4話 リーヴェ村
王宮の門を出ると、私は一度だけ足を止めた。
見慣れた白い城壁。
何度も歩いた石畳。
毎日見上げていた王宮。
ここが、私の家だった。
「⋯⋯⋯⋯」
振り返れば、きっと戻りたくなる。
だから私は小さく息を吐くと、そのまま前を向いた。
「行こう」
私には、もう進むしかない。
背中には荷物が入った鞄。
その中には、お父さんの管理日誌が大事にしまってある。
王都の大通りを歩くと、昼過ぎということもあり、人通りは多かった。
露店からは香ばしい匂いが漂い、子ども達が楽しそうに走り回っている。
いつもなら微笑ましく思う光景なのに、今日はどこか遠く感じた。
気が付けば、私もフィルも大好きな焼き菓子屋さんの前へ来ていた。
「⋯⋯」
フィルが一番好きなお店。
王都に出かける機会があった際、たまに買って帰っては、フィルへ持って行っていた。
「今日は⋯⋯フィルを思い出しちゃうから、やめておこう。⋯⋯ごめんね、フィル」
小さく呟いて歩き出した。
王都の門を抜けると、街道が真っ直ぐ続いていた。
どうやらリーヴェ村までは乗合馬車も出ているようだ。
乗れば今日中に着くだろう。
でも、その分だけお金が減る。蓄えは十分あるが、これから稼ぎがあるか分からない。それに、お金はいくらあっても困らない。節約できるところで節約しておこう。
「歩こう」
私は街道を歩き始めた。
冬の終わりを感じさせる寒さだ。
既に雪は溶け落ち、まもなく春が来る。それはフィルの花が咲き始める合図だ。⋯⋯やはりフィルのことを考えてしまう。悲しくなるから止めよう。
王都に居た頃は、こんな景色をゆっくり見ることなんて無かった。
朝から晩までフィルのお世話。それが当たり前だったから。
「⋯⋯今頃、お昼ご飯かな」
やはり、フィルのことを考えてしまう。
きっと今は、ミリアさんがお世話をしている。有名な才女だ、きっと美味しい肥料も作ってくれているだろう。
⋯⋯ちゃんと話し掛けてくれているだろうか。寂しがっていないだろうか。
——駄目。考えちゃ駄目。
私は首を横へ振った。
「もう、決まったことなんだから」
自分へ言い聞かせるように呟く。
それでも胸の奥が少し痛んだ。
歩き続けること数時間。
街道沿いの木陰で休憩することにした。
「ふぅ⋯⋯」
鞄を下ろし、水筒を取り出す。
冷たい水が喉を潤した。
そのまま何気なく鞄を開くと、管理日誌が目に入る。私は日誌を取り出した。最後のページへ挟まっていた、お父さんの手紙は、何度読んでも、お父さんらしい字だった。
『困った時は、リーヴェ村を訪ねなさい』
『村長のロイド・バークは、お父さんの大切な友人だ』
『事情を話せば、きっと力になってくれる。』
「⋯⋯お父さん」
私は空を見上げる。
「急に訪ねて、本当に迷惑じゃないかな」
知らない村。知らない人。
いくら友人だったとはいえ、突然娘が訪ねてきたら困るんじゃないだろうか。
「でも、他に行く場所なんて、無いもんね」
苦笑いが零れる。仕事も家も無い。頼れる人も居ない。こんな事になってみると、家族も友達もフィルしか居なかったんだなと感じる。
————今は、お父さんを信じよう。
私は日誌を大切にしまうと、もう一度立ち上がった。
それから数日、野営をしながら街道を歩いた。
王宮の中とはいえ、森のような空間で四季折々過ごしていた事もあり、特に苦労せず野営が出来た。街道沿いは騎士の巡回がしっかりしていて魔物も一切出ない。
王都から離れるほど、人の姿は少なくなっていく。
代わりに、畑が増えた。羊が草を食べ、風車がゆっくり回っている。
「のどかだなぁ」
思わず笑ってしまう。
こんな景色を見るのは初めてだった。人生のほとんどを王宮と王都で過ごしていたからなぁ。
日が少しずつ傾き始めた頃。
遠くに、小さな村が見えてきた。
「あれが⋯⋯」
煙突から煙が上がっている。
畑では村人が鍬を振るい、子ども達は元気に走り回っていた。
王都のような豪華さは無い。でも、どこか温かい。
「⋯⋯いい所、かも」
自然とそう呟いていた。
お父さんが言っていた理由が、少しだけ分かった気がする。
私は村へ入る。
すると、畑仕事を終えたばかりらしい年配の女性と目が合った。
「あら、旅のお嬢さんかい?」
「こんにちは」
「こんにちは。どうしたんだい?」
「ロイド・バークさんのお家を教えていただけませんか?」
「ロイドさん⋯⋯村長さんかい?」
「はい」
「それなら、この道を真っ直ぐ行って、突き当たりの大きな家だよ」
「ありがとうございます」
「何か用事かい?」
「少し、ご挨拶に」
「そうかい」
女性は優しく笑って手を振ってくれた。なんだか暖かい人だったな。
私は教えられた道を歩く。すると、村の一番奥に少し大きな木造の家が見えた。
「あそこかな」
胸が少しだけ高鳴る。
ここから先は、本当に知らない世界。
私は管理日誌を抱きしめる。
「お父さん。少しだけ、勇気をください」
そう呟くと、玄関の前へ立った。
コンコン。
ゆっくり扉を叩く。
少しして、中から重たい足音が聞こえた。
「⋯⋯はい」
扉が開く。
そこに立っていたのは、五十代半ばほどの大柄な男性だった。
鋭い目付き、日に焼けた肌、歴戦の戦士を思わせる体格。
けれど、その瞳にはどこか優しさも宿っていた。
「⋯⋯?どちらさんだ?」
私は深く頭を下げる。
「突然申し訳ありません。私、フローラ・リーフレットと申します」
一度だけ息を吸う。
「アルフレッド・リーフレットの娘です」
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