40話 ミリア・ヴェルデ
王都の馬車が到着したのは、その翌日だった。
「村長ー!王都の馬車が来たー!」
ルークくんの大きな声が村中へ響く。
私はフィルの根元で管理記録を書いていた手を止め、顔を上げた。
「王都⋯⋯?」
隣で警備についていたレオンさんも、すぐに村の入口へ視線を向ける。
「フローラ様、私は先に確認してまいります」
「はい」
レオンさんは近衛騎士のみなさんへ手短に指示を出すと、村の入口へ向かって歩き出した。
魔物の襲撃以降、王都から誰かが来ることは珍しくない。けれど、今日の馬車はどこか様子が違った。
王家の紋章が描かれた立派な馬車。護衛の騎士も数人付き従っている。
私は管理記録を閉じ、フィルを見上げた。
「一緒に行こうか、フィル」
フィルは枝葉を揺らし、小さく頷くように枝を伸ばした。
ずぼぼぼっ!
根を自分の意思で引っこ抜くと、フィル歩行フォームとなり、どしんどしんと着いてくる。フィルが出たり入ったりする地面をチラリと見るが、フィルの結界樹パワーで綺麗なままだ。地面に意思があるとするなら、本当に申し訳ない限りである。
私たちが村の入口へ着く頃には、すでにロイドさんやトーマスさん、エマさんたちも集まっていた。
「王都からとは珍しいな」
「何かあったんでしょうかねぇ」
村のみんなも少し緊張した様子で馬車を見守っている。
やがて馬車の扉が静かに開いた。
最初に降りてきたのは、一人の女性だった。
若草色の長い髪を高い位置で一つにまとめ、明るい黄緑色の瞳が周囲を見回す。
白を基調とした植物研究員の制服へ、緑色のケープを羽織った姿は、どこか学者らしい落ち着いた雰囲気を纏っていた。
レオンさんが女性を見て名前を呼ぶ。
「彼女は、ミリア様です」
「ミリアさん⋯⋯!?」
植物学の天才。
王立植物研究所の研究員。そして——私が王都を去ったあと、フィルの管理を任された結界樹管理人。
ミリア・ヴェルデさんだった。
ミリアさんが私に気付き、一瞬だけ目を丸くする。そして次の瞬間。
「フローラさん!」
私の前まで駆け寄ると、その場で深く頭を下げた。
「本当に⋯⋯本当に申し訳ありませんでした!」
「えっ⋯⋯」
突然のことに、私は思わず声を失う。
ミリアさんは頭を下げたまま、震える声で続けた。
「私がもっとしっかりしていれば⋯⋯!私が、あの時ちゃんと反対していれば⋯⋯!フローラさんが王宮を追われることなんて、なかったんです⋯⋯!それに私、結界樹の——フィルさんのお世話も上手く行かなくて⋯⋯!」
その声には、後悔が滲んでいた。一人の女性が、自分を責め続けてきたことだけが伝わってくる。
私は慌ててミリアさんの肩へ手を置いた。
「顔を上げてください」
ゆっくりと顔を上げたミリアさんの瞳には、大粒の涙が浮かんでいた。
「私は⋯⋯」
言葉を探すように、一度息を吸う。
「最初は、確かに悲しかったです」
王宮を追われた日のことは、今でも忘れていない。
フィルと離れ離れになったこと。お父さんとの約束を果たせなくなったこと。自分は必要ないと言われたようで、とても苦しかった。
でも——。
「今は違います」
私は自然と笑っていた。
「もしあの日、王宮を出ていなかったら、私はこの村へ来ることもありませんでした」
村の人々を見回し——私は隣に立つレオンさんを見る。
「レオンさんとも出会えませんでした。だから私は、今の毎日が大好きなんです。だから⋯⋯もう謝らなくて大丈夫ですよ」
私がそう言うと、フィルも優しく枝を伸ばし、ミリアさんの頭をそっと撫でた。
ミリアさんは目を丸くし、それから涙を拭きながら、小さく笑った。
その様子を見届けるように、馬車からもう二人の女性が降りてきた。
一人は、灰色がかった銀髪を低い位置で一つに結び、涼しげなアイスブルーの瞳を持つ女性。
無駄のない立ち姿からは騎士のような凛々しさが感じられるけれど、その表情はどこか優しく穏やかだった。
もう一人は、プラチナブロンドの髪を上品なハーフアップにまとめた女性。
青紫色の瞳は知性に満ち、姿勢一つ取っても王都育ちらしい気品が漂っている。
二人とも私より少し年上だろうか。
初めて会うはずなのに、不思議と安心感のある人たちだった。
