59話 準備:結界樹
管理記録をまとめ終えた私は、そのまま庭へ出た。
フィルはいつものように、さわさわと枝葉を揺らして私たちを迎えてくれる。
「お待たせ、フィル」
幹にそっと触れると、枝が優しく私の頭を撫でた。
「今日は、フィルのことをもっと詳しく調べるからね」
すると、フィルは返事をするように葉っぱを揺らす。
その様子を見ていたミリアちゃんが、思わず笑った。
「本当に返事してるみたい」
「してるよ?」
私が首を傾げると、ミリアちゃんも苦笑する。
「うん、今ならそう思える」
聞くところによるとミリアちゃんは、初めはフィルを一植物として見ていた。でも今は違う。フィルを、一つの心ある生き物として接してくれている。
「それじゃあ始めようか!研究所では論文発表なんかも沢山あって、調査官の人がどういう所を突いてくるか、なんとなく分かるから安心して!」
「うん!」
ミリアちゃんは鞄から何枚もの羊皮紙を取り出した。
そこには、先ほどセシリアさんとまとめた管理記録も挟まれている。
「今から、この記録の裏付けを取っていくよ」
「裏付け?」
「そう」
ミリアちゃんは頷く。
「調査官の人たちは、きっと『なぜそう判断したのか』まで聞いてくると思う。だから、理論として説明できるようにしておきたいの」
なるほど。
私が『元気そう』と思っていても、それだけじゃ伝わらない。
きちんと理由まで説明できるようにしないといけないんだ。
「まずは葉っぱから見てみよう」
ミリアちゃんは一枚の葉を優しく持ち上げる。葉脈を確認し、色艶を見て、光へ透かした。
「色は良好、葉脈も綺麗。魔力の流れも安定してる」
そう呟きながら記録を書き込んでいく。
私はその横でフィルへ触れた。
「うん。今日はとても機嫌が良いね」
さわさわ。
枝葉が嬉しそうに揺れる。
ミリアちゃんはその様子を見ながら、不思議そうに笑った。
「フローラちゃん」
「なあに?」
「どうして機嫌が良いって分かるの?」
「え?」
私はきょとんとしてしまう。
「えっと⋯⋯何となく?」
「何となく?」
「うん」
私はフィルの幹を優しく撫でる。
「枝の揺れ方とか、葉っぱの音とか⋯⋯あと、魔力の流れとか、かな。今日はすごく落ち着いてる感じがするの」
説明している私自身も、不思議だった。
ずっと一緒に居たから分かる。それ以上の理由は、うまく言葉にできない。
ミリアちゃんは真剣な表情で考え込む。
「それが経験なんだね⋯⋯」
小さく呟くと、手帳へ何かを書き留めた。
「私には葉の状態や魔力は分かる。でも、『気分』までは分からない。最近は分かりやすいのは分かるようになってきたけど⋯⋯。逆にフローラちゃんは、そこが自然と分かる」
私は少し照れながら笑う。
「お父さんにも、昔から『フィルの声をよく聞きなさい』って言われてたから」
「声⋯⋯か」
ミリアちゃんはもう一度フィルを見上げた。
植物ではなく、一人の人間として、フィルという存在を理解しようとするような、優しい眼差しだった。
それから私たちは、結界の範囲や周囲の植物も一つずつ確認していった。
以前、フィルが覚醒してから、村の周囲に生えている草花まで元気になった。
最初は気のせいだと思っていたけれど、今では誰の目にも分かるほどだ。
ミリアちゃんは庭の花壇へしゃがみ込む。
「やっぱり⋯⋯」
一本の花を優しく撫でる。
「魔力濃度が普通の土地とは全然違う」
私は隣へしゃがみ込んだ。
「フィルのおかげ?」
「うん」
ミリアちゃんは頷く。
「結界樹が放出する魔力が、少しずつ土へ溶け込んでるんだと思う。だから植物の育ちも良いし、病気にも強くなってる」
私は庭を見渡した。
言われてみれば、野菜も花も、昔より元気な気がする。
「これも記録しておこう!」
「うん!」
私は管理簿へ書き込んでいく。
フィルの変化だけじゃない。
フィルが周りへ与えている影響も、大切な管理記録なんだ。
「フローラお姉ちゃん!」
聞き慣れた元気な声が聞こえてきた。
振り向くと、ルークくんが庭へ駆け込んできていた。
「何してるの?」
「フィルの調査だよ」
「へぇー!」
ルークくんは返事をしながらも、その視線はほとんどミリアちゃんへ向いていた。
「ミリアお姉ちゃん、何見てるの?」
「この花だよ」
ミリアちゃんは笑顔で答える。
「ほら、この葉っぱ。前より色が濃いでしょ?」
「ほんとだ!」
ルークくんは目を輝かせる。
⋯⋯ちゃんと話は聞いてるみたいだけど。
なんだか、フィルよりミリアちゃんを見ている時間の方が長い気がする。
私は少しだけ微笑ましくなった。
ミリアちゃんはそんなことには全く気付かず、真剣な表情で記録を書き続けている。
「⋯⋯よし」
一通り調査を終えると、ミリアちゃんは大きく息を吐いた。
「……これで理論的な説明もできそう!ありがとう、フローラちゃん」
「え?」
突然お礼を言われて、私は首を傾げる。
ミリアちゃんは記録簿を優しく閉じた。
「ガイアス殿下にお願いして、リーヴェ村へ行くメンバーに入れてもらって良かった。⋯⋯フローラちゃんに会えて良かった!」
初めて聞く話だ。
そうか、ミリアちゃんは自分からリーヴェ村に来てくれたんだ。そして、私に会えて良かった、と⋯⋯。私は思わず照れてしまう。
「私に?」
「うん」
ミリアちゃんは笑顔で頷いた。
「研究所にいた頃から思ってたの。フローラちゃんに弟子入りして、結界樹の管理体制をより強固なものにしたい。フローラちゃんとお仕事してみたいって」
「そうだったんだ」
「それでフローラちゃんを主軸にした管理体制をガイアス殿下に打診したら、快諾してくれたんだ。だけど、結果的には他の貴族の方々に勢いで押されて、今やこうなってしまった、というわけ」
「なんてこった」
そう言うと、お互いクスクスと笑ってしまう。
「でもね」
ミリアちゃんは、フィルを見上げた。
「実際に一緒に管理してみて、想像以上だった⋯⋯。
本や論文には載っていないことを、フローラちゃんは当たり前のように知ってる。フィルさんの小さな変化も、機嫌も、その日の様子も分かるんだもん。すごいよ!」
そんな風に言われると、なんだか照れてしまう。
「でも、それはミリアちゃんが来てくれたから気付けたことも沢山あるよ」
「え?」
「葉っぱのことも、魔力の流れも、周りの植物への影響も⋯⋯前の私は、『元気そう』って思うだけだった。
でも今は、『どうして元気なのか』まで考えられるようになったの」
ミリアちゃんは少し驚いたあと、ふっと笑った。
「そっか!じゃあ、お互い様だね」
「うん!」
私も笑顔で頷く。
私がフィルを感じ取る。
ミリアちゃんが、その理由を言葉にする。
どちらか一人では足りない。
二人だからこそ、フィルのことをもっと深く理解できる。
そう思うと、とても心強かった。
さわさわ。
フィルも嬉しそうに枝葉を揺らす。
まるで、私たちの話に頷いてくれているみたいだった。
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