62話 調査団来訪
諸々の準備を終えた翌朝。
まだ朝露の残る庭で、私はいつものようにフィルへお水をあげていた。
「おはよう、フィル」
幹へそっと手を添える。
さわさわ。
フィルは気持ち良さそうに枝葉を揺らし、私の頭を優しく撫でてくれた。
「今日は調査団の人たちが来るね」
そう話しかけると、フィルは少しだけ枝を揺らす。
どこか落ち着かないようにも見えた。
「大丈夫だよ」
私は幹を優しく撫でる。
「昨日、みんなでたくさん準備したもんね」
管理記録もまとめた。
ミリアちゃんとフィルの状態も調べた。
レオンさんたちは防衛体制を見直して、エリーゼさんは診療所まで整えてくれた。
私一人だったら絶対に出来なかったことばかりだ。
「だから、一緒に頑張ろうね」
さわさわ。
フィルは返事をするように葉っぱを揺らした。
◆
朝食を終えた頃。
村の入口から、馬車の走る音が聞こえてきた。
「来ましたね」
レオンさんが静かに呟く。
私たちは村の入口へ向かう。
そこには既にロイドさんやガストンさん、ボルドさん、それにミリアちゃん、セシリアさん、エリーゼさんも集まっていた。
やがて、一台の大きな馬車がゆっくりと村へ入ってくる。
王宮の紋章が描かれた白い馬車だった。
後ろには護衛の騎士が四人。村の子どもたちは物珍しそうに眺めているけれど、大人たちは少し緊張した表情を浮かべていた。
馬車が止まり御者が扉を開くと、中から五人の男女が姿を現した。
面子は年配の男性、若い女性、眼鏡を掛けた文官らしい男性、壮年の男性。そして、護衛とは別に一人の騎士。
皆、王宮の制服を身に纏っている。
その中でも、一歩前へ出た初老の男性が周囲を見回した。
「王宮調査団代表、オズワルドと申します」
落ち着いた声だった。
「本日より数日間、結界樹及び管理体制の調査を担当いたします」
レオンさんが一歩前へ出て、一礼する。
「リーヴェ村防衛責任者、近衛騎士団長レオン・アッシュです。村を代表し、歓迎いたします」
二人は軽く握手を交わした。
その様子を見て、私は少しだけ肩の力が抜ける。
(怖い人じゃなさそう)
そう思った、その時だった。
一人の女性が、私を見つけて近付いてきた。
歳は二十代後半くらいだろうか。
知的な雰囲気のある女性だった。
「あなたが結界樹管理人のフローラさんですね?」
「は、はい」
「私は王立植物研究所の調査員、アイリスと申します」
植物研究所。
その言葉に、隣のミリアちゃんが小さく反応した。
「⋯⋯研究所の方ですか」
アイリスさんもミリアちゃんへ視線を向ける。
「あなたは?」
「ミリア・ヴェルデです。以前まで王立植物研究所へ所属していました」
一瞬だけ、アイリスさんの目が見開かれた。
「⋯⋯ヴェルデ?」
何かを思い出したような表情になる。
「もしかして、かの天才——ミリアさんですか?」
「⋯⋯照れますが。⋯⋯はい」
ミリアちゃんは落ち着いて頷いた。
アイリスさんは少し驚いたように笑う。
「まさか、あのミリアさんにこんなところでお会いするとは思いませんでした」
ミリアちゃんも小さく微笑む。
「そうですか」
そのやり取りを見ながら、私は少しだけ安心していた。
研究所の人だからといって、最初から敵意を向けてくるわけじゃないんだ。
しかし、もう一人の調査官は、違った。
結界術師らしき男性が、フィルを見上げながら静かに呟く。
「⋯⋯これが、今代の結界樹」
その視線は、まるで珍しい魔道具でも見るようだった。
私は思わずフィルの前へ一歩出る。
フィルも枝葉を小さく揺らし、私の背中へ枝を寄せてきた。
その様子を見た調査官は、ほんの僅かに眉を動かした。
まるで、結界樹が人へ甘えること自体を不思議に思ったような表情だった。
「それでは、早速ですが」
調査団代表のオズワルドさんが一歩前へ出る。
「まずは皆様へご挨拶を兼ねて、今回の調査内容をご説明いたします」
私たちは自然と輪になった。
オズワルドさんは手帳を開き、一つひとつ確認するように話し始める。
「今回の調査は、結界樹フィルの健康状態、管理状況、結界の安定性、そしてリーヴェ村の管理体制全般を確認するものです」
管理体制全般。
その言葉に、昨日みんなで準備したことを思い出す。
全部、この調査のために整えてきたものだ。
「調査は複数名で分担して行います」
オズワルドさんは後ろの四人へ目を向ける。
「植物としての調査はアイリス」
「はい」
「結界術はハインツ」
先ほどフィルを見つめていた男性が一歩前へ出る。
「結界術師、ハインツです」
短く名乗るだけだった。
どこか感情の読み取りにくい人だ。
「書類及び管理記録は文官のエドガー」
眼鏡を掛けた男性が軽く頭を下げる。
「よろしくお願いいたします」
「警備体制は王国騎士団三番隊隊長のクラウスが担当します」
最後に、護衛とは別に立っていた男性騎士が胸へ拳を当てる。
「王国騎士団、三番隊、隊長のクラウスです。王族近衛騎士団長、レオン殿にお会いでき、光栄であります」
レオンさんも一礼を返した。
「よろしくお願いいたします。俺も正規軍の隊長殿とお会いでき、嬉しい限りです」
二人の騎士は、互いの立ち姿を一目見ただけで力量を測り合っているようだった。
けれど、その空気に敵意はない。
同じ騎士同士だからこそ分かるものがあるのかもしれない。
「なお」
オズワルドさんが穏やかな声で続ける。
「今回の調査は、皆様へご迷惑をお掛けしないことを第一としております。普段通りお過ごしいただいて構いません」
その言葉に、村のみなさんも少しだけ表情を緩めた。
すると、アイリスさんが私へ優しく微笑みかける。
「フローラさん」
「はい」
「後ほど、結界樹について色々教えていただけますか?」
「もちろんです」
「ありがとうございます」
とても柔らかい笑顔だった。
一方で、結界術師のハインツさんはフィルから目を離さない。
そして、小さく呟いた。
「⋯⋯結界樹が、人へここまで懐くとは」
その声は小さかったけれど、私は聞き逃さなかった。
フィルは管理対象ではない。
私にとっては、大切な家族だ。
そんなことを考えていると、不意にフィルの枝が私の肩へそっと触れた。
さわさわ。
「大丈夫だよ」
私は小さな声で囁く。
「みんなに、ちゃんと知ってもらおうね」
フィルは安心したように枝葉を揺らした。
その様子を見つめる調査団の表情は、それぞれ違っていた。
興味深そうに観察する者。
感心したように微笑む者。
そして、驚きを隠せない者。
同じ光景を見ていても、受け取り方は人それぞれなんだ。
私は改めて気を引き締める。
今日から始まる調査は、フィルだけを見られるわけじゃない。
私たちが、この村でどんな毎日を送り、どんな想いでフィルを守ってきたのか。
その全てを見られる時間になる。だからこそ、隠すことなく、いつも通りに向き合おう。
そう心へ決めながら、私はもう一度フィルを見上げた。
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