その時、レオンさんが一歩前へ出る。
「お久しぶりです、エリーゼ」
銀髪の女性はふっと柔らかく笑った。
「久しぶりね、レオン」
その自然なやり取りに、私は少しだけ目を丸くする。
知り合い⋯⋯のようだ。
「フローラ様」
レオンさんが私へ向き直る。
「こちらはエリーゼ・ハルト。近衛騎士団で衛生兵を務めていた方です。私とは騎士を志した頃からの付き合いになります。言わば、幼馴染ですね」
「初めまして、フローラちゃん」
エリーゼさんは気さくに笑いながら右手を差し出した。
「話はレオンさんから聞いてるわ。よろしくね」
「は、はい! よろしくお願いします」
私が握手を返すと、エリーゼさんは嬉しそうに微笑んだ。続いて、もう一人の女性が優雅に一礼する。
「セシリア・ノートンと申します。王宮で事務官を務めておりました。本日より、フローラ様のお力になれるよう尽力いたします」
とても綺麗なお辞儀だった。思わず私まで背筋を伸ばしてしまう。
「よろしくお願いします、セシリアさん」
するとセシリアさんは微笑みながら一通の封筒を差し出した。
「こちらを」
封には王家の紋章。ガイアス殿下からだった。
私は慎重に封を切り、中の手紙を読む。
『フローラへ。
魔物襲撃の報告は受けた。
フィル、そして君たちが無事であったことを心から嬉しく思う。
今回、リーヴェ村の管理体制をより強固なものとするため、三名を派遣することにした。
ミリア・ヴェルデを結界樹管理補佐。
エリーゼ・ハルトを衛生管理担当。
セシリア・ノートンを事務・教育担当として任命する。
三名は今後、君の補佐として働く。
存分に頼ってやってほしい。
——ガイアス』
「⋯⋯私の、補佐?」
思わず呟いてしまう。
管理人として誰かと一緒に働くなんて、考えたこともなかった。
「はい」
ミリアさんが改めて私の前へ立つ。
「今日からよろしくお願いします、フローラさん」
「よろしくお願いします」
そう返した瞬間だった。ミリアさんの視線がフィルへ向く。
「⋯⋯すごい」
目を輝かせながら、ゆっくり近付いていく。
「葉の魔力循環が以前よりずっと滑らかになってる⋯⋯!」
「えっ、分かるんですか?」
「もちろん!」
さっきまで泣いていた人とは思えないほど、ミリアさんは生き生きとしていた。
「枝先の魔力が均一になってるし、この葉脈も⋯⋯!」
「そうなんです! 私も少し太くなった気がしてたんです!」
「やっぱり!?私の見間違いじゃなかったんだ!」
二人で顔を見合わせる。
「フローラちゃん!フィルさん毎朝ちゃんと葉っぱの向きも変えてるよね?」
「はい!朝日が当たりやすいように少しずつ!」
「分かる人がいたぁ⋯⋯!」
思わず二人で手を取り合ってしまう。その様子を見ていたエリーゼさんが苦笑する。
「もう仲良くなってる」
「植物のお話になると止まりませんね」
セシリアさんも小さく笑った。
「⋯⋯あ」
ミリアさんが慌てて口元を押さえる。
「ご、ごめんね⋯⋯なさい!つい『フローラちゃん』って呼んじゃいました⋯⋯」
私は思わず笑ってしまう。
「嬉しいです」
「え?」
「私も⋯⋯ミリアちゃんって呼んでもいいですか?⋯⋯ううん。呼んでもいいかな?」
一瞬きょとんとしたミリアちゃんは、ぱっと笑顔になった。
「もちろん!」
その笑顔につられて、私も笑う。私にとって、初めて歳の近い女の子の友達ができた瞬間だった。
「兄ちゃん!」
ルークくんがレオンさんのところまで走ってきた。
「朝稽古しようぜ!」
「悪いな、状況が変わった。また明日にしよう」
「えー⋯⋯!」
口を尖らせたルークくんだったけれど、不意にミリアちゃんへ視線が止まる。
風に揺れる若草色の髪。楽しそうにフィルを見上げる笑顔。
ルークくんはしばらく黙ったまま、その姿を見つめていた。
「ルークくん?」
私が声を掛けると、慌てて我に返る。
「な、なんでもない!」
そう言って顔を赤くしたまま走っていってしまった。
どうしたんだろう?首を傾げる私の隣で、レオンさんだけが小さく微笑んでいた。
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