56話 宰相の役割
王太子執務室を後にしたアーヴィンは、自室へ戻っていた。
机へ報告書を置くと、静かに椅子へ腰掛ける。
そのタイミングで、アーヴィンの自室の扉を叩く音がした。
「入れ」
「失礼いたします」
秘書官の青年が入室した。
「調査団派遣の準備が整いました」
「そうか」
アーヴィンは短く答える。
アーヴィンは、ガイアスと話し合った場合、この結果に着地する事が予測できていた。そのため、少しでもリーヴェ村の方に準備の時間を残さないため、調査団の準備を青年に事前に任せていたのだ。
「宰相閣下は、今回の調査が必要だとお考えなのですね」
「無論だ」
即答だった。
「報告書は読んだな」
「はい」
「感想は」
青年は少し考えた。
「⋯⋯正直、驚きました。管理体制は想像以上です」
青年の言葉に、アーヴィンは言葉を発さず静かに頷く。
「管理人フローラ殿はもちろん、植物研究者ミリア殿、衛生兵エリーゼ殿、事務官セシリア殿に、近衛騎士団長レオン殿までおります。他にも、レオン殿の部下であるガイアス殿下直下の近衛騎士が数名。これほどの人材が揃っているなら、結界樹の管理も問題ないのでは、と」
アーヴィンは静かに頷いた。
「そうだな」
青年は目を丸くする。
「え⋯⋯?」
「現状の管理能力は申し分ない。むしろ、予想以上だった」
青年は混乱した。
「でしたら⋯⋯なぜ調査団を?」
アーヴィンは報告書へ手を置く。
「管理能力に申し分ないというのは、現状の状態を維持できる前提において、だ。国家という組織は、最善ではなく最悪を想定して動く」
青年は黙って耳を傾ける。
「仮にフローラが病に倒れたら。仮に近衛騎士が別任務で村を離れたら。仮に他国が覚醒した結界樹の存在を知ったら⋯⋯」
一つずつ指を折る。
「一つでも起これば、国家は対応を迫られる。だから私は、最悪を考える」
青年は小さく息を呑んだ。
「⋯⋯それが、宰相なのですね」
「そうだ」
アーヴィンは迷いなく答えた。
「殿下は⋯⋯柄にもなく人を信じた。人の心が分からない、鋼の王太子と呼ばれた殿下が、だ。それ程の何かがリーヴェ村にはあるのだろう」
ガイアスは優秀な王太子だ。しかし、アーヴィンの教育も相まって、ガイアスは人情を判断材料に入れない。人の心が無い、鋼の王太子などと揶揄する者もいる。
しかし、そんなガイアスがフローラという少女と、フィル——植物の気持ちを優先し、謝罪と約束を果たした。⋯⋯いったい何が彼をそうさせたのか、アーヴィンはそれも気になっていた。
「ですが——」
青年は何かを言いかけた。しかし、その先はアーヴィンが遮る。
「——だからこそだ。殿下の講じた体制はご立派だ。殿下のお考えも、その対応も素晴らしいものだと分かっている。だからこそ、殿下のお考えとご判断が国にとって正しいかどうか。それを見定める義務が、宰相である私にはある」
だからこそ——アーヴィンは調査団を派遣する。
アーヴィンは椅子から立ち上がり、窓際へ歩く。
眼下には王都が広がっていた。
王城を中心に、数え切れない家々が並んでいる。
「この王国には、何人の民が暮らしている」
突然の問いだった。
青年は少し考える。
「およそ⋯⋯100万人かと」
「そうだ」
アーヴィンは静かに頷く。
「結界樹は、その100万人を守るために存在する。そんな最重要戦力が、王都から馬で1日かかる小さな村に置かれている。⋯⋯そんな国が、どこにある」
青年は黙って聞いている。アーヴィンの言うことは尤もであり、何も言えなかった。
「私はリーヴェ村を軽視している訳ではない。殿下のご判断を疑っている訳でもない。だが——」
アーヴィンは王都を見つめたまま続ける。
「国を預かる者は、目の前の成功だけを見てはならん。十年、二十年。その先まで考えねばならない」
静かな声だった。
しかし、その一言一言には重みがあった。
「だから私は、調査する。国家として正式に評価し、管理体制を確認する」
青年は小さく頷いた。
アーヴィンは振り返る。
「調査団の人選を報告せよ」
「⋯⋯はい。植物研究者を一名、結界術師を一名、文官を一名。それに、護衛の騎士を数名。いずれも口の堅い者を選定しております」
「結構だ」
アーヴィンは机の上の報告書を閉じる。
「今回の調査で見るべきものは、結界樹だけではない」
青年は姿勢を正した。
「あらゆる方面から、多角的にリーヴェ村の管理体制を調査せよ」
「はっ」
青年は深く頭を下げる。
部屋を出ようとしたところで、アーヴィンが呼び止めた。
「一つだけ伝えておけ」
「何でしょう」
「先入観は捨てろ」
青年は振り返る。
「結界樹を奪いに行くのではない。事実を見に行くのだ。⋯⋯良い報告であれば、そのまま良いと書き、問題があれば、隠さず書け。とな」
「承知いたしました」
青年は一礼し、静かに執務室を後にした。
一人残ったアーヴィンは、窓の外へ視線を向ける。
遠く南方。リーヴェ村のある方角だった。
「⋯⋯期待しているぞ」
それは特定の誰かに向けての言葉なのか。真偽の分からない言葉は、ただ宰相の執務室の中で消えていった。
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