67話 アーヴィンの視察
アーヴィン様がリーヴェ村へ来られて最初に向かったのは、村の畑だった。
青々とした野菜が一面に広がり、朝露を受けて瑞々しく輝いている。
「こちらが村の共同農地です」
ロイドさんが説明する。
「野菜は村のみんなで育てています。収穫したものも、それぞれの家だけでなく、必要に応じて分け合うようにしています」
アーヴィン様は静かに頷き、畑へ足を踏み入れた。
しゃがみ込むと土を手に取り、指先で軽くほぐしていく。
続いて葉の色や茎の太さ、実の付き具合まで、一つひとつ丁寧に確認していた。
「収穫量は以前と比べてどうですか」
「二年ほど前と比べると、かなり増えました」
ロイドさんが答える。
「結界樹が覚醒してからは、土の状態も良くなりましてな。病気になる野菜も随分減りました」
「記録は残していますか」
「はい」
今度はセシリアさんが前へ出た。
「今年から収穫量や病害の発生状況を記録しております」
帳面を受け取ったアーヴィン様は、その場で数ページだけ目を通す。
しばらく黙って読み進めると、静かに帳面を閉じた。
「⋯⋯よく整理されている」
短い一言だった。
でも、セシリアさんはどこか嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
アーヴィン様は帳面を返すと、もう一度畑全体を見渡した。
「土壌管理も悪くない。結界樹の恩恵だけに頼らず、人の手も入っているな」
ロイドさんは少し照れたように笑う。
「フィルのおかげで良い影響があるのは間違いありませんが、やはり毎日世話をしなければ応えてはくれませんので」
「そうですか」
アーヴィン様は短く頷いた。
それだけなのに、ロイドさんは少し嬉しそうだった。
私もなんだか胸が温かくなる。
ちゃんと見てくれている。良いところは、良いと認めてくれる人なんだ。
畑を見終えると、私たちは広場へ向かった。
そこではルークくん、リリィちゃん、ノアくんが机を囲み、セシリアさんから勉強を教わっていた。
「あ、フローラお姉ちゃん!」
リリィちゃんが元気よく手を振る。
でも、その後ろにアーヴィン様がいることへ気付くと、少し姿勢を正した。
「こ、こんにちは⋯⋯」
アーヴィン様は子どもたちの前で足を止める。
「勉強中だったか」
「はい!」
リリィちゃんが元気よく返事をした。
「何を勉強している」
「今日は計算です」
セシリアさんが答える。
「それと地図の読み方も少しずつ教えています」
アーヴィン様は机へ並んだ紙を見る。
まだ文字はぎこちない。計算も間違いが多い。
それでも、一文字一文字を丁寧に書こうとしていることは伝わってきた。
「少年」
「は、はい!」
突然呼ばれ、ルークくんが慌てて立ち上がる。
「勉強は好きか」
少しだけ考えてから、ルークくんは照れくさそうに頭を掻いた。
「まだあんまり得意じゃない、です!でも、騎士になるなら必要だから頑張ってる、ます!」
その答えを聞いたアーヴィン様は、小さく頷く。
「良い心掛けだ。剣だけでは、人は守れん」
ルークくんは真剣な表情で何度も頷いていた。
その隣で、ノアくんも小さく手を挙げる。
「⋯⋯ぼくも、頑張る」
「私も!」
リリィちゃんも負けじと声を上げる。
その様子を見て、アーヴィン様の表情がほんの僅かだけ和らいだような気がした。
「次を見せてくれ」
そう言って歩き出したアーヴィン様の後ろ姿を見ながら、私は少しだけほっと胸を撫で下ろした。
少なくとも今のところ、村のみんなを否定するようなことは一つも言っていない。
それどころか、一つひとつをきちんと見て、評価してくれている。
だからこそ、アーヴィン様が最後にどんな結論を出すのか。
私は少しだけ、不安になっていた。
次に案内したのは、村の診療所だった。
建物へ入ると、エリーゼさんとマーサさんが薬草の整理をしていた。
「あら、来たのね」
エリーゼさんがいつもの柔らかな笑顔で迎えてくれる。
「視察ですか?」
「ああ」
アーヴィン様は室内をゆっくり見回した。
診察用の机、薬草棚、包帯や治療器具。
決して広い建物ではない。
それでも必要な物はきちんと整理され、どこに何があるのか一目で分かるようになっていた。
「案内を頼む」
「もちろん」
エリーゼさんは穏やかに頷く。
「ここは普段の診察や応急処置を行う場所です。大きな怪我や感染症の疑いがある患者さんは、奥の部屋で休んでもらうようにしているんです」
アーヴィン様は棚へ歩み寄る。
薬草が種類ごとに分けられ、小瓶には薬の名前や調合日まで丁寧に記されていた。
「管理は誰が担当している」
「薬草はマーサさんが中心ですね。私は衛生管理と回復魔術、それから診療記録を担当していますわ」
マーサさんも頷く。
「私一人じゃ回復魔術は使えんからの。お互い出来ることを持ち寄っとる」
「なるほど」
アーヴィン様は診療記録へ目を通す。
数ページ読んだ後、静かに帳面を閉じた。
「⋯⋯不足はない」
その一言だけだった。
でも、エリーゼさんは少しだけ嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます」
診療所を後にすると、今度は村の外れへ向かう。
そこではレオンさんが待っていた。
「ここからは防衛体制をご説明します」
レオンさんは新しく設置した見張り台を指差す。
「見張りは昼夜を問わず交代制です。異常を発見した場合は鐘で村へ知らせます」
アーヴィン様は見張り台へ上り、周囲を見渡した。
「初動は?」
「15分以内です」
「避難経路は」
「子どもと高齢者を優先し、二方向へ分散して避難します」
「迎撃は」
「俺と近衛騎士、それにディーンという弓使いがメインで行います。フィルの結界と連携しながら戦います」
アーヴィン様は黙って話を聞いていた。
質問は簡潔、返答も簡潔。
二人とも余計な言葉は交わさない。
だからこそ、お互いの考えを確認し合っていることが伝わってきた。
一通り説明を聞き終えると、アーヴィン様は見張り台からゆっくりと村全体を見渡した。
畑、学校、診療所。
そして村の中央で、大きく枝葉を広げるフィル。
しばらく静かな時間が流れる。
やがて、アーヴィン様は私たちへ向き直った。
「一通り見せてもらった」
その言葉に、自然とみんなの視線が集まる。
ロイドさんが代表して口を開いた。
「宰相閣下。リーヴェ村は、いかがでしたかな」
アーヴィン様は村をゆっくり見渡し、静かに答えた。
「率直に言おう」
一瞬、空気が張り詰める。
「素晴らしい村だ」
その言葉に、みんなの表情が明るくなる。
私も思わずほっと息をついた。
だけど——。
「しかし」
アーヴィン様の一言で、その空気は再び引き締まる。
「私の結論は変わらん」
真っ直ぐフィルを見つめながら、静かに告げる。
「結界樹は、王都で管理すべきだ」
村を否定しているわけじゃない。
それは、この一日でよく分かった。それでもなお、その結論だけは揺るがない。
私は、思わずフィルを見上げた。
フィルもまた、静かに枝葉を揺らしていた。
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