、俺が確認しました」


 劉備が答える。


 督郵の視線が俺へ移る。


「劉恪、季衡です」


「官人ではないな」


「はい。兄の補佐をしております」


 督郵は鼻を鳴らし、再び木簡へ目を落とした。


「盗賊を十数人捕らえた。盗品を返した。巡回の道を変えた。それだけか?」


 劉備が答える。


「赴任してからの日数を考えれば、それがすべてです。行っていないことを行ったとは申し上げられません」


 俺は心の中で少し驚いた。


 俺が言わせたわけではない。


 兄上自身の答えだ。


「黄巾討伐では数百の兵を率いていたそうだな」


「はい」


「今は?」


「大半は故郷へ帰しました」


「私兵として残してはいないのか」


「おりません。必要な護衛と従者のみです」


 督郵の指が木簡を叩いた。


「名簿があるな」


「共に戦った者の名は残しております」


「再び集めるつもりか?」


「賊が起こり、官から兵を募ることを許される状況なら、力を借りることはあるでしょう。ただ、俺個人の命令で常に従わせるつもりはありません」


 督郵の質問は鋭かった。


 単に俺たちを追い出したいだけの無能な役人には見えない。


 むしろ、劉備が黄巾討伐を利用して私的な武装集団を抱えていないかを確かめているようだった。


 少し見方を変える必要がある。


「県内の戸籍や租税については?」


「俺の主管ではありません。ただ、盗賊取締りで必要な範囲は県の役人から教えを受けています」


「赴任して間もない者にしては、随分と慎重だな」


「分からないことが多いからです」


 劉備は静かに答えた。


 督郵が初めて、少しだけこちらを見る目を変えた。


 それから本題が来た。


「朝廷から、軍功をもって長吏となった者を整理せよとの意向が下りている」


 部屋の空気が変わった。


「お前も、その対象になる可能性がある」


「承知しております」


 劉備の声は落ち着いていた。


「それで?」


「それで、とは?」


「俺を罷めさせるために来られたのでしょうか」


 督郵の眉が動いた。


 直球だった。


 俺ならもう少し回りくどく訊いたかもしれない。


 だが、これは兄上のやり方でいい。


「まだ決めておらぬ」


 督郵は答えた。


「郡内の者を見て回り、報告するのが私の仕事だ。軍功だけを頼りに官へ就き、職務も果たせぬ者なら外す」


「なら、安喜での俺の働きも報告していただけますか」


「そのために、この記録を読んだ」


 督郵が木簡を持ち上げた。


「正直に言えば、面倒なものを持ち込んだと思った」


 俺は黙っている。


「だが、これだけ記録が残っていれば、働いていないとは書けん」


 劉備も何も言わない。


「お前を残せと私が決めるわけではない。ただ、少なくとも『軍功だけで官を得て何もしていない者』として送ることはできん。それは事実に反する」


 胸の奥にあったものが、少しだけ緩んだ。


 勝ったわけではない。


 兄上の官職が完全に守られたわけでもない。


 だが、少なくともここで督郵を縛り上げ、官印を捨てて逃げる歴史からは外れた。


「ありがとうございます」


 劉備が頭を下げた。


 督郵はそれを見てから、俺へ目を向ける。


「劉季衡」


「はい」


「昨日、私の属吏の名を記録すると言ったそうだな」


「言いました」


「度胸があるのか、性格が悪いのか分からんな」


「事実を残したかっただけです」


「それを性格が悪いと言うのだ」


 初めて、督郵の口元にわずかな笑みが浮かんだ。


        ◇


 伝舍を出ると、門の外で待っていた張飛がすぐ立ち上がった。


「どうだった?」


「今すぐ兄上を罷めるという話にはならなかった」


 俺が答えると、張飛は露骨に安堵した。


「なら良かった。昨日から、あの督郵という男を一度くらい殴った方が早いんじゃないかと思っていた」


「絶対にやめてくれ」


「やってないだろう」


「それは助かった」


 関羽が劉備を見る。


「玄徳兄。怒りは収まりましたか」


 劉備は少し考えてから答えた。


「昨日よりはな」


「昨日は本当に入るつもりだったのか?」


 俺が訊くと、兄上は歩きながら前を見た。


「二度目も会わせてもらえなければ、直接話を聞きに行ったかもしれん」


 危なかった。


 やはり歴史というものは、人物が同じなら似た場所へ流れようとするらしい。


「季衡」


「何だ?」


「あの記録がなかったら、俺はどうしていたと思う」


「それを俺に聞くのか」


「聞いてみたい」


 少し考える。


「兄上なら、我慢の限界までは頭を下げる。ただ、自分が侮られるだけならともかく、一緒に戦った人間の功まで否定されたと思ったら……たぶん我慢しない」


 劉備は苦笑した。


「よく見ているな」


「弟だからな」


 正確には、それだけではない。


 俺は知っている。


 別の歴史で、兄上が何をしたのかを。


 督郵を縛り上げ、杖で打ち、印綬を捨てて安喜を去る。


 その出来事は起こらなかった。


 少なくとも今日は。


        ◇


 県廷へ戻ると、俺は督郵とのやり取りも記録へ残した。


 会った日時。


 聞かれた内容。


 こちらが答えたこと。


 そして、軍功で任じられた者の整理対象になり得るが、安喜での職務実績も郡へ報告されること。


 主簿がその木簡を受け取りながら言った。


「これも残すのですか」


「残しておきたい。口約束だけだと、後で何があったか分からなくなる」


「季衡殿らしいですな」


「褒められてますか?」


「半分ほどは」


 老人が珍しく笑った。


 俺も笑ってから、机に積まれた別の木簡へ目をやった。


 まだ安喜でやることはいくらでもある。


 巡回の改善も始めたばかり。


 戻した兵たちとの連絡方法も、実際に機能するか確かめなければならない。


 合気術の訓練も続けたい。


 それに兄上が官職を維持できるなら、これまでとはまったく違う道が開く。


 俺の知る劉備は、この最初の足場を失った。


 だから各地を渡り歩き、人に仕え、兵を集めては失い、土地を得てはまた失う。


 だが、もし安喜を残せたなら。


 ここで人を育てられる。


 記録を残せる。


 兵を鍛えられる。


 金と穀物を蓄え、次の混乱へ備えることもできる。


 兄上の人生から、最初の「失う」を一つ消せるかもしれない。


 夕刻、役所の外から訓練する兵の声が聞こえてきた。


 関羽が槍を見ている。


 張飛は合気術の体捌きを兵へ教えているらしく、時折大きな声が響く。兄上は盗賊の訴えを聞くため、まだ別室にいた。


 俺は窓の向こうに目をやった。


 史書に記された筋道から、とうとう一本外れた。


 未来を知っている利点は、ここから少しずつ減っていくだろう。


 それでいい。


 決まった未来をなぞるために、ここへ来たわけではない。


 兄上が得たものを残し、その上へ次のものを積み上げる。


 それができるなら、俺の知らない三国志になった方が面白い。



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