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【完結】王宮結界樹の管理を解任されたので田舎で暮らします。私を追いかけてきたのは王子ではなく結界樹でした   作者: 百香スフレ
第二章:芽吹く仲間たち

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65話 宰相、動きます

 王宮、宰相執務室。

 黒を基調とした重厚な部屋の中央で、一人の男が静かに報告書へ目を通していた。


 王国宰相、アーヴィン・クロムウェル。

 漆黒の外套を纏った長身の男は、彫刻のように整った顔立ちへ一切感情を浮かべることなく、淡々と羊皮紙を読み進める。その金色の瞳だけが、一文たりとも見逃すまいと鋭く文字を追っていた。


 部屋には紙をめくる音だけが響く。

 向かいには、調査団代表のオズワルドをはじめ、アイリス、ハインツ、エドガー、クラウスが整列していた。


 全員が報告を終え、アーヴィンの判断を待っている。

 やがて、アーヴィンは静かに書類を机へ置いた。


「管理状況は良好」


 誰へともなく呟く。


「結界樹管理人フローラ・リーフレットと植物学者ミリア・ヴェルデによる二名体制は機能している」


 視線を一枚ずつ移す。


「管理記録も十分。警備体制も改善済み。診療所も整備され、衛生管理にも問題なし⋯⋯」


 一度言葉を切った。


「そして何より————」


 報告書の最後の一文へ目を落とす。


「結界樹フィルは、管理人フローラから離れることを望んでいない可能性が高い、か」


 オズワルドが一歩前へ出た。


「はい。そのように判断いたしました」

「理由を述べろ」

「はい」


 オズワルドは迷いなく答える。


「調査期間中、結界樹は常にフローラ殿の近くへ枝葉を寄せ、自ら接触を図っておりました。他者が触れようとした際には避ける場面もございました」


 ハインツが続ける。


「私も確認しております。結界樹は意思を持って対象を選別しているように見受けられました」


 アイリスも静かに口を開く。


「植物学の観点から見ても、現在の結界樹は非常に安定しております。管理状態は、私が想像していた以上でした」


 アーヴィンは黙って聞いている。


 表情は、一切変わらない。


「以上より」


 オズワルドは締めくくる。


「現時点で管理体制へ大きな問題は見受けられませんでした」


 部屋が静まり返る。

 しばらく沈黙が続いた後、アーヴィンは小さく息を吐いた。


「そうか」


 それだけだった。

 否定も賞賛もない。

 オズワルドたちは互いに顔を見合わせる。


 今回の報告は、宰相を納得させるだけの材料になった。

 誰もがそう考えていた。しかし————。


「⋯⋯質問だ」


 静かな声が空気を切り裂いた。


「仮に管理人フローラが病に倒れた場合、誰が代行する」


 オズワルドは答える。


「植物学についてはミリア殿が」

「違う」


 即座に遮られ、再び静寂が落ちる。

 アーヴィンは続けた。


「報告書には、結界樹は管理人フローラとの強い信頼関係を築いているとある。ならば、そのフローラが不在となった場合、同様の管理は可能なのか」


 誰も即答できなかった。

 その沈黙だけで、アーヴィンには十分だった。


 彼は静かに椅子へ深く腰掛ける。


 その瞬間、一つの記憶が脳裏を過った。

 まだガイアスが幼く、アーヴィン自身も宰相へ就任する前。


 結界樹の管理体制について、ある男と言葉を交わした日のことだ。


『アルフレッド・リーフレット』


 庭へ立つその男は、穏やかな笑みを浮かべて振り返る。


『何でしょう』

『管理記録をもっと汎用的な物にしろ』


 アーヴィンは若き日のまま、淡々と言った。


『経験だけでは後世へ残らん。誰が管理しても同じ結果になる仕組みを作るべきだ』


 アルフレッドは少しだけ困ったように笑う。


『もちろん記録は残しますよ。でも、それだけじゃ足りません』


 そう言って結界樹へ優しく手を添えた。


『植物も、人も、一つとして同じ日はありません。だから毎日見て、毎日話して、その日の様子を知ることが大事なんです』


 アーヴィンは眉一つ動かさない。


『それでは管理者が変われば失われる。仕組みになっていない』


 アルフレッドは静かに首を横へ振った。


『そりゃあ、全部を仕組みにすることはできませんよ。結界樹は道具じゃありませんから』


 ——最後まで、平行線だった。


 アーヴィンの思考は、静かに途切れる。


 アーヴィンは目を閉じ、小さく息を吐いた。

 あの議論から何十年経った今も、自分の考えは変わっていない。


 そして、アルフレッドも最後まで考えを曲げなかった。

 オズワルドが静かに口を開いた。


「宰相閣下」

「何だ」

「私どもは、現地をこの目で見て参りました」


 アーヴィンは何も答えない。


「確かに、宰相閣下がお考えになる懸念は理解できます。しかし、それを踏まえた上でも、現時点の管理体制は極めて優秀でした」


 アイリスも続ける。


「植物学者として申し上げます。

 ミリア・ヴェルデ殿ほどの研究者が現地へ赴き、管理人フローラ殿と共に管理を行っていることは、王国としても非常に大きな利点です。ガイアス殿下の采配は、見事と言う他ございません。

