45話 ルークの初恋
朝の澄んだ空気の中、リーヴェ村の広場には木剣の打ち合う音が響いていた。
「ほら、もう一回」
「うん!」
ルークは木剣を握り直し、勢いよくレオンへ踏み込む。
しかし、まだ足運びが甘い。
レオンは最小限の動きで木剣を受け流し、軽く柄でルークの肩を叩いた。
「今のだ。踏み込んだ後に体が流れてる」
「うー⋯⋯」
「焦らなくていい。一つずつ覚えればちゃんと強くなる」
レオンは木剣を肩へ担ぎ、優しく笑う。
「もう一回やってみろ」
「うん!」
ルークは返事こそ元気だったが、動きはどこか上の空だった。
踏み込みを間違え、振り下ろす位置もずれる。
普段ならすぐに修正できるような失敗を何度も繰り返していた。
レオンは木剣を下ろした。
「ルーク」
「⋯⋯なに?」
「今日は集中できてないな」
「えっ、そんなことないよ!」
「いや、ある」
きっぱり言われ、ルークは目を逸らす。
「⋯⋯ある⋯⋯のかな⋯⋯」
「何かあったのか?」
「いや、その⋯⋯」
言いかけて口を閉じる。
何度か言葉を探したあと、小さく首を振った。
「分かんない」
その様子を見て、レオンはそれ以上聞かなかった。
子どもは話したい時には自分から話す。無理に聞き出しても意味はない。
「今日はここまでにしよう」
「えー?」
「その調子で続けても身につかない。また明日やろう」
ルークは少し不満そうな顔をしたが、やがて小さく頷いた。
「⋯⋯うん」
二人で木剣を片付け始める。
しばらく黙っていたルークが、不意に口を開いた。
「兄ちゃん」
「ん?」
「このあと暇?」
「ああ」
「じゃあさ、家来てよ」
「ハント家にか?」
「うん」
少しだけ迷うような表情を浮かべたレオンだったが、すぐに頷く。
「分かった」
ルークの表情がぱっと明るくなる。
「やった!じゃあ行こ!」
そう言ったルークは、レオンの手を掴んで走り出した。
◆
ハント家へ着くと、庭ではディーンが昼食の準備をしていた。
炭火の上では串に刺した肉が香ばしい匂いを漂わせている。
「父ちゃん!」
「帰ったか」
ディーンは振り返り、レオンを見ると軽く手を上げた。
「ん?レオンも一緒か」
「突然お邪魔して申し訳ありません、ディーン殿」
「謝るほどのことじゃねぇよ」
ディーンは少し笑いながら串をひっくり返す。
「ちょうど昼飯だった。せっかくだ、一緒に食っていけ」
「ありがとうございます」
三人は庭先の丸太へ腰掛け、焼きたての串肉を受け取った。
「うまっ!」
ルークが勢いよく頬張る。
「そんなに急いで食うと火傷するぞ」
「大丈夫だよ!」
レオンも一口食べ、小さく頷いた。
「美味しいです」
「狩ったばっかりだからな」
ディーンは満足そうに笑う。
しばらくは他愛もない話だった。森の獲物のことや、ルークの剣の稽古のこと。村で起きた小さな出来事などなど。
けれど、ルークだけはどこか落ち着かない。
肉を食べる手が止まり、何度も口を開いては閉じていた。
そんな息子を見て、ディーンが不思議そうに眉をひそめる。
「ルーク」
「⋯⋯ん?」
「さっきから変だぞ」
「えっ?」
「何か話があるんじゃねぇのか」
ルークは俯き、串を見つめたまま小さく息を吐いた。
「⋯⋯うん」
そして、ぽつりと呟く。
「最近さ⋯⋯なんか、変なんだ」
ディーンは串を置き、ルークの顔をじっと見つめた。
「変って、どう変なんだ?」
「えっと⋯⋯」
ルークは言葉を探すように頭を掻く。
「最近、ぼーっとすることが多いんだ」
「ぼーっと?」
「うん。剣の稽古してても急に違うこと考えちゃうし、ご飯食べてても何か考えてるし⋯⋯。夜もなかなか眠れないんだ」
ディーンは腕を組む。
