50話 宿屋
気が付けば、空は茜色に染まっていた。
「もう夕方ですか」
レオンさんが空を見上げる。
私もつられて見上げると、西の空へ夕日が沈み始めていた。
家具屋さんに食器屋さん。紙屋さんに園芸店。
焼き菓子屋さんにも寄って、気付けば一日があっという間に終わっていた。
「今日は王都で一泊しましょう」
「はい」
さすがに今から村へ戻るのは危険だ。夜の街道には魔物が現れることもある。
私たちはノワールを宿屋の厩舎へ預け、一軒目の宿屋へ向かった。
◆
「いらっしゃいませ」
受付へ向かうと、店主さんが笑顔で迎えてくれる。
レオンさんは一礼した。
「二部屋お願いしたいのですが」
すると店主さんは申し訳なさそうな顔になった。
「すみません。今日は満室なんですよ」
「そうですか⋯⋯」
レオンさんは残念そうに頷く。
「ありがとうございました」
宿屋を出る。
「次へ行きましょう」
「はい」
私はあまり深く考えていなかった。
一軒くらい満室でも、他へ行けばきっと空いているだろう。そう思っていた。
「申し訳ありません。本日は満室です」
二軒目も。
「今日は部屋が全部埋まってましてね」
三軒目も。
「空いてないねぇ」
四軒目も。
私は思わずレオンさんを見る。
「こんなに混んでることってあるんですね」
「珍しいですね⋯⋯」
レオンさんも少し困ったように眉を下げた。
「王都へ来ることは多いですが、ここまで続くのは初めてです」
五軒目へ向かう。
ここで駄目なら、本当に困ってしまう。
「いらっしゃい」
年配の女性が受付に座っていた。
レオンさんはこれまでと同じように尋ねる。
「二部屋お願いしたいのですが」
女性は帳簿を確認し、小さく首を振った。
「二部屋は無理だねぇ」
やっぱり⋯⋯。そう思った、その時だった。
「一部屋なら空いてるよ」
「⋯⋯え?」
私とレオンさんの声が重なる。女性は申し訳なさそうに笑った。
「今日最後の一部屋さ」
しばらく沈黙が流れる。
レオンさんが静かに口を開いた。
「⋯⋯他を探します」
そう言って踵を返そうとする。⋯⋯すると女性が苦笑いした。
「この時間からかい?」
「はい」
「やめときな」
女性は肩を竦めた。
「今日は王都中の宿屋が混んでるんだよ。商人も旅人も大勢来てるからねぇ⋯⋯。他を回っても、多分同じさ」
レオンさんは少し考え込む。
「ですが⋯⋯」
女性は私へ視線を向けた。
「お嬢さんは嫌かい?」
「えっ?」
突然聞かれ、思わず固まってしまう。
同じ部屋。レオンさんと。⋯⋯もちろん少し恥ずかしい。でも————私はレオンさんを見る。
レオンさんは困ったような表情で、私を気遣ってくれていた。
(レオンさんなら⋯⋯)
この人なら、何も心配はいらない。
そう思えた。私は小さく頷く。
「私は⋯⋯大丈夫です」
レオンさんが驚いたように私を見る。
「フローラ様!?」
「レオンさんと一緒なら、安心ですから」
その言葉を聞き、レオンさんは少しだけ目を伏せた。
「⋯⋯分かりました」
そして受付の女性へ向き直る。
「その一部屋を、お願いします」
◆
宿屋さんに案内され、私たちは二階の部屋へ通された。
「ここだよ」
扉が開く。
部屋の中は思っていたより広かった。
窓が一つに、小さな机が一つ。椅子が一脚。
そして——。
「⋯⋯」
「⋯⋯」
ベッドは、一つだけだった。
宿屋さんはそんな私たちを見て、小さく笑う。
「若いっていいねぇ」
「ち、違います!」
思わず声を上げてしまう。
「私たちは、そういう関係では⋯⋯!」
「はい」
レオンさんも真面目な顔で頷いた。
「俺は護衛です」
「そうかいそうかい。ごゆっくりどうぞ⋯⋯」
宿屋さんはにこにこしたまま部屋を出て行った。
ぱたん、と扉が閉まると、部屋には静けさだけが残った。
私は何となくベッドを見つめる。
その時だった。
「フローラ様」
レオンさんが口を開く。
「フローラ様はベッドをお使いください」
「えっ?」
「私はここにおります」
そう言ってレオンさんが立ったのは、扉の前だった。
「えぇっ!?」
思わず大きな声が出てしまう。
「そんなところで、一晩過ごすつもりですか!?」
「はい」
レオンさんは真面目な顔で頷く。
「万が一のことがあっても、すぐ対応できますので」
「でも⋯⋯!」
私は慌てて首を振る。
「立ったままなんて眠れません!」
「問題ありません」
「問題あります!」
思わず言い返してしまう。
レオンさんは困ったように笑った。
「俺は騎士です。この程度なら慣れています」
「慣れていても駄目です!」
私がそう言うと、レオンさんは少しだけ黙り込んだ。
「ですが⋯⋯」
レオンさんを一晩中立たせておくなんて嫌だ。護衛で疲れているだろうに、私だけ呑気にベッドに居たって眠れない。なら——。
「⋯⋯あの」
勇気を振り絞って口を開く。
「同じベッドでも⋯⋯背中を向けて寝れば、大丈夫だと思います」
「⋯⋯⋯⋯」
「その⋯⋯」
恥ずかしくて、顔が熱くなる。
「お互い反対を向いて寝れば、何も問題ありませんし⋯⋯」
言えば言うほど恥ずかしくなってきた。
何を言ってるんだろう、私は。今からでも私が床でレオンさんにベッドを使ってもらうべきだ。分かってる。分かってるんけど——。
「その⋯⋯」
「変な意味じゃないですからね!」
断る理由を考えている雰囲気のレオンさんを前に、私は慌てて付け加える。⋯⋯本当に、何を必死になっているんだ私は。
レオンさんはしばらく黙っていた。
私の言葉を断れば、きっと私を傷付けてしまう。そんなことを考えているような表情だった。
やがて、小さく頷く。
「⋯⋯分かりました」
「本当ですか?」
「はい」
「ですが、一つだけ約束してください」
「何でしょう?」
「少しでも不安になったら、すぐ仰ってください」
「もちろんです」
私はほっと胸を撫で下ろした。
レオンさんもようやく扉の前から離れ、ベッドへ腰掛ける。
少しだけ距離を空けて、二人で並んで座る。
それだけなのに、何だか落ち着かない。
◆
夜になった。
「そ、それじゃあ⋯⋯」
「はい」
「おやすみなさい、レオンさん」
「おやすみなさい、フローラ様」
私たちはそっと横になる。
お互い、約束通り背中を向けて。けど————。
(近い⋯⋯)
背中越しに人の気配を感じる。
静かな部屋。聞こえるのは時計の針の音と、自分の心臓の音だけ。⋯⋯いや、あともう一人、心臓の音が聞こえている。⋯⋯私は聞こえないフリをした。
(眠れるかな⋯⋯)
そんなことを考えながら、私はそっと目を閉じた。
評価、ブックマーク、感想など励みになります。
モチベーションになりますので、よろしくお願いします。
また、作者Xにて更新通知を行っております。
新作の通知なども行いますので、ぜひフォローお願いします。
@MokaSufure