 フローラ殿の経験と、ミリア殿の知識。その二つが互いを補い合っています。一方だけでは、現在の管理水準へ到達することは難しいでしょう」


 ハインツも腕を組んだまま頷いた。


「結界も極めて安定していました。正直、王都の結界術師が管理したとしても、現状以上になるとは断言できません」


 クラウスも静かに口を開く。


「警備体制も申し分ありません。

 近衛騎士団長レオン・アッシュ殿の指揮は的確であり、避難経路、監視体制、初動対応まで整備されております。一つの村としては、過剰と言っていいほどです」


 全員の意見は一致していた。


 調査は成功だった。

 管理体制にも問題はない。その結論は揺るがない。


 それでも。

 アーヴィンは静かに報告書を閉じた。


「諸君らの報告は理解した」


 短い言葉だった。


「そして、その内容を疑うつもりもない」


 オズワルドたちは僅かに表情を緩める。


 しかし、その直後だった。


「だが」


 その一言だけで、空気が張り詰めた。


「私の懸念は、一度も解消されていない」


 アーヴィンは全員を見渡す。


「諸君らは管理能力を調査した。そして、十分優秀であると判断した。その評価は正しい」


 一拍置く。


「だが、私が問題視しているのは、そこではない」


 静かな声。

 しかし、一言一言に重みがある。


「王国最大の戦略資産が、王都の管理外に存在している。その事実は、何一つ変わっていない」


 誰も反論できなかった。


 それは調査団も理解している。

 管理能力の問題と、国家運営の問題は別なのだ。


「管理人が優秀だから任せる。今回は問題がなかったから任せる」


 アーヴィンは小さく首を横へ振る。


「国家とは、そのような希望的観測で運営するものではない」


 正直、この問いの答えがリーヴェ村にある訳が無かった。しかし、それでもアーヴィンが折れざるを得ない何かが無いかを調査させたのだ。


 再び静寂が訪れる。

 その時、執務室の扉が叩かれた。


「失礼いたします」


 秘書官の青年だった。


「ガイアス殿下がお見えです」

「通せ」


 扉が開き、王太子ガイアス・シュタールが静かに入室する。


 ガイアスは調査団の姿を見ると、状況を察したように微笑んだ。


「報告は終わったようだな」

「⋯⋯はい」


 アーヴィンは短く答える。


「結果は、殿下の予想通りでした」


 ガイアスはゆっくり頷く。


「ならば、私の答えも変わらない。フィルを王宮へ戻す命令は出さない」


 迷いのない声だった。

 アーヴィンは数秒、ガイアスを見つめる。


 やがて視線を机へ落とし、指先で報告書を軽く叩いた。


「⋯⋯そうですか」


 それだけだった。ただ静かに、報告書を閉じる。

 そして、ゆっくりと立ち上がった。


 黒い外套が僅かに揺れ、黄金の瞳が真っ直ぐ前を見据えた。


「ならば」


 その声は、静かだった。


 しかし、部屋にいた全員の背筋を自然と伸ばさせるだけの威圧感を帯びていた。


「私自身の目で確かめます」


 オズワルドが目を見開く。


「宰相閣下自ら⋯⋯ですか」

「ああ」


 アーヴィンは迷いなく答える。


「報告書だけでは見えないものもある。

 管理人フローラ・リーフレット、らいそして、結界樹フィル⋯⋯。アルフレッドが最後まで守り続けたものを、この目で見届ける。彼女らに私を納得させられる理路整然とされた理由は無いはずだ。

 しかし彼女らに何か納得できるだけの魅力があるのも確かなのだろう。私は、それを直接この目で見極める」


 ガイアスは小さく息を吐き、苦笑する。


「⋯⋯止めても無駄だな」

「当然です」


 アーヴィンは僅かに口元を緩めた。


「殿下も知っているでしょう?」

「⋯⋯ああ」

「私は——」

「アーヴィンは——」

『一度狙えばしつこいと』


 二人の言葉が被り、ほんの一瞬だけ、執務室の空気が和らぐ。

 しかし次の瞬間には、アーヴィンの表情は再び冷徹な宰相へ戻っていた。


 こうして、王国最高の知略を持つ男が、自らリーヴェ村へ向かうことを決断する。

 それは、これまで誰も経験したことのない試練の始まりでもあった。

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