「熱は?」
「ない」
「腹は痛くないか?」
「痛くない」
「飯は食えるか?」
「いっぱい食べられる」
「ふむ⋯⋯」
ディーンは首を傾げた。
「病気じゃなさそうだな。⋯⋯いや、一応マーサさんに診てもらうか?そういえば、新しく来たやつは衛生兵か何かだったような⋯⋯」
色々と考えるディーンの横で、レオンは小さく笑っていた。
ルークはその様子に気付き、不思議そうに首を傾げる。
「兄ちゃん?」
「一つだけ聞いてもいいか?」
「うん」
「最近、誰かのことを考える時間が増えてないか?」
ルークは一瞬きょとんとした。
「⋯⋯あ」
その反応だけで十分だった。
「例えば、その人と話したことを思い出したり⋯⋯その人が笑っていた顔を思い出したり⋯⋯また会いたいな、って思ったり、とか」
ルークの顔がみるみる赤くなる。
「な、なんで分かったの!?」
ディーンが思わず目を丸くした。
「おい、本当にいるのか?」
「う、うん⋯⋯」
「誰だ?」
「い、言わない!」
ルークはぶんぶんと首を振る。
ディーンは困ったように頭を掻いた。
「そうかぁ⋯⋯」
(自分の息子にも、そんな年頃が来たのか⋯⋯)
少しだけ驚きながらも、どこか嬉しくもあった。
レオンは穏やかな表情のまま口を開く。
「ルーク」
「⋯⋯なに?」
「それは変なことじゃない」
「え?」
「誰にでもあることだ」
ルークは少しだけ安心したような顔になる。
「兄ちゃんにも?」
「ああ」
レオンは小さく頷いた。
「だから、不安になる必要はない」
「そっか⋯⋯」
ルークは胸を撫で下ろした。
「じゃあ、このままでいいの?」
「ああ、このままでいい」
レオンは笑う。
「ただ、一つだけ覚えておいてほしい」
「うん」
「相手が笑ってくれることを考えろ。自分がどう思われるかじゃない。その人が楽しく過ごせるように考えれば、それで十分だ」
ルークは何度かその言葉を頭の中で繰り返した。
「⋯⋯うん!」
さっきまで曇っていた表情が、ようやくいつもの笑顔へ戻る。
「ありがとう、兄ちゃん!」
レオンは優しくルークの頭を撫でた。
「また何かあったら相談しろ」
「うん!」
二人のやり取りを見ていたディーンは、小さく笑う。
「レオン」
「はい」
「お前、子どもの相手が上手いな」
「⋯⋯そうでしょうか?」
「少なくとも俺よりは上手い」
ディーンは苦笑しながら立ち上がる。
「ルークも昔より素直に話すようになった」
「兄ちゃんのおかげだな!」
ルークが嬉しそうに言うと、レオンは少し照れたように笑った。
「それはルークが頑張っているからだ」
帰る時間になり、レオンは立ち上がる。
「今日はありがとうございました、ディーン殿」
「だから、その『殿』はいらねぇって」
ディーンは笑いながら肩を竦めた。
「村じゃ騎士も平民も関係ねぇ。俺はお前と仲良くしたいだけだ」
レオンは少しだけ驚いたような顔をする。
村へ来てから、こんなふうに真正面から言われたことはあまりなかった。
「⋯⋯ありがとうございます」
「礼もいらねぇ」
ディーンは照れ隠しのように笑う。
「また飯食いに来い」
少しだけ間が空く。
レオンは柔らかな笑みを浮かべ、小さく頷いた。
「⋯⋯はい。また来ます」
「今度は『ディーン殿』じゃなくて、ディーンって呼べ」
「⋯⋯急には難しいですよ」
「じゃあ、そのうちでいい」
二人は顔を見合わせて笑った。
その様子を見たルークは、どこか誇らしげだった。
(兄ちゃんと父ちゃん、友達になれそうだ)
そんな予感がして、ルークは自然と笑みを浮かべるのだった。
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