73話 認める
王宮、王太子執務室。
重厚な扉が静かに閉じられる。
部屋には王太子ガイアス・シュタールと、王国宰相アーヴィン・クロムウェル。
そして調査団代表のオズワルドをはじめ、アイリス、ハインツ、エドガー、クラウスが整列していた。
アーヴィンは机の前へ立つと、一枚の書類を静かに置く。
「リーヴェ村視察について、結論が出ました」
その一言で、部屋の空気が引き締まる。
ガイアスは静かに頷いた。
「聞こう」
アーヴィンは一度だけ視線を全員へ向ける。
「調査団の報告に誤りはありませんでした」
オズワルドたちは黙って耳を傾ける。
「結界樹の管理体制は良好。植物学、衛生管理、事務、防衛、いずれも高い水準で維持されています」
一人ずつ名前を挙げることはしない。
必要なのは評価ではなく、結論だった。
「現管理体制は、それぞれの専門分野が相互に補完し合うことで成立しています。一人でも欠ければ現在の水準を維持することは困難でしょう」
アイリスが小さく息を吐く。
植物学者として見た評価と、まったく同じ結論だった。
アーヴィンは続ける。
「そして、結界樹フィルについても確認しました」
その場にいる全員が自然と姿勢を正した。
「結界は安定しております。魔力循環にも異常はありません。意思疎通についても、調査団の報告は事実でした」
短く、淡々とした報告。
しかし、その内容はこれまでの王国の常識を書き換えるものだった。
ガイアスが静かに問い掛ける。
「それで、お前の結論は」
部屋が静まり返る。
アーヴィンは迷うことなく答えた。
「結界樹フィルは、リーヴェ村で管理することが最善であると判断します」
その言葉に、調査団の面々は小さく息を呑んだ。
ガイアスだけは、静かにアーヴィンを見つめている。
「理由を聞こう」
「はい」
アーヴィンは淡々と説明を始めた。
「私はこれまで、結界樹を国家最大の戦略資産として見ていました。その考えは、今も変わりません」
一拍置く。
「しかし、現地で確認した結果、一つ認識を改める必要があると判断しました」
金色の瞳が真っ直ぐ前を向く。
「結界樹は管理されるだけの存在ではありません」
オズワルドたちが静かに顔を上げる。
「管理人との信頼関係を自ら築き、その環境を受け入れ、安定した結界を維持していました」
その声に迷いはなかった。
「つまり、現在の管理体制は人だけで成立しているものではありません。結界樹自身の意思も含め、一つの管理体制として完成しています」
執務室は静まり返っていた。
誰も口を挟まない。
アーヴィンは最後に、静かに結論を述べる。
「以上の理由により、結界樹を王都へ移設することは、現体制を崩す危険性があると判断します」
その言葉を聞き、ガイアスはゆっくりと目を閉じた。
そして、小さく頷く。
「なるほど」
短い一言だった。
しかし、その表情にはどこか安堵の色が浮かんでいた。
ガイアスは静かにアーヴィンを見つめた。
「それがお前の結論か」
「はい」
迷いのない返事だった。
ガイアスは小さく笑みを浮かべる。
「そうか」
それ以上、問い質すことはしない。
長い付き合いだからこそ分かる。
アーヴィンが一度結論を出した以上、それは感情で揺らぐものではない。
代わりにガイアスは、別のことを尋ねた。
「リーヴェ村へ行く前のお前なら、同じ報告を受けても結論は変わらなかったはずだ」
アーヴィンは静かに頷く。
「その通りです」
「何が、お前の考えを変えた」
執務室に静かな空気が流れる。
アーヴィンは少しだけ考え、言葉を選ぶように口を開いた。
「私は、管理とは人が行うものだと考えていました」
誰も口を挟まない。
「だから管理体制も、人だけを見て評価してきました」
一度言葉を切る。
「ですが、あの村では違いました」
静かな声だった。
「管理人だけでもない。補佐だけでもない。村人だけでもない」
ゆっくりと続ける。
「結界樹自身も、その管理体制の一部でした」
オズワルドたちは静かに耳を傾ける。
「私は結界樹を守る対象として見ていました。しかし実際には、結界樹もまた自ら意思を持ち、管理人を選び、村人を見守り、その環境を受け入れていた」
アーヴィンは淡々と事実だけを述べる。
「その前提を無視して王都へ移設すれば、管理体制そのものを崩す可能性があります」
ガイアスはゆっくりと頷いた。
「ようやく、お前もそこへ辿り着いたか」
その言葉に、アーヴィンは小さく息を吐く。
「アルフレッド・リーフレットも、同じことを言っていました」
その名に、部屋の空気が少しだけ変わる。
「結界樹は道具ではない、と」
ガイアスは懐かしそうに笑った。
「あいつらしい言葉だ」
「当時の私は理解できませんでした」
アーヴィンは静かに続ける。
「ですが、今なら分かります」
短い沈黙。
「私が見ていたのは、国家という仕組みでした」
金色の瞳がまっすぐ前を向く。
「アルフレッドが見ていたのは、結界樹そのものだったのでしょう」
ガイアスは静かに頷いた。
「ならば、この件はこれで終わりだな」
「はい」
アーヴィンは机上の書類を手に取る。
「本日付で正式な文書を作成します」
オズワルドたちへ視線を向けた。
「結界樹フィルの管理は、引き続きリーヴェ村で行うものとする。管理人フローラ・リーフレットを正式な結界樹管理人として承認。
植物学者ミリア・ヴェルデを正式補佐へ任命。エリーゼ・ハルトを衛生責任者、セシリア・ノートンを事務責任者。
そして、リーヴェ村を結界樹管理拠点として正式に認可します」
その場にいた全員が静かに一礼した。
「承知いたしました」
ガイアスは満足そうに頷く。
「良い判断だ、アーヴィン」
「ありがとうございます」
アーヴィンは短く答えると、窓の外へ目を向けた。
リーヴェ村で過ごした時間は決して長くはなかった。
それでも、自分が見落としていたものを知るには十分な時間だった。
ガイアスはそんな横顔を見ながら、小さく笑う。
「フローラたちも喜ぶだろう」
「でしょうね」
珍しく、アーヴィンも穏やかに口元を緩めた。
王国としての決定は下された。
あとは、その知らせがリーヴェ村へ届くだけだった。
次回からまた1日1回、21時更新になります。
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