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【完結】王宮結界樹の管理を解任されたので田舎で暮らします。私を追いかけてきたのは王子ではなく結界樹でした   作者: 百香スフレ
第二章:芽吹く仲間たち

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68話 結界樹とは

 アーヴィン様はフィルの前へやって来た。


 大きく枝葉を広げるフィルを見上げ、その場で静かに立ち止まる。


 誰も言葉を発さない。

 村のみんなも、アーヴィン様が何を考えているのか分からず、ただ見守っていた。


 やがてアーヴィン様が口を開く。


「これが、今代の結界樹か」

「はい」


 私は一歩前へ出る。


「フィルです」


 アーヴィン様は静かに頷いた。

 その金色の瞳は、まるで一冊の本を読むようにフィルを観察している。フィルのことを何一つ見逃さないという視線だった。


 しばらく観察を続けたあと、アーヴィン様はゆっくりとフィルへ近付いていく。


 すると、フィルの枝葉が小さく揺れた。

 普段とは少し違う揺れ方だった。


(⋯⋯緊張してる)


 長く一緒にいる私には分かる。

 知らない人を前にした時の、少し警戒している揺れ方だ。


 アーヴィン様も、それに気付いたようだった。

 歩みを止める。


「警戒されているな」


 その声に責めるような響きはなかった。

 ただ、事実を口にしただけだった。


「はい」


 私はフィルのそばへ歩み寄る。幹へそっと手を添えた。


「フィル」


 さわさわ。


 枝が私の肩へ優しく触れる。


「大丈夫だよ。アーヴィン様は、フィルを傷付けに来たわけじゃないから」


 私は幹をゆっくり撫でる。

 まるで小さな子を安心させるように。


 しばらくすると、フィルの枝葉の揺れ方が少しずつ落ち着いていった。


 その変化を見ていたアーヴィン様が、小さく目を細める。


「⋯⋯興味深い」


 私はフィルから手を離し、振り返った。


「フィルは、人の気持ちが分かるんです。嬉しい時も、不安な時も、ちゃんと感じ取ってくれます」


 アーヴィン様は何も答えない。

 代わりに、もう一度だけフィルへ視線を向けた。そして今度は、先ほどより少しゆっくりと近付いていく。


 フィルは逃げない。

 枝葉を静かに揺らしながら、その様子を見つめていた。


 私は胸を撫で下ろす。

 さっきまでの警戒は、もうほとんど消えていた。


 アーヴィン様は、フィルのすぐそばで立ち止まった。

 二人の間には、手を伸ばせば届くくらいの距離しかない。

 しばらくフィルを見つめたあと、アーヴィン様は静かに口を開く。


「⋯⋯触れても構わないか」


 その問い掛けに、私は少し驚いた。

 王国宰相なのに、結界樹へ触れる許可を私へ求めたからだ。

 私はフィルを見上げる。


「フィル」


 枝葉が小さく揺れる。

 さっきまでの警戒した揺れではない。落ち着いている。


「うん」


 私は微笑んで頷いた。


「大丈夫だと思います」


 アーヴィン様は私の言葉を聞くと、ゆっくりと右手を伸ばした。


 その動きはとても慎重だった。

 驚かせないように、怖がらせないように。そんな気遣いまで感じられるほど、ゆっくりと。


 やがて、その手がフィルの幹へ触れる。


 さわ⋯⋯。


 フィルは逃げなかった。静かに枝葉を揺らすだけだった。

 アーヴィン様は、そのまま目を閉じる。


 魔力を感じ取っているんだろうか。

 誰も言葉を発さない。静かな時間だけが流れていく。

 やがてアーヴィン様は目を開いた。


「暖かいな」


 思わず私は笑みを浮かべた。


「はい」

「フィル、体温があるみたいなんです。冬でも冷たくならないんですよ」


 アーヴィン様は再びフィルへ視線を向ける。


「相変わらず、植物としてはおかしな話だ。⋯⋯想像できる要因としては、魔力が循環しているからか」


 今度はミリアちゃんが口を開いた。


「恐らくそうです。結界樹は常に膨大な魔力を循環させています。その影響で幹の温度も一定に保たれているのではないかと考えています」

「理論としては妥当だ」


 短く頷くアーヴィン様。

 そして、もう一度だけフィルの幹を見つめる。


「だが」


 静かな声だった。


「理論だけでは説明できんこともある」


 私は首を傾げる。


「え?」


 アーヴィン様は私を見る。


「先ほど、君が声を掛けた途端に警戒が解けた。偶然とは考えにくい」


 私は少しだけ考えてから答えた。


「フィルは、私の言葉をちゃんと聞いてくれますから。だから、安心したんだと思います」


 アーヴィン様はしばらく黙っていた。

 そして、小さくフィルを見上げる。


「⋯⋯意思がある、ということか」


 その呟きは、独り言のようだった。


 私はゆっくり頷く。


「はい。フィルは植物ですが、それだけじゃありません。私の、大切な家族です」


 その言葉に、アーヴィン様は私を見つめた。


 否定もしない。肯定もしない。

 ただ静かに、その言葉を受け止めているようだった。


 やがてフィルの枝が、そっと私の頭を撫でる。いつものように優しく。

 その光景を見つめながら、アーヴィン様は小さく息を吐いた。


「⋯⋯なるほど」


 それ以上は何も言わない。

 けれど、その金色の瞳には、昨日までとは違う色が宿っているように見えた。


 国宝の結界樹。そんな認識だけでは、目の前のフィルという存在を説明できない。

 アーヴィン様もまた、そのことを少しずつ理解し始めているようだった。

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