61話 準備:医療体制
私はエリーゼさんに声を掛けられ、広場の近くにある一軒の空き家へ来ていた。
「フローラちゃん、こっちこっち」
扉の前で手を振るエリーゼさんへ駆け寄る。
「ここを使うんですか?」
中を覗くと、小さな机が二つと棚が一つ置かれていた。
少し前まで誰かが暮らしていた家らしく、掃除も行き届いている。
「うん」
エリーゼさんは部屋を見回しながら頷いた。
「せっかく調査団が来るんだもの。この機会に、村の医療体制もしっかり整えておきたいなって思って」
「医療体制⋯⋯」
「もちろん調査団に見てもらうためでもあるけど、それだけじゃないの」
そう言って、エリーゼさんは私へ優しく微笑みかける。
「怪我をした人や、熱を出した子どもがいた時、すぐ診られる場所があった方が安心でしょう?」
「はい!」
私は大きく頷いた。
今までは誰かが怪我をすると、それぞれのお家で手当てをしていた。
でも、こうして診療所があれば、必要な物を一か所へ集められる。
村のみんなも、きっと安心できるはずだ。
「だから今日は、その準備をしようと思ってるの」
「私も頑張ります!」
「ふふっ。ありがとう、フローラちゃん」
エリーゼさんは嬉しそうに笑った。
その時だった。
「二人とも、お待たせ」
聞き慣れた声と共に、マーサさんが大きな籠を抱えて入ってきた。
「わぁ⋯⋯!」
思わず声が漏れる。
籠の中には乾燥させた薬草や、小瓶へ入った薬液、それに包帯代わりの清潔な布まで入っていた。
「こんなに沢山⋯⋯」
「村で使ってる物は一通り持ってきたよ」
マーサさんは籠を机へ置きながら笑う。
「足りない物もあるけど、とりあえずは困らないはずさ」
「ありがとうございます」
エリーゼさんは籠の中を一つひとつ確認し始めた。
「どれも丁寧に乾燥されていますね」
「薬草は保存が大事だからねぇ」
マーサさんは少し得意そうに胸を張る。
「湿気ると効き目も落ちちまうから」
「なるほど」
エリーゼさんは一本の薬草を手に取り、葉の形を眺めた。
「これは王都では見かけない種類ですね⋯⋯」
「この辺りの森にしか生えない薬草だよ」
「どういう時に使うんですか?」
「喉の痛みや咳だねぇ」
マーサさんは迷いなく答える。
「煎じて飲ませると、二、三日で楽になる人が多いよ」
エリーゼさんは興味深そうに頷いた。
「面白いわ⋯⋯。王都では別の薬草を使うけど、効き目は似ているかもしれない」
私は二人のやり取りを聞きながら、少し驚いていた。
てっきり王都の知識と村の知識は違うものだと思っていた。
でも、二人はどちらが正しいかを争うんじゃなくて、お互いの知識を確かめ合っている。
「マーサさん」
「なんだい?」
「もし良かったら、この薬草の使い方も全部教えていただけませんか?」
エリーゼさんはにこりと笑う。
「勉強させてほしいんです」
その言葉に、マーサさんは少し目を丸くした。
「騎士団の衛生兵さんが、あたしなんかに教わるのかい?」
「もちろん」
エリーゼさんは迷いなく頷く。
「長く使われてきた知識には、それだけの理由がありますから」
その返事が嬉しかったのか、マーサさんは照れくさそうに笑った。
「そう言ってもらえるなら、教え甲斐があるねぇ」
そうして二人は机を挟み、薬草を一つずつ並べ始めた。
私はその隣で、小瓶へ名前を書いた札を結び付けていく。
知らない薬草ばかりだけど、不思議と楽しかった。
この診療所が完成すれば、きっと村のみんなが、もっと安心して暮らせる。
そんな気がした。
薬草を並べ終えると、棚の上には色々な種類の小瓶や包みが綺麗に並んでいた。
「これだけでも随分違うね」
エリーゼさんは満足そうに部屋を見回す。
「でも、もう少しだけ工夫したいかな」
「工夫ですか?」
「うん」
エリーゼさんは棚の前へしゃがみ込んだ。
「熱を出した人が来た時、怪我をした人が来た時、お腹を壊した人が来た時。それぞれ最初に使う薬がすぐ取り出せた方がいいでしょう?」
「確かに⋯⋯!」
私は思わず頷く。
薬草の名前だけでは、慣れていない人には分からない。
マーサさんも腕を組みながら棚を眺めた。
「そうだねぇ。あたしは場所を覚えてるけど、他の人じゃ迷うかもしれない」
「だから札を付けようと思うの」
エリーゼさんは紙を取り出し、さらさらと文字を書き始めた。『熱』、『怪我』、『腹痛』、『咳』。
「こんな感じで用途を書いておけば、誰でも探しやすいでしょう?」
「わぁ⋯⋯!」
私は思わず声を上げる。
「すごく分かりやすいです!」
「診療所は、私だけが使う場所じゃないもの」
エリーゼさんは少し照れくさそうに笑う。
「私がいない時でも、誰かが必要な物を見つけられるようにしておきたいの」
その考え方は、今日たくさん学んだことだ。
誰か一人が頑張るんじゃない。誰でも動けるように準備をしておく。
それも、人を守るためなんだ。
私は札を書き写しながら、小さく微笑んだ。
「フローラちゃん」
「はい?」
「薬草って、どれくらいの頻度で採りに行ってるの?」
「今は一週間に一回くらいです」
「そっか」
エリーゼさんは頷く。
「じゃあ、その時に診療所の薬草も確認するといいかもしれないね。足りない物があったら補充して、古くなった物は新しい物へ入れ替えて⋯⋯。そうすれば、いつ誰が来ても困らないでしょう?」
「はい!」
それは今まで考えたこともなかった。
薬草を採ることはあっても、診療所全体を管理するという発想は無かったからだ。
「管理する物がまた増えちゃったね」
エリーゼさんがくすっと笑う。
私もつられて笑ってしまう。
「でも、頑張ります!」
「ふふっ。その意気よ」
そこへ、入口からロイドさんが顔を覗かせた。
「おっ、随分立派になったな」
「ロイドさん!」
部屋へ入ってきたロイドさんは棚を見回し、何度も頷く。
「これなら安心だな。何か足りない物はあるか?」
エリーゼさんは少し考えてから首を横へ振った。
「今のところは大丈夫です。必要になったら、その時また相談させてください」
「任せとけ」
ロイドさんは豪快に笑う。
「村のみんなにも声を掛けとく」
その言葉が、とても心強かった。
診療所は、エリーゼさん一人で作ったわけじゃない。
マーサさんが薬草を持ってきてくれて、ロイドさんが場所を用意してくれた。⋯⋯一応、私も少しだけお手伝いをした。
みんなで作った診療所なんだ。
夕日が窓から差し込み、部屋の中を優しく照らしていた。
「これで準備は終わりかな」
エリーゼさんがそう言って部屋を見渡す。
机、棚、薬草。全部きちんと揃っている。
私は嬉しくなって大きく頷いた。
「はい!」
朝から始まった準備も、これで全部終わった。
一つひとつは小さなことかもしれない。
でも、その全部が、フィルを守り、村のみんなを守ることへ繋がっている。
私は診療所を出ると、夕焼けに染まる空を見上げた。
いよいよ明日。
王宮からの調査団が、このリーヴェ村へやって来る。